珍しく会社を休んで、こんな時間から、部屋で、ぼんやりとしていました。
 コメントに答えようと思ったら、こんなときにかぎって、一人しか書き込みがありませんでした。
でも、せっかくなので、それに答えて書きます。
 いつも、ミニスカートの女を見ている男がいるというのは、嬉しいお話しです。
でも、本当でしょうか。
私は、実感として、それほど見られているという感じはありません。
もっとも、日常的には、注目にあたいするほどのミニはつけないからかもしれません。
その反動で深夜には、ありえないほどのミニをつけます。
 覗かれるからではありません。
覗かれたいです。
汚れたパンツを見られるのは嫌ですが、それでさえ、本当に絶対に嫌なのかと、言われたら、首を縦にふる自信はありません。
そのぐらい覗いてほしいのです。
覗かれているという実感が、私に女を自覚させる瞬間だからなのだと思います。
  それなら、日常的にもミニにすればいいのに、と、露出好きの男の人には、よく言われます。
露出好きの人にとって、スカートは魅力的な露出アイテムなんでしょうね。
でも、実際には、女がミニをつけると、男の人は、素直に性的なものを感じてくれないものなんですよ。
媚をうっているとか、寂しいんだろうとか、愛に飢えてるとか、勝手に違うことを想像してくれるのです。
 もし、社員行で、同僚の男の人に露出されたら、私は、いえ、たいていの女なら、露出趣味かもしれないと思うでしょうね。
でも、もし、私が同僚の男の人に露出したら、セックスしたいに違いないって思われるんですよ。
それが、男と女の違いなんです。
私は、愛なんてどうでもよくて、おもいっきりスケベな目で見られたいんですけど、なかなか、そんなわけにいかないんです。
 これって、私だけでなく、女って、けっこう男のストレートなスケベ視線は好きなんじゃないかな。
 嫌なのは、値踏みしているような視線。
じっくりと、顔やスタイルを見られること、下半身裸なのに、アソコだけ見ないで、顔ばかり見られること。
そうされると「この女、たいして美人でも、スタイルもよくないのに、何、挑発してんだ」と、思われてそうで嫌なんです。
  
でも、こんなバカな変態女の言葉を真に受けて、トラブルだけは起こさないでください。
露骨にスカートの中を覗かれて、嬉しいのは、私だけかもしれませから。
平日の休みが好きです。
昼間、家でしか出来ない露出の楽しみがあるからです。
例えば、お風呂です。
私の家のお風呂は、一階ですが、住人以外はまず通らないような場所に窓があります。
でも、その窓は外からなら、かんたんに中を覗くことが出来ます。
めったに人が通らない場所だけに、その気になれば覗きやすいと思うのです。
 それでも、窓を開けたままお風呂に入っていても、めったに覗く人はありません。
 このブログに遊びに来ている人は意外に思うかもしれませんが、男の人は、けっこう、痴漢したり、覗きをしたりは、しないものなのです。
 その日も、昼間から、お風呂に入っていました。
宅配便の来る時間だと知っていたからです。
いつものように床には小さな鏡を置いておきます。
後ろを向いたまま、こっそりと窓を見るためです。
 舟を出たり入ったりしていると、表の門が開く音がしました。
かすかな音ですが、私にはハッキリと聞こえました。
私はシャワーを出し、窓に背を向けて、髪にかけました。
窓からでは背中しか見てもらえません。
お尻の大きさは分かってもらえても、もっと恥ずかしい部分は見せることが出来ません。
 それと分かっていても、私は興奮しています。
 シャワーを髪にあてながら、片手でアソコを触ります。
すこしのぼせ気味なのもあって、心地よく、頭がぼんやりとします。
そんな頭にもチャイムの音は聞こえます。
 二度続けて鳴り、しばらく、シーンとしていました。
シャワーの音だけが浴室に響いています。
鏡はしぶきに濡れながらも、窓を写しています。
そのために熱いおを使っていないのです。
床はひんやりとしていますが、のぼせた身体には、心地いいほどです。
 いつまで待っても、三度目が鳴りません。
