「ドラえもんとか、実際無理だろ」

の続編

のび太「え?」

出木杉「いや、そう思わないかい?」

のび太「まあ、2008年完成なら疑ってたかもしれない。けど、タイム・パトロールの話

だと、未来が変わったせいでタイムマシンの発明はもっと遅れるらしいし......」

 大学生協の食堂のテーブルに、野比のび太と出木杉英才が向かい合わせに座っている。
 

のび太が最近ようやくラーメンばかりの食生活を脱却したので、今日は二人ともカレー

ライスを食べていた。

出木杉「遅れるっていうのはどれくらいなんだろう?」

のび太「そこまではわからないよ......」

出木杉「うん、まぁそうだろうけどさ。
でも2008年に完成するはずが、2年前のあの未来

ロリストによって発明者が殺された......なら、完成まではいかなくとも何らかの下地が

あってもよさそうじゃない?」

のび太「下地......か。でも、その方面の報告は学会ではとんと見かけないよね」

出木杉「そう......だから気になるんだ」

出木杉「タイム・パラドクスの修正は、本当に完璧だったんだろうか?」

スネ夫「......で、また僕らが召集されたわけか」

  西東京市内の座敷居酒屋に、野比のび太、出木杉英才、剛田武、骨川スネ夫、源静香

の5人が集まっていた。
  
2年前の事件以来、再び親交の回復した5人はたびたびこうして集まっていた。

もっぱら、誘ってくるのはジャイアンであったが。

ジャイアン「この2人から召集がかかるなんて、2年前みたいだよな。スネ夫、また刺さ
      れるんじゃねぇのwww」

スネ夫「よしてよジャイアン、縁起でもない」

しずか「それで、今日はタイムマシンの話ね?」

のび太「そういうこと」

スネ夫「なんだかこの面子で飲むといつもアカデミックな話題な気がするよ......差し詰

め今日の議題は『時空間修正の影響』ってところかな?」

ジャイアン「そもそも、タイムマシンの仕組みってのが俺にはよくわかんねぇんだよな。

あれだけ乗っといて今更だけどよ」

しずか「今の科学ではタイムマシンってどうなの?」

 しずかの言葉に、のび太・出木杉の理系コンビに他3人の視線が集まる。

のび太「原理的には、未来へ行くことは可能だよ」

 のび太がゆっくりと言った。

出木杉「特殊相対性理論っていうんだけど、聞いたことないかな?わりと有名な話
    だと思うけど......」

しずか「理系では有名かもしれないけど......」

 しずかがクスクスと笑う。

出木杉「まぁ、僕も専門分野ではないしね。ここはのび太くんに譲るよ」

のび太「ウラシマ効果っていうんだけど、覚えてない?僕らが小学生のころ、浦島    太郎は実は宇宙に行ったんじゃないかっていってドラえもんと確かめに行ったこと」

スネ夫「ああ、そうだ。言いだしっぺは僕だったね」

のび太「例えば、光速の99.9999999998%の速さで航行する宇宙船内にいると、地球上で
    は1000万年経っていても宇宙船内では20年ほどしか経過しない。まぁこれはあく
    まで理論値だけどね。これは、時空間の座標変換による矛盾を回避するための、
    ローレンツ変換による帰結なんだ」

