親子3人幸せに暮らしていた私に、突然の海外赴任の話が持ち上がったのは今から4年ほど前でした。 妻と何日も話し合いましたが、赴任先が地球の裏側と遠い事や期間が1年と短い事、娘の学校の事や、娘が幼稚園に行き出してから、妻が以前勤めていた同じ銀行の比較的近い所に有る支店にパートとして雇ってもらえた事などを考えて、ついて行きたいと言って譲らない妻を説得して、単身で赴任するという私の意見を押し通しました。最、1年ぐらい頼むと言われていた赴任でしたが結局半年延び、ようやく帰国出来たのは、私が43歳、妻智子38歳、結婚5年目にやっと授かった娘、理香が8歳になった夏でした。空港に着いて、当座必要な身の回
りの物を詰め込んだスーツケースを受け取って出ると、そこには家族や知り合いの人を迎に来た、大勢の人達でごった返していましたが、私を迎に来た者は誰もいません。それもその筈、海外赴任が終った事や、私が今日帰国する事を、妻や身内には誰にも知らせていないのです。それは、私が赴任して7ヶ月ほど経った頃にかかってきた、私の母からの一本の電話から始まりました。「おまえ、一度帰ってこられないのか?休暇ぐらいは有るのだろ?」「それは無理だ。ここは地球の裏側だぞ。日本までどれだけかかると思っているんだ?お金だってかかる。」「費なら私が出すから。」「お袋、だうした?何か有ったのか?」母の話によると、1ヶ月ほど前から妻の行動が変わったと言うのです。残業だと言っては、帰りの遅い日が何日も有り、先週の土曜日は休日出勤になったと言って娘を預け、その後、友達の相談に乗っていて遅くなったから泊めてもらうと電話が有り、娘を迎に来たのは日曜の昼近くだったそうです。「智子と喧嘩でもしたのか?それとも理香を預かるのが疲れるのか?」「いや、智子さんは良くしてくれるし、理香ちゃんを預かれる事は嬉しいよ。」「もうやめておけ。お前の思い過ごしだ。」その時、後ろから父の声が聞こえ、電話は切られてしまいました。母が何を言いたかったのかは、想像がつきましたが、その様な事は私にはとても信じられる事では有りませんでした。妻の両親は、妻が学生">小学生の時に離婚し、それも父親の暴力が原因だったので、怖い思いをした記憶が残り、母親の女だけの家庭で育ち、女子高、女子短大と進んだ妻は、男性恐怖症とまでは行きませんが、男性には人一倍慎重でした。会社の隣に有った銀行の窓口に座っていた妻の、制服を着ていなければ高校生でも通りそうな、童顔で可愛い顔と、それとは反比例するかのように制服を持ち上げている胸のギャップに惹かれて交際を申し込んだのですが、なかなかデートに応じてもらえず、今のように携帯も無かったので、半年以上手紙の交換が続きました。手紙の内容では私に好意を持ってくれているようだったのですが、めてデートを承諾してくれたのは半年以上経ってからで、その時も私の横ではなくて、少し後ろを歩いていたのを思い出します。2人で逢う様になってからは、見掛けだけではなくて、妻の真面目で可愛い性格に惚れ、結婚後も妻の真面目で誠実な面は変わる事が有りませんでした。その妻が浮気をする事など想像も出来ません。何より、妻が私を愛してくれているという自負が有りました。赴任する前日の夜に妻を抱いた後、「絶対に浮気はしないでね。もしも浮気したら離婚します。いいえ、あなたと相手を殺しに行きます。私は何があってもあなたを裏切る事は無いから。あなたも我慢してね。」そう言っていたのは妻でした。その様な訳で、その時は母の話しを一笑に伏し、あまり気にもしませんでした。私達夫婦には、家のローンを1年でも早く返し終わろうという目標がありました。土地は、親から貰ったので、私の退職金まで充てにしなくても良いと思っていましたが、結局凝った作りにしてしまった為に予定以上にお金がかかり、退職金の一部も充てにしなければならなくなってしまいました。しかし、娘に老後を見てもらう事は考えず、退職金は、全て残そうという事になり、妻も勤めに出たのです。その様な訳で海外赴任に伴う色々な手当ても使わずに、出来る限り節約に心掛けていたので日本に帰る事もしないで、電話も極力控えてEメールで我慢していました。母からの電話から数週間経った頃、私の様に単身赴任して来ている関連会社の仲間達から、女を買いに行こうと誘われましたが断りました。決して日本人の海外買春問題を考えるような大それた理由ではなくて、妻を裏切る事が嫌だったのです。しかし、その様な理由で断るのは、男として情け無い様な風潮が有ったので、家のローンを理由にしたのですが、日本とは違って5千円も有れば充分楽しめると強く誘われて、その様な事から遠ざかっていた私は少し迷いながらも、結局断ったのでした。