鏡が人を写すこともありません。
私はシャワーをそのままに、立ち上がりました。
窓の外なら、内側からも見ることが出来ます。
そこに人がいるのか見たい衝動を、必死でおさえて、シャワーをとめ、舟につかりました。
舟は、窓のすぐ下なので、逆に窓からは覗けません。
冷えた身体をあたためました。
人の気配はありません。
 あとで、もう一度、お風呂はゆっくりと入ろうと、そのときは髪も洗わず、濡らしただけで、お風呂を出ました。
 いれてあったコーヒーをカップにそそぎ、スウェットを着て、タオルを頭に巻き、玄関横にあるキッチンのテーブルに座ったところでチャイムが鳴りました。
インターフォンから聞こえてきたのは宅配便屋さんの声でした。
 ものすごいタイミングです。
まるで私の様子をどこかで見ていたような、そんなタイミングのよさでした。
届いたのは通信販売で買ったビタミンです。
 私は、この人は窓から、私の裸を見たのか、それとも、シャワーの音だけ聞いて諦めたのか、そんなことを考えながら、伝票に判を押しました。
フェンス、フェチではありません。
でも、地方などにいると、このフェンスの向かう側で露出したら、まさか、見せられた人も、フェンスを昇っては来ないから、安心だろうな、と、思って、フェンスと、その向こうにある空間を見つめていたりはします。
それを見た人は、私をフェンス、フェチと思うかも知れませんね。
あるいは、新しいフェンスをデザインする、工業デザイナー。
 写真のようなフェンスに、お尻をおしつけていると、そのフェンスの隙間から、オチンチンを突きつけられたり、もしかしたら、挿入も、なんて妄想してしまします。
実は、そうしたセックスなら、嫌ではないのです。
もちろん、妄想の中だけで、現実だったら、出来ませんけどね。
 誰かが、露出の醍醐味と、尋ねていましたよね。
醍醐味ではないかもしれませんが、そうした妄想が好きなんです。
でも、妄想だけしかしないと、刺激がなくなってしまうのです。
だから、露出して、新しい刺激を求めるのです。
ただし、ちょっとの刺激を、妄想は何倍も、何十倍もにしてしまうんですけどね。
 注意はしているんですが、このブログでも、つい、興奮して、微妙に妄想が混ざることはあるんです。
最近は、話は少し大袈裟なほうがいい、なんて、ことを考えたりもします。
読んでもらえることの魔力だと思います。
でも、このブログは、露出痴女を知ってもらいたい、という動機ではじめたものですから、大袈裟な書き方はしたくありません。
でも、でも、たまに、妄想は混ざります。
あまり、真剣には読まないでくださいね。
 ところで、今、地方から帰宅したところです。
お風呂のおをためている間、コメントを読むだけのつもりが、こんなに書いてしまいました。
今日はお風呂入って休みます。
もう書きません。
自宅での露出には、こちらのリスクだけでなく、見せられる側にもリスクがあるなんて考えもしませんでした。
 そういえば、野外でオシッコをしているところを見られたときも、たいていの人は、見ないふりをして行ってしまいます。
見せていると思わなければ、逆に、痴漢と間違われるかもしれませんからね。
見るのもたいへんなんですね。
 最近、わりと近所のビジネスホテルに、露出しやすいところを見つけました。
ビジネスホテルでの露出なら、見せるのも見るのもリスクは少ないような気がするんです。
そのホテルは、偶然に見つけたのです。
 いつもなら、私は歩道橋は使いません。
でも、その日は、なんとなく歩道橋を使いました。
歩道橋の正面にはホテルがあります。
見ると窓が開いています。
部屋の中をハッキリと見ることが出来ました。
部屋には掃除のおばさんらしき人がいました。
彼女の服装まで、本当にハッキリを見えるのです。
窓の高さと歩道橋に立つ私の目の高さは、ちょうど同じぐらいなのです。
その窓は、歩道橋とは、ちょうど同じ高さなんですが、ホテルでは三階になっているようです。
 歩道橋の端からは、勇気があれば飛び移れそうな距離です。
 歩道橋ですから、人はめったに来ません。