ジャイアン「意味わかんねぇよ!!」

出木杉「まあ、とにかく物体の加速によって短時間で未来に行くことが可能ってことさ」

スネ夫「でもさ、それならマイナス方向への加速で逆に過去へ飛ぶことも出来るんじゃな
    いの?理論上なら......」

出木杉「いや、逆数に達するより先に運動量・エネルギー・質量がゼロになってしまう。
    そうするとどうなるか、わかる?」

しずか「質量がゼロってことは......消える?」

出木杉「そう。消滅するんだ」

のび太「厳密には、物体が物体であることの定義が先にたつんだけどね」

ジャイアン「すいませーん、生中と枝豆追加で」

スネ夫「ジャイアン、話聞いてた?」

ジャイアン「え?お、おお!聞いてたさ!なるほどなぁ......すげぇ!」

のび太「わざとらしいなあ」

スネ夫「でもそれじゃあ、過去へは戻れないわけだろう?それにドラえもんが使ってた
    タイムマシンはそんなメカニカルな感じには見えなかったけど......」

のび太「あれはまさしく、時空間内を航行する乗り物って感じだったよね。でもあれは
    2112年以降に出来てればいいわけだから......」

出木杉「そこまで完璧なものでなくていいわけだね。もっと無骨な機械でも構わない、完
    成さえすれば技術の進歩によってあの形になっていくさ」

しずか「つまり、2008年に発明されるはずだったタイムマシンがどういうものだったかを考
    える必要があるってことね?」

出木杉「さすがしずかちゃん。いい問題提起だ」

スネ夫「でもそれって、今となってはわからない問題じゃない?」

のび太「そうとも言えないよ。2008年以前と現代では科学の流れに大きな違いはない。つま
    り、同じ科学の範疇でタイムマシンが完成されるはずなんだ」

しずか「でも、あのドラちゃんの形までいくには大きな壁があるわ。初期の発明段階である
    程度原型が出来ていたんじゃないかしら?」

出木杉「それが疑問なんだ。そんな話全然聞かないし......ひょっとしたらタイムマシンの発
    明は想像以上に遅れるのかもしれない」

ジャイアン「へふぉひょぉ、ほふぉふぁでふーへいふふはんへ......」

しずか「武さん、食べながら喋らないで」

ジャイアン「でもよお、そこまで修正するなんておかしくねぇか?」

のび太「と言うと?」

ジャイアン「研究なんて一人でするもんじゃねぇだろ?だったら発明者が殺されても一緒
     に研究してた助手とかに代わりに発明させるくらいの修正でいいじゃねぇか。
     何十年も遅らせる必要、あるか?」

出木杉「研究を始めるよりもっと前の時代で殺したとか」

ジャイアン「それこそ、確かめられるんじゃねぇか?おまえらが言ってた電波障害だとか
     の記録を調べればタイムマシンの現れた時期にあたりをつけるくらいのことは
     出来るんじゃないのか?」

しずか「......すごい」

のび太「初めて......ジャイアンが建設的な意見を言った......」

スネ夫「まぁ建設業みたいな肉体してるけどね」

 その日はスネ夫が存分にジャイアンにしめられたところでお開きになった。
 居酒屋を出たあとスネ夫は半ば強引にジャイアンにカラオケへ連れて行かれ、のび太、出木杉、しずかの3人は例のごとく一緒に駅へと向かった。

のび太(そういえば、あれ以来出木杉にことを呼び捨てにしてないな......)

 のび太は横を歩く出木杉の顔を見てふと思った。
 同様に出木杉の方もあれ以来のび太のことを呼び捨てにしていない。

出木杉「最近疲れが取れないんだよね、年のせいかな」

 冗談めかして出木杉が言う。

しずか「それを言ったら、みんな同級生じゃない?」

出木杉「でも来年にはみんな30歳だ。若い若いって言ってられないよ」

しずか「......年齢の話はやめてほしいな」

出木杉「あ、ごめん......でもしずかちゃんはまだ20代前半に見えるよ」

しずか「出木杉さんだって若く見えるわ」

のび太「ねぇねぇ、じゃあ僕は?」

出木杉「............」

しずか「............」

のび太「......何で黙るのさ」

  翌日、のび太は彼の勤める藤子大学ロボット工学科の研究室にいた。
  助手はまだ学生に授業をする立場ではないので、研究に集中できるのだ。

学生「野比先生

のび太「ん、なあに?」

学生「ステッピングモータの制御がうまくいかないんですが......」

のび太「ああ、またうまくいかないか......。しかたない。面倒だけど回路を作ってデジタルで直接制御しよう」

学生「うまくいきますか?」

のび太「パルスよりはマシだろうね。うまくいかなかったら、他を考えるさ」

学生「ああ、それと......出木杉先生から内線電話がありましたよ。あとで情工まで来てほしいって」

のび太「そう。ありがとう」

学生「あの、ひょっとしてデキてるんですか?」

のび太「へ?」

学生先生と、出木杉先生

のび太「......そんなわけがないだろう」

学生「あ、じゃあ図書館司書の源さん?」

のび太「さあて、煙草でも吸ってこようかな」

学生「話を逸らさないでください。あと学内は禁煙ですよ」

 のび太は出木杉のいる同藤子大の情報工学科の研究室を訪れた。
 コンピュータが多いのはロボット工学科と似ているが、こちらのほうが台数が多いし、 何よりこちらは最新式だ。

のび太「出木杉先生、いるかな?」

 窓から研究室を覗き込むと、のび太は一番近くにいた学生に話しかけた。

学生「えっと、出木杉先生なら確か隣の専門研究室にいます」

のび太「専門研究室?」

学生「はい、ナノデバイスの......」

のび太「そう、ありがとう」

のび太「出木杉くん」

出木杉「やあ」

のび太「電話くれたんだってね。何か用事だった?」

出木杉「うん、ちょっとね......ところでのび太くん、パスポートまだ使える?」

のび太「え、ああ......教授の学会に着いて北京に行ったのが去年だから、たぶんまだ大丈夫
    なはずだけど」

出木杉「そう。じゃあ、唐突だけどさ......ロシアへ行こう」

 
 出木杉はそう言ってニヤリと笑った。

 のび太は出木杉の言葉が唐突過ぎて咄嗟に理解できなかった。
 意味もなく、ロシアの基本情報を思い出す。

のび太(ボルシチ......ピロシキ......ウラジーミル・プーチン......)