1人で宿舎に戻って妻の事を考えていた時、忘れかかっていた母の電話を思い出しました。結婚して何年かは妻から求める事など有りませんでしたが、娘が生まれてからは徐々に積極的になり出し、妻から求めて来る事も珍しくなくなり、海外赴任が決まった頃には、普段の大人しい感じの妻からは、誰も想像も出来ないほどセックスを楽しむ様になっていました。以前使おうとした時には嫌がって、そんな物を使ったら離婚するとまで言われ、決して使わせてもらえなかった玩具なども、その頃には、一応最は嫌がる素振りを見せるものの口だけで、いざ使い出せば、それだけで何度も気を遣るほど感じていました。そんな妻を思い出していると、私が我慢している様に、妻も我慢しているはずだと思いながらも、少し不安になり出し、妻に限って浮気など無いと自分に言い聞かせながらも、海外に電話などした事の無かった母が、苦労して電話をかけてきた事が気になりました。それでも赴任から1年が過ぎた頃には、考えたところでこれだけ離れていてはどうにもならないので、妻を信じる事にしようと思ったのですが、そんな時に母からまた電話がかかり。「まだ帰して貰えそうもないのか?社長に頼んで1日でも早く帰らせてもらってくれよ。」「どうした?また智子の様子が可笑しいとでも言いたいのか?」母の話では、あれから妻の服装が徐々に派手になり始め、次第に化粧も濃くなり、髪も明るい栗色にして、見た目5歳は若くなったと言うのです。その上、残業だと言って帰りが遅い日も増え、土日も休日出勤だとか、娘の役員会だとか言って、子供を預けて外出する事が増え出し、最近では泊まりの慰安行が有ったり、友達の相談に乗っていて帰れないから子供を頼むと電話して来て、朝帰りした事も何度か有るそうです。それからの私は、流石に妻の浮気を疑い、会えないだけに身を切られる様な思いをしていました。電話で問いただしたい気持ちも有りましたが、浮気ではなかった時の妻の気持ちや、母が告げ口をしたと知った時の、妻と母との関係を考えると出来ません。間違いだった時は、妻の気持ちを逆に裏切った形になってしまいます。そうかと言って、このままの気持ちでは笑って妻に逢えないと思い、この様な帰国になってしまったのです。乗り継ぎの時以外は、ほとんど眠っていて、日本に着いたのは朝だったので大した時差ぼけも無く、空港を出るとレンタカーを借り、赴任する時に携帯を解約していたので新しい携帯を買いました。会社の方は今日を入れて四日間、来週の月曜までは出社しなくても良かったのですが、万が一自宅に電話でもされて帰国した事が妻にばれない様に、会社に帰国の挨拶に行って、連絡は全て携帯にしてもらうように頼んで来ました。***その日の4時前には、妻の勤めている銀行の近くに行き、車を止めて見張っていると、5時を少し過ぎた頃に銀行から出てきた妻は、すぐ近くのバス停で立っています。確かに一瞬、妻に似ているが妻だろうかと戸惑ったほど、若い時からずっと肩位までだった髪を肩甲骨よりも長く伸ばし、色も栗色に染め、眉も細くし、アイシャドーも濃く、には濡れたようなピンクのリップを塗っていて、1年半前よりも逆にかなり若返った様に見えますが、ただ服装は決して派手な事は無く、バスを待っている様子もおかしな素振りは有りません。妻の心が離れてしまったかも知れないと少し疑っていた私は、今すぐ妻の前に飛び出して行き、今夜にでも妻の愛を確かめたくなってしまいましたが、そんな気持ちをぐっと我慢して、私の実家に先回りしました。私の実家は我が家から200メートル程しか離れていません。実家は兄夫婦が跡を継ぐ予定だったのですが、兄が遠くに転勤になってしまった為に、今は両親が二人だけで暮らしていて、近くにあった土地を貰って家を建てた私達が、面倒を看ています。面倒を看ていると言っても妻が勤めに出だしてからは、娘の幼稚園バスまでの送り迎えや、学校に上がってからは学校が終ると、娘は実家に帰るという生活だったので、昼間の娘の世話はほとんど母や父がしてくれていて、こちらが面倒を見てもらっている状態でした。娘もその様な生活に慣れてしまい、最近では1人で実家に泊まる事も珍しい事では無いそうです。実家の見える所に車を止めていると暫らくして妻が入って行き、すぐに娘の手を引いて出て来ました。「理香。」思わず娘の名前を呼んでしまいましたが、離れていて2人には聞こえるはずは有りません。今出て行けば娘を抱き締める事も出来るし、今夜は親子3人で楽しくすごせると思いましたが、今やめてしまっては、一生心の中で妻を疑って暮らさなければなりません。私の気が済むまで調べて、何も無ければその方が良いのです。妻の浮気を確かめたいのでは無くて、本当は妻の潔白を証明し…