でも、一日、そこにいれば、チャンスはたくさんありそうです。
カーテンを開けたままなのを、うっかり忘れてシャワーから出てしまったふりをすれば、全裸でも怪しまれないかもしれません。
窓を閉めたままオナニーし、クレームがきたら、部屋の中は見えないものと思っていた、と、言うのもいいかもしれません。
 ホテル三階の角に部屋はあります。
その角を除けば、他の部屋は角度的に部屋の中は見えません。
二階より下には、客室はあいりません。
そこだけなんです。
 その部屋を予約するというのもおかしいし、偶然に、その部屋にしてもらえる確率も低そうです。
妄想は膨らむのですが、実際にそこで露出するというのは難しそうです誰にいつ質問されたか忘れました。
でも、答えます。
ミニスカートなのに、階段でお尻を隠すのは当然ですよ。
もちろん、女もいろいろですが、私に限定して言うなら、当然です。
 理由はパンツを見られたくないからではありません。
パンツを平気で見せる下品な女だと思われたくないからです。
電車の中で膝に鞄を置くのも同じ理由です。
 うっかりしていたときに、男の人にパンツを見られていたら、私も露骨に嫌な顔をします。
パンツを見られたからではありません。
パンツの汚れを見られたとか、糸のほつれを見つけうれたとか、そんなことを考えてゾッとするからです。
女のパンツは外からでもそれと分かるほど汚れていることがあるからです。
 もし、そうしたことがないなら、私のように、見せたくてミニで出かけたのなら、見られても平気ですし、見てもらえないと、がっかりしたりします。
それでも、しばらく歩いた後は、やっぱり嫌なんです。
汚れたかもしれないからです。
 アソコを見られて、そこが興奮で汚れているのは見られたいけど、パンツが汚れているのは見られたくありません。
おかしいですよね。
でも、そんなものなんです。
ほんの少しの距離、正面に見えるトイレまで。
そこまで行けば、私の隠した紙袋があります。
でも、公園のベンチには高校生に見える男の子たち。
トイレは、そのベンチの裏にあります。
私はすでに全裸です。
道路と公園との間にある植え込みに身を屈めてじっとしています。
 もう一つの紙袋は、やはり植え込みの中ですが、そこまでもどるためには、公園の入り口を横切る必要があります。
高校生たちのいるベンチのほぼ正面です。
 そのまま、植え込みを移動すれば、彼らの後ろにあるトイレに入ることもできます。
でも、そのわずかな距離は、全裸の私にははてしなく遠い距離です。
 私は、その公園を何度も下見していました。
深夜の時間帯には人なんて来ないはずでした。
 植え込みには、大きな樹木と、腰ぐらいまでの木とがあり、中に潜めば全裸のままでも、どこからも見つけられそうにないほど、十分な広さがありました。
 私は、その一方で全裸になり、公園を横切って反対側にあるトイレまで行くつもりでした。
 脱ぎやすい服は、すぐに紙袋に納まりました。
公園の中央には身を隠せるようなスペースはありません。
そこを横切るには、かなりの勇気がいります。
見つからないという自信はありました。
何しろ人なんて、ほとんど通らなかったのですから。
公園だけでなく、その周辺すらシーンと静まりかえっていたのです。
 植え込みから全裸で公園に入りました。
膝まである鉄のパイプを跨ぎ、空間に立ちました。
 公園が広く感じられました。
急に心細くなりました。
でも、そこで迷うのがよくないことを、私は経験から知っています。
膝が震えるのですがガマンして、すこし歩きました。
そのとき、キー、キー、と、自転車のブレーキの音が聞こえたのです。
焦りました。
 あわてた私は、すぐ後ろの植え込みの中に飛び込みました。
植え込みには鉄パイプの柵がありますから、まさに飛び込むという感じでした。
そして身を屈めました。
植え込みに身を潜めていれば自転車は道路を行くか、公園を横切ったとしても、私の姿は発見されないはずでした。
 ところが、自転車は一台ではなかったのです二台の自転車に三人の男の子。
公園を横切ることなく、ベンチに座ってしまいました。