 
 ようやく、現実的な思考回路が戻ってきた。

のび太「あの、いったい何で?」

出木杉「こないだ剛田くんが言ってた電波障害の記録を調べてみたんだ。まあ2008年にタイムマシンを発明できる人間が生きているであろう時代だから、過去100年くらいを調べた。その結果似た形の電波障害は、僕らが小学生のときに東京でたくさん観測
されている」

のび太「それは僕らが乗ったドラえもんのタイムマシンだと思う」

出木杉「そう。そして、それ以外には......ロシアのサンクトペテルブルクで観測されたものしかないんだ」

のび太「ちょっと待ってよ。あれは2009年になってからだろう?#160;ってことはタイムマシン
    の発明者殺しと関係は......」

出木杉「それがね......その半年前、2008年8月にも頻繁に電波障害が観測されていた。同じくサンクトペテルブルクだ」

のび太「ということは......」

出木杉「ああ......鍵はサンクトペテルブルクにある」

出木杉「どうだい、来る気になった?」

のび太「確かに、サンクトペテルブルクに何かあるのも知れない。けど、情報が足りなすぎるよ。わざわざ行くっていうのも......」

出木杉「それだけじゃないんだ。サンクトペテルブルク国立総合大学応用物理学部のイヴァノフ名誉教授が電波障害と同時に行方不明になっている。彼が殺されたタイムマシン発明者の可能性が高い」

のび太「でも、行ってどうする?」

出木杉「彼の下で一緒に研究していた日系人のエゴール・藤尾助教授に話を聞こうと思う」

のび太「しかし、仕事も休まなきゃならないし、費用もかかる。どうするの?」

出木杉「研修ってことになってる。うまく教授に話が通ってね......うちの情報工学部からは僕が、ロボット工学科からは君が行く話でもうゴーサインは出てる」

 のび太はため息をついた。もう何もかも手配済みじゃないか。

のび太「わかったよ......しかしいつから君、そんなアクティブになったの?」

出木杉「想像力を養うには経験を積むのが一番だからね」

 出木杉はポケットから焦げたスタンガンを取り出した。
 のび太が作った......あのコピーロボットを倒したスタンガンだ。

出木杉「君にはやっぱり、負けてられない」

ジャイアン「それで......ロシアに行くことになったのかよ!!」

のび太「うん」

スネ夫「いいなあ、僕も行きたいよ」

ジャイアン「おまえは仕事でしょっちゅう海外に行ってるだろ?」

スネ夫「それとは別さ。タイムマシンの痕跡を調べに行くなんて面白そうじゃないか」

 前回と同じ個室居酒屋の同じ部屋に、のび太、スネ夫、ジャイアンの3人が集まって話していた。出木杉は研修の準備、しずかは今日は両親と食事をするらしく、2人は不在だった。

スネ夫「しかし、出木杉も思い切ったことするよな」

ジャイアン「その思い切った出木杉としずかちゃんが、今日はいないじゃねぇか」

スネ夫「出木杉は本当に研修の準備かな?しずかちゃんは本当に親と食事かな?」

ジャイアン「今頃一緒だったりして......」

のび太「おいおい、やめてよ」

ジャイアン「何言ってんだ。おまえがいけないんだぞ、さっさとしずかちゃんと付き合わないから......今度こそ出木杉にとられちまうぞ。いいのか?」

のび太「............」

 結局しずかに会うことが出来ないまま、のび太はロシア行きの日を迎えた。
 一度電話で話すことは出来たが、ロシア行きに関しては既に出木杉から聞いていたらしいので、これといった話題もなくすぐに電話を切ってしまった。

のび太(また、出遅れちゃったな......)

 機内で少々アカデミックな理系話に花を咲かせ、のび太と出木杉はロシアのサンクトペテルブルク市内にあるプルコヴォ空港に降り立った。
 
出木杉「藤尾先生がここまで車で迎えに来てくれるって話だけど......」

???「出木杉先生と野比先生だね?」

出木杉「あ、はい。えっと、藤尾先生ですか?」

藤尾「ああ、僕が藤尾です。はじめまして」

のび太「よかった......」

出木杉「どうしたの、のび太くん」

のび太「僕、ロシア語話せないんだ......藤尾先生が日本語話せてよかったよ」

出木杉「先生は亡くなられたイヴァノフ名誉教授の下で研究をされていたそうですね?」

 ホテルへ向かう車の中で、出木杉が藤尾助教授に聞いた。

藤尾「どうして、亡くなったと?」

出木杉「いえ、そう聞いていたものですから......違うのですか?」

 わざと知らないふりをしているな、とのび太は気づいた。
 イヴァノフ教授の失踪について詳しい情報を改めて聞き出すために、出木杉はわざと「亡くなった」という言い方をしたのだろう。

藤尾「イヴァノフ先生は失踪されたんだ。遺体も発見されていない。亡くなったという話
が伝わっているのなら、それはデマだろうね」

出木杉「そうだったんですか......失踪されたというのは?」

藤尾「3年前の8月に先生は失踪された。理由はわからない。不思議だよ。もともと変わったところのある人だった......天才というのはそういうものなのかもしれないけど」

出木杉「何かの犯罪に巻き込まれたという見方はされなかったのですか?」

藤尾「やけに突っ込んでくるね......なぜそう思う?」

出木杉「当時の研究のことが関わっているとか......そう考えなかったんですか?」

のび太(突っ込みすぎだ......いきなりすぎる)

藤尾「研究?何の研究のことかな?」

出木杉「タイムマシンとか」

 藤尾の耳がピクリと動いたのを、のび太は見逃さなかった。

藤尾「タイムマシン?......非現実的だ」

出木杉「しかしイヴァノフ先生は相対論的ローレンツ・ブーストの研究の第一人者です。タイ
    ムマシン関連の本も書かれていますし......」

のび太「出木杉先生、失礼ですよ」

 慌ててのび太はストップをかけた。藤尾を怒らせてしまっては何にもならない。

藤尾「いやいや、大丈夫だよ。まあ非現実的と言ったのは僕の個人的見解だ。イヴァノフ先生は本気で考えていたかもしれない。少なくとも僕とはその手の研究はしていなかったけどね」

 話題を変えようと、のび太は慌てて車内を見回す。

のび太「いい車ですね」

藤尾「ああ、国の車が好きでね。やはり車はトヨタが一番だ」

のび太「でも......その、ところどころ変に汚れてますね」

藤尾「ああ、私はいろいろ実験道具や材料を車で持ち帰ったりするからね。それをこぼしたりするんだ......」

 藤尾はそう言うと、ハンドルから片手を離し助手席のダッシュボードを開けた。
 中には工具類や薬品の瓶などが入っている。

のび太「工具一式にハンダに......そっちはシリコンですか?いろいろあるんですね」

藤尾「片付けられない性格でね......理系には多いと思うけど」

のび太「わかります」
 
 そう言ってのび太は微笑んだ。

のび太「聞きすぎだよ、出木杉くん」

 ホテルの部屋でのび太は言った。車中での藤尾との会話のことだ。

出木杉「ああ、ごめん。でもこれでハッキリした。藤尾先生は嘘をついてる」

のび太「だろうね。そして、おそらくタイムマシンを発明するのは藤尾先生だ」

出木杉「でも、どうしてタイムマシンの研究を知らないふりをするんだろう?」

のび太「単に、気乗りしないだけじゃない?科学者の研究分野なんておいそれと変わる
    ものじゃないし、タイムマシンを否定するスタンスをとってるなら尚更だよ。
    まぁタイムマシン発明の後継者がいるのは確かなんだから、放っておいたって
    いつか研究に目覚めて発明してくれるよ」

 そのころ日本ではようやく予定の空いたしずかと、ジャイアン、スネ夫の3人が夕食を共に
していた。今回は珍しくスネ夫の主催であり、場所も洒落たフレンチ・レストランだ。