 そのとき、私は、しまった、と、思ったのです。
公園の入り口を越えていたので、服を脱いだ場所まで、植え込みの中を移動して、もどることができないことに気がついたのです。
 しばらくじっとしていると、身体が冷えてきました。
このまま凍死するのでは、と、不安になりました。
 しかたなく、私は、公園ではなく、道路のほうに出ることにしました。
道路の反対を歩き、入り口を越えたところで、植え込みの中に道路からもどれば、彼らからは見えないはずです。
それしかありませんでした。
 植え込みから公園に入るには、段差はありません。
ところが道路に出るには、腰ぐらいの高さから飛び降りなければなりませんでした。
それでも私は道路に出ました。
道路は、私が公園に来たときよりも明るいような気がしました。
 公園の入り口には、やはり遮蔽物がありません。
でも、道路の反対側なら、全裸には見えないかもしれません。
そう信じるしかありませんでした。
私は、端の壁に張りつき、いっきに道路を渡りました。
こちらからは何も見えません。
すぐに植え込みによじ登りました。
ものすごい格好だったと思います。
 男の子たちの様子を伺いました。
彼らは、何事もないように話をしています。
その声も少し聞こえます。
私は、服をつけました。
トイレの紙袋は諦めるつもりでした。
ところが、私が、植え込みから、道路に出ようとすると、また、キー、キー、と、ブレーキの音が聞こえました。
見ると、彼らは来たほうにもどって行きました。
 私は、その後ろ姿を追い、ゆっくりと、彼らのいたベンチまで歩きました。
ほんの少しの距離でした。
ベンチに座り、自分が横切った入り口を見ると、道路の反対側まで、しっかりと見ることができるのに驚きました。
彼らに見つからなかったのは、まっくの偶然でしかありませんでした。
 さすがの私も、ゾッとしました。
あまりのことにオナニーに結びつくような気分にもなりませんでした。
 ひさしぶりに、馴染みの飲み屋さんに行きました。
いつものメンバーは誰れも来ていません。
私は、ボックスの奥の席に一人で座りました。
背中合わせに座っていた男の人が、振り返り、私に会釈します。
の男の人です。
「寒くなりましたね」「大きなお風呂が恋しい季節ですよね」 そう言いながら、私は胸を意識しました。
この人は、セックスもしない私のおっぱいの形を知っています。
大きさ、乳首の色や形も知っているのです。
露出するつもりがなければ、私はブラをしています。
きっと銭で見る私のおっぱいより大きく見えるはずです。
そして、それが嘘だということも彼は知っているのです。
 彼は、自分の彼女の親が自分たちの結婚に反対しているというような話しをしていました。
には未来がないという理由だそうです。
 彼女は来ません。
 私は席を立ってトイレに行くことをためらいました。
立てばアソコを見られることになります。
もちろんパンツごしにです。
でも、そのパンツの奥がどうなっているか、彼は知っているのです。
 後ろを向けば、大きな、そこだけが妙に女っぽいお尻も見られてしまします。
私のラビアは後ろからでも見ることができます。
そうした女の子は少ないように思います。
そんな恥ずかしい秘密を、私とは何の関係もない彼が知っているのです。
 アルコールというよりも、そのエッチ過ぎる状況で、私はトイレをガマンできなくなってしまいました。
 トイレに立つと後ろが気になります。
あの足の間にラビアが垂れているんだ、と、そんのことを思いながら彼がお尻を見つめているような、そんな気がして、振り向きたくてしかたありませんでした。
そのときの彼の表情が見たかったんです。
 さすがにトイレオナニーするわけにも行かず、すぐに出ました。
でも、その間に来たのでしょう。
彼の前には彼女が座っていました。
そして、何故か、私の知り合いも別の席にいて、トイレから出ると、私はそちらの席に移らざるをえませんでした。
 いつものように、私は、同じような仕事でありながら、会社とは無関係の人たちと、半分、仕事、半分、ただの愚痴のような話しをして過ごしました。