しずか「のび太さんと出木杉さんは今頃ロシアでしょうね」

ジャイアン「俺も行きたいぜ、ロシア......ジンギスカン食いてぇな」

スネ夫「ジンギスカンはモンゴルだよ」

しずか「いいえ、ジンギスカン料理は日本発祥らしいわよ」

 しばし、他愛のない会話で盛り上がる。

ジャイアン「理系のあいつらがいないせいか、話がわかりやすいぜwww」

しずか「ふふ。たまにはこういうのもいいわね」

スネ夫「でも、しずかちゃんは理系の奥さんになるんだから免疫つけないと」

しずか「えっ?」

ジャイアン「しずかちゃんはどうなんだ?のび太と出木杉......どっちが好きなんだ?」

しずか「え、えっと......///」

スネ夫「将来性で見たら出木杉だよね。それに同じ科学者でも、のび太と違ってファッショナブルだし......」

しずか「出木杉さんはいい人よ......優しいし頼りになるわ。決断力もあるし、真面目だし......。けど、好きかと言われると......」

スネ夫「ってことは」

ジャイアン「やっぱり、のび太か......」

 しずかは黙って頷いた。
 
 そのとき、ふっと店内の明かりが消えた。

 店の中は瞬く間に真っ暗になった。
 エアコンなどの電気系統すべてが停止しているようだ。

しずか(停電かしら......)

 ――パァン!パァン!

 突然、暗闇の中に破裂音が響いた。
 しずかの前にあったグラスが砕け散る。

ジャイアン「しゃがめ!スネ夫」

 言いながらジャイアンがしずかの腕を引き、彼女を自分の後ろに隠す。

スネ夫「どういうことだよ......今の、銃声だろ?」

 暗闇の中で待つこと数分。
 消えたときと同じように唐突に、店内に明かりが灯る。

しずか「何だったの......今の」

ジャイアン「銃声だった......よな」

 呆然とするしずかとジャイアンの横で、スネ夫はテーブルの上を眺めていた。

 被弾して割れたしずかのグラス。
 テーブルの端が丸く抉られている。

スネ夫(2発ともこのテーブルを......僕たちを狙っている?)

 しずかたちが襲撃に会った直後、のび太と出木杉はホテルの部屋で眠っていた。
 日本とサンクトペテルブルクの時差はマイナス6時間。サンクトペテルブルクはまだ昼の3
時だったが、飛行機疲れのため仮眠をとることにしたのだ。

 小さな物音を感じ、出木杉は目を覚ます。
 もともと昼寝好きなのび太と違い、出木杉の眠りは浅かったのだ。
 そして、それが今回は幸いした。

 出木杉が目を開けると、枕元に帽子とサングラスをした男が立っていた。
 その手にはナイフが握られている。

出木杉「!!」

 素早く横へ転がる。男の振り下ろしたナイフがベッドに突き刺さる。
 男はベッドからナイフを抜き去ると、出木杉のベッドのシーツを思いっきり引いた。
 もともと足場が悪かったうえシーツを引かれ、出木杉は体勢を崩す。
 その隙に男はドアへ向かって駆け出した。

出木杉「くそ!待て......のび太くん、起きるんだ!」

 のび太に声をかけつつ、出木杉は男を追う。
 ドアを開けホテルの廊下へ出たときには、長い廊下のどちら側にも男の姿はなかった。

出木杉(......どこへ消えた?)

のび太「へぇ、そんなことがあったんだ」

 出木杉が男を取り逃がした10分後、ようやく目を覚ましたのび太が言った。

出木杉「そんな呑気なことを言ってる場合じゃないだろう......」

のび太「海外では珍しいことじゃないよ。日本人客が強盗に入られるなんてさ」

出木杉「殺されるとこだったんだよ?」

のび太「まあまあ......殺されなかったんだからいいじゃない」

 のび太は欠伸をしながら洗面台のほうへと歩いていった。
 まだ寝起きで頭が回ってないのかもしれない。
 出木杉はため息をつくと、のび太に飲ませるためのコーヒーをいれることにした。

出木杉「とくに金目のものが取られた形跡はない。それに、ナイフを持って僕の枕元に立っていて、僕が目を覚ますや否や慌ててナイフを振り下ろしてきた。どう考えたって強盗のはずがないだろう?」

のび太「ふんふん......で、警察には届けたの?」

出木杉「いや......まだだ。不自然な点があるんでね。奴を追ってすぐ、僕も廊下に出た。なのに奴の姿は廊下のどこにもなかった」

のび太「すぐって、本当にすぐ?」

出木杉「君に声をかけてたから、厳密にはすぐじゃないな。他の部屋に入る余裕はあったかもしれない。けど、それならドアの音で気づくはずだし......」

のび太「それだけの時間があれば十分だよ。全然不思議じゃないじゃない」

 のび太はまだ眠そうだが、はっきりした口調で言った。

のび太「どこでもドアなら、楽勝だ。すぐに電磁波の影響を調べるべきだね」

出木杉「どこでもドアって、そんなまさか......」

のび太「ありえない話じゃないだろう?それに僕らはタイムマシンのことを調べにここに来たんだから......未来の道具で襲われる理由もバッチリだし」

 確かに、のび太の言うことは頷ける。
 これを当たり前のようにどこでもドアに発想を繋げることが出来る......それこそが自分とのび太の想像力の決定的な違いかもしれない、と出木杉は思った。