 でも、その間、私はその同じ店に私のアソコまで見た人がいるということで、頭がいっぱいになっていました。
 彼は彼女にも、その事実を伝えているのでしょうか。
彼女も私の服の下の秘密を知っているのでしょうか。
そんなことばかり考えていました。
セックスをした人と、昼間、いっしょにいても、何も感じないものです。
ところが、セックスをするような関係でない人と昼間、偶然に会うと、とっても嫌な感じになります。
 視姦という言葉の意味は、よく分かりませんが、まさにそんな言葉が合う気分です。
 想像されている、淫乱なラビアと思われてる、おっぱいが小さいと知られている、と、そんなことばかり意識してしまうのです。
 もちろん、これは、私が特別にスケベな女だからなのだとは思います。
 逆に、電車の中などで、男の人の股間に目がいくということもあります。
あの中で、窮屈そうに収まっているのかな、突然、むくむくと、大きくなったりしたら、どうなるのかな、と、そんなことを考えます。
知り合いなら、なおさらです。
大きいのか、小さいのか、そんなことも考えます。
大きいからセックスしたいとか、そんなことは考えません。
ただ、大きいと不自由なのでは、と、そんなことは想像しています。
 女の人の裸も想像します。
本当に私はスケベなのだと思います。
 ところで、男の人は、他の人のオチンチンを見たいとは、思わないものなのでしょうか。
私はレズではないと思いますが、女の人のアソコは、チャンスがあれば見たいです。
男の人はどうなのでしょう。
数日前のことがあって、私は露出どころか深夜の散歩さえ、自粛していました。
夜、お風呂に入ると、全裸で外を歩くことばかり考えます。
夏にはなかった高まりです。
 思えば、夏の露出には被虐感がないのです。
暑いので裸になるというのは自然といえば自然です。
全裸にまでなる人は、それはいないでしょうけど、それほど不自然なことでもないわけです。
 でも、冬は野外に裸でいること、それだけで悲劇的なんです。
いかにも変態なんです。
それがいいんです。
 それに、夏は、もうひとつ、とても困ることがありました。
私は虫に弱いのです。
別に、女の子っぽく、虫が怖いの、なんて言うつもりはありません。
単純に虫刺されに弱いのです。
たぶん、私は普通の人より虫刺されが痒いのだと思います。
その上、痕が残りやすく、治りも遅いのです。
 冬でも私の化粧ポーチには、虫刺されの薬が入れてあります。
刺された直後に薬を塗ると治りが早いからなんです。
そこまで考えるほど、私は虫が苦手なんです。
 だから、冬のほうが、露出したくなるんです。
寒い冬の公園で全裸になってオシッコしたくなるんです。
 数日前に、脱いだ洋服を取りにもどれない、という恐怖を体験したばかりなのに、お風呂の中、この姿で外を歩きたい、寒さに凍える肌の感覚を味わいたい、と、そう思うのです。
 男の人たちは、春になると、これからは露出の季節ですね、と、言っていましたが、私には、これからが露出の季節なのだと思います。
それは本当に偶然でした。
何しろ私は急ぎの書類を作成するのに集中したくてファミレスに仕事場を変えたのです。
ファミレスには、知り合いもいないし、本やテレビもないからです。
 それはいつもの習慣でした。
私はノートPCにむかって集中していました。
 昼間のファミレスも深夜同様にお客さんが、ほとんどいません。
私は四人がけの席に座っていました。
向かいの四人がけには人がいません。
その向こうには、仕切りがあって、その仕切りの向こうに、私と同じ方向を向いて、男の人が座っていました。
肩から上しか見えませんが、それだけで若いと分かりました。
 そんなことは、最初、気にもとめなかったのですが、少しすると、彼の様子がおかしいのが気になりはじめました。
私には背中を向けていなければならないはずの彼の視線を感じるのです。
 私はテーブルの下の足が気になりました。
四人がけのテーブルです。
私の足はそのテーブルの下に隠れています。
まさかスカートの中が見えるはずがない、そう思ったのです。