出木杉「でも、未来テロリストは捕まって......ひみつ道具も回収されたはずだろ?」

のび太「今の説明で不十分なら、論理的に考えてみようか?
    出木杉くんが僕に声をかけてから部屋を出たとしても、10秒も遅れはとらないよね。せいぜい5、6秒程度......その短時間であの廊下を曲がり角まで走破するのは不可能だし、他の部屋へ入るにしても音を立てずに慎重に入っていたら間に合わない。とすれば何もない空間に消えたことになる。まあどこでもドア以外にも、通り抜けフープを使ったとか、石ころ帽子を被っていて気づかなかったとか可能性は他にもあるけど......」

出木杉「大丈夫だよ、そこまで馬鹿じゃない。確かに未来の道具の使用しか考えられない状況
    みたいだね......すぐに電波障害を確認してみよう」

のび太「どうやって調べるの?ここには電磁波測定器はないんだよ?」

出木杉「サンクトペテルブルク大学に問い合わせるさ」

 ようやくいつもの余裕を取り戻し、出木杉が笑った。

 サンクトペテルブルク大学に電波障害に関する問い合わせをした出木杉は、のび太と共にホ
テルの部屋で大学側からの返事を待っていた。
 5分ほどして、部屋の電話が鳴る。
 が、出木杉が電話に出ると大学からではなくフロントからだった。

フロント『デキスギ様に、日本のホネカワ様から国際電話がかかってきております』

出木杉「スネ夫くんから?わかった、繋いでくれ」

スネ夫『......もしもし、出木杉?』

出木杉「ああ、僕だよ。どうかしたの?」

スネ夫『実はさっきさ......』

出木杉「銃撃を受けたって、それ本当!?みんな大丈夫なの?」

スネ夫『ああ、誰も怪我はないよ。そうか、そっちも襲撃に......』

出木杉「同じ時間に日本とロシアでそれぞれ襲われるなんて......それで、僕に頼みって?」

スネ夫『実は、個人的に気になることがあるんだ。僕の杞憂ならいいんだけど......。
    銃撃によってしずかちゃんのグラスが割れたんだけど、その延長線上をたどってみても見つからないんだよ......銃弾が』

出木杉「え!?」

スネ夫『おかしいだろ?グラスに当たったくらいで弾の軌道は変わらないはずなのに。
    それでこれはひょっとしたら......』

出木杉「空気ピストル、だね?」

スネ夫『ああ、そんなはずないとは思うけど......』

出木杉「いや、そうかもしれない。その店の防犯カメラの......音声だけでいい。
    手に入るなら、こっちへ送ってくれないかな?」

スネ夫『わかった。やってみる』

のび太「どう思う?」

 サンクトペテルブルク大学に電波障害に関する調査結果を聞きにいく途中、のび太は出木杉に聞いた。もちろん、事件のことである。
 
出木杉「日本とサンクトペテルブルクの時差を考えても、僕が襲われたのは日本の事件の直後だ。スネ夫くんたちを銃撃した犯人も異様な速さで逃亡しているし、おそらくどこでもドアでこっちへ逃げてきた。そして未来の道具が使われている以上、何らかの形で未来に関わってる人間......そしてここはロシアだ。となると疑わしいのは......」

のび太「藤尾先生だね」

出木杉「うん。僕を襲った男の背格好も藤尾先生に似ている。イヴァノフ教授とのタイムマシンの研究を隠しているし、彼がタイムマシン発明の後継者なら未来の道具を持っていたって不思議じゃない。彼はタイムマシンを独り占めする気なんだ」

のび太「たぶんね......でも証拠はないよ」

出木杉「証拠を掴めばいい。僕に考えがある」

 出木杉はそう言ってニヤリと笑った。

藤尾「どうしてまた、電波障害なんかを調べるんだい?」

 サンクトペテルブルク大学の理学棟にある藤尾の研究室に二人はいた。
 冬の寒さの厳しいロシアだからこそなのかもしれないが、建物の暖房設備は充実していた。

出木杉「野比先生の研究テーマなんです。差し支えなければこちらの観測データを見せてもらいたいと思いましてね」

藤尾「そう......でも残念だったね。昨日は電波障害は観測されてないよ」

のび太「本当ですか?」

藤尾「ああ、だから調べる必要はない」

出木杉「わかりました......。あと、できれば見学がてらこちらのパソコンを使わせてもらえませんか?僕は情報工学科なので興味があって」

藤尾「構わないよ」

出木杉「電波障害がなかったなんて嘘だ。彼は隠してる」

のび太「言ってる人間が藤尾先生だけに信憑性は薄いね。でも、どうするの?」

 ワークステーションのパソコンの前で2人は話している。
 出木杉はゲストでログインすると、藤子大の自分のパソコンにアクセスする。

出木杉「スネ夫くんが、銃撃されたレストランの防犯カメラの音声を送ってくれた。銃声が聞こえた、ってスネ夫くんたちは言ってたけど、たぶん爆竹か何かによるカモフラージ
ュだ。ということは......」

 出木杉は音声ファイルを開くと、防犯カメラの音声を再生する。

出木杉「この段階ではまだ雑音やカモフラージュの音でよくわからない。だからこれを徹底的にクリーニングしてノイズを除去するんだ。難しい作業じゃない......肉声だけを取り出して必要な音を探せばいいんだ。ほら......」

 高速でキーボードを叩いていた出木杉は、スピーカのボリュームをあげると、再生ボタンをクリックする。

―――ざわざわ......かちゃかちゃ

 小さく人の話し声や雑音がする中、銃声のあったタイミングにその音声は流れた。

――「ばん、ばん」

 2人は顔を見合わせた。

出木杉「聞き覚えあるだろ?この声」

のび太「うん、間違いないね......藤尾先生だ」

出木杉「もう一度、藤尾先生の研究室に行って話を聞く必要があるね」

出木杉「この声、藤尾先生に間違いないですよね?」

 サンクトペテルブルク大学、藤尾助教授の研究室。
 レコーダーから先ほどクリーニングして抽出した音声を聞かせ、出木杉は言った。

藤尾「確かに、わたしの声に似ているな」

出木杉「声紋分析をすればハッキリわかると思いますが。それに、電波障害も本当はあったんでしょう?あなたはどこでもドアで日本へ行き、空気銃でスネ夫くんたちを襲い、またどこでもドアで今度は僕らのホテルへ来て、僕を襲った。どこでもドアを使ったときには時空の歪みによって電磁波が発生し、電波障害が発生するはずなんです」

藤尾「どうして私が君たちを殺さなきゃならない?そもそも、どこでもドアとか空気ピストルとか、いったいそれは何だい?」

出木杉「おかしいですね......僕は空気銃、と言ったのにあなたは空気ピストルと言い直した。それこそ、あなたが未来と通じている証拠です」

藤尾「............」

出木杉「あなたはイヴァノフ教授と共にタイムマシンを開発していた。そして開発前に発明者になるはずだったイヴァノフ教授が失踪した、いや、あなたは知らないかもしれないけれど彼は殺されたんです。未来は修正され、タイムマシンの発明者は藤尾先生になりました。だが、タイムマシンが完成してもあなたはそれを隠した。私利私欲のために使おうと......。しかしこれでは未来が変わってしまう」

藤尾「未来......か」

出木杉「お願いです、先生。タイムマシンの発明を発表してください」

のび太「............」

藤尾「君は未来を捉えそこなっている。エゴール・藤尾が私利私欲のためにタイムマシンを使おうが使うまいが、発明者という事実に変わりはない。未来はそれだけじゃ変わらないさ。出木杉くん......君の推論には見落としがある」

出木杉「じゃあ、いったい何が......」

のび太「その質問には僕が答えるよ、出木杉くん」

 藤尾助教授をまっすぐ見据えて、のび太は言った。

のび太「イヴァノフ教授が殺されても発明者の地位は藤尾助教授には移らない......何故なら藤尾助教授もまた、イヴァノフ教授同様殺害されているから。どうです、この仮説?」

のび太「イヴァノフ教授が殺害されたのは2008年の8月です。同年中にタイムマシンが発明される前提がある以上、殺されたときには発明間近だったと考えていい。時間の修正は最小規模で行われる......なら発明者を藤尾助教授に修正したところで、やはりタイムマシンは2008年中に発明されるはずだった」

出木杉「そうか......タイム・パラドクスの修正が大きすぎるんだ」

のび太「ところがそれが出来ない事情があった。そもそも2008年に四次元空間内でイヴァノフ教授を殺した未来のテロリストたちの目的は、タイムマシンの抹殺です。一緒に研究していた藤尾先生を殺さないのは不自然だ。つまり、彼らはあなたを殺したんだ。あのとき、イヴァノフ教授と一緒にタイムマシンに乗りながら......」

藤尾「では、なぜわたしはここにいる?幽霊だとでも?」

のび太「幽霊じゃない......あなたは、藤尾助教授のコピーロボットだ」

出木杉「そうか......入れ替わりか!!」

のび太「うん、ただイヴァノフ教授と藤尾助教授を殺したって別の誰かが研究を引き継いでしまったらキリがない。だから未来テロリストたちはコピーロボットを藤尾助教授の代役に仕立て、研究を抹殺させたんだ。その鼻は......特殊メイクですね。車の中にあったシリコンですか?」

藤尾「証拠はあるのか?」

のび太「あります。これです」

 鞄の中から電磁波受信機を取り出す。
 藤尾に向けて起動すると、準マイクロ波を感知して赤いランプが点灯した。

出木杉「のび太くん、何でその受信機を持ってるの?」

のび太「これ?2年前に使ったきり鞄に入れっぱなしで......」

出木杉「......2年間ずっと?」

のび太「うん。理系の性質っていうか、片付けられないんだよね......」

藤尾「ばれてしまったらしょうがない。いさぎよく認めるよ。けど......」

藤尾・出木杉「2年間入れっぱなしは、流石にない」

藤尾「確かにわたしはコピーロボットだよ。藤尾助教授の替え玉のためのね。だからわたしはタイムマシンを作るわけにはいかないんだ......あれは、廃棄した」

 そう言って藤尾はデスクの引き出しを開いた。
 かつてのび太の机の引き出しにあったように......タイムマシンの入り口がそこにあった。

藤尾「なぜかわたしの電源は切れない。メンテナンスもないのに。使命を果たしてないからかもしれん。タイムマシンを抹殺しなければ」

のび太「あなたには無理ですよ......わかってるでしょう?#160;あなたがこのままタイムマシンを抹殺して未来を変えてしまうならば、タイム・パトロールがあのとき他のひみつ道具と一緒にあなたを回収していったはずです」

出木杉「僕にもわかったよ......未来の修正が。未来は、あなたにこのまま藤尾助教授として生きろと言ってるんだ。タイムマシンを発明しろって。だからタイムマシンの入り口は
    閉じない......あなたの電源は切れないんです。選ばれたんだ、イヴァノフ教授の代わりに......藤尾助教授の代わりに......コピーロボットのあなたがタイムマシンの発明者
になったんだ」

藤尾「わたしは......生きてていいのか」

 藤尾は――コピーロボットは笑顔で、泣いた。
 その暖かい涙がオイルではないことを、のび太と出木杉は祈った。

 三日間の研修を終え、のび太と出木杉はロシアを発った。
 先ほど国際電話で事情を話したところ、スネ夫、ジャイアン、しずかの3人は空港まで迎えに来るとのことだった。

出木杉「結局、僕らは無駄足を踏んだわけだ。タイムマシンはどのみち発明されるのに......」

 帰りの飛行機の中で出木杉がつぶやいた。

のび太「さあ、それはわからない。僕らが行くことだって、歴史の予定に入ってたのかも」

出木杉「やっぱり僕らは現代人だ。どうしようもないね」

のび太「時間は偉大だよ。人知を超えてる」

出木杉「タイム・イズ・マネーどころじゃないね」

 出木杉は苦笑した。

のび太「なあ、出木杉......」

 人生で二度目の呼び捨てを、のび太はした。

出木杉「久しぶりだね、呼び捨ては......どうしたの、のび太?」

のび太「僕は日本についたら、しずかちゃんにプロポーズするつもりだ」

出木杉「洒落たことするね、君も......」

のび太「え?」

出木杉「日本時間の今日はまだ2月14日の夜だよ。まるで逆バレンタインだ」

のび太「ああ......忘れてた」

出木杉「......僕もだよ」

のび太「え?」

出木杉「僕も、今日しずかちゃんにプロポーズする予定」

のび太「そっか......」

出木杉「それと」

のび太「???」

出木杉「実は、安孫子大学から助教授として呼ばれてる。今度は僕が先だ」

のび太「......僕もだよ」

出木杉「え?」

のび太「僕はこのまま藤子大だけど......助教授の話がきてる」

 少しの沈黙の後、二人は顔を見合わせ笑いあう。
 まったく、時間ってやつは不思議だ。タイミングが良すぎる。
 決着が着くのは、もう少し先の未来になりそうだ。
 
のび太(その日まで、また歩いていこう......)

                           ―――おわり