私は集中していると、足を組む癖があります。
何度も足を組み代えたはずです。
 膝にくるぶしを乗せてみました。
行儀のいい態度ではありませんが、彼がスカートの中を見ているのか、確かめたかったのです。
その足の組かたなら、ミディアムのスカートでも、奥が見えてしまうはずです。
彼は反応しました。
普通に腰掛けていれば肩は完全に出る高さの背もたれからは、彼の頭した見えません。
椅子に浅く腰掛けなおしたのに違いありません。
 見てるんだ、と、思いました。
下着のことを思い出しました。
オレンジのレースです。
うっすらとヘアーが透けるようなレースです。
見られても恥ずかしいものではありません。
裏地ならともかく、表まで汚れる日でもありません。
 彼は私がPCを見ている間しかこちらを向きません。
でも、気にすれば、こちらを見ているのは、はっきりと分かります。
PCから目をはなし、コーヒーに口をつけている間は、彼も正面を向きます。
 私は、ウエストから手を入れ、彼が後ろを向いている間にパンツをずらしました。
アソコが露出したことが感覚で分かりました。
次に振り向いたら、きっちりと閉じた私のラビアを彼は見ることになります。
本当はパックリと広げて奥まで見せたかったのですが、さすがにそこまではできません。
でも、高校生にも見える彼には、ラビアだけでも十分に刺激的でしょう。
 彼は振り向いたまま、じっとしていました。
私は座りをなおすようなふりをして、スカートをお尻でめくりました。
PCの手前で私の太ももが露出します。
ストッキングの切り返しがエッチです。
私は真冬でも、パンストはつけないようにしています。
こんなことを期待しているからかもしれません。
 彼からはどこまで見えていたのか分かりません。
 不思議なもので、そんな衝撃的なことがあったのに、私は、いつの間にか、また、仕事に集中していたのです。
気がついたら彼の姿はありませんでした。
 私のアソコを思い出して小さなオチンチンをいっしょうけんめいに、しごくのかな、と、考えて興奮しました。
もしろん、オチンチンが小さいのは私の勝手な想像です。
ミニスカートで階段を上がるとき、後ろに視線を感じて振り返ると、男の子が身を屈めて覗いていたということがあります。
昔は、あわててお尻をおさえたものです。
でも、見られていないと、それはそれでショックだったものです。
嫌らしい目で見られたい。
でも、嫌らしい目は怖いから嫌い。
でも、気にもかけられなければ、それはそれだ寂しい。
 最近、ニットのミニスカートを買いました。
しかもウエストがゴムなのです。
ハーフコートにノーパンで、そのスカートをつけます。
冬にミニは違和感ですが、その分、厚く見えるタイツをつければいいのです。
前から見ただけでは、まさかノーパンには見えません。
 ハーフコートの前を開け、ポケットに手を入れて前を隠します。
スカートのウエストは、私のおなかを越えて胸の下で止まっています。
つまりアソコは剥きだしなのです。
そのまま、男の人を物色します。
ここが難しいのです。
 怖そうな人はパスです。
あまりまじめそうに見える人もパスです。
少し酔ったぐらいのおじさんが狙いです。
別におじさんが好きだからというわけではありません。
走らされたときに、さすがに、おじさんには負ける気がしないので、いいのです。
 とくに好きなのは、歩いているだけで酔っているのが分かるほど泥酔している人です。
 すれ違う瞬間、私は、コートの前をはだけます。
アソコが晒されます。
下半身には何もありません。
ヘアーの下にラビアも露出しているはずです。
 もっとも、すれ違った人には、私の、前からでもハッキリと露出してしまっているラビアまでは見えないことでしょう。
 たいていは、私の妄想が盛り上がるだけで、何もありません。
勇気がないので、はだけるタイミングも悪いのです。
 でも、なかには、すれ違ったあとに、逆もどりして、私を見る人もいます。
そんな人には、本当はアソコを見せてあげたいのです。
そんな勇気は絶対にありませんが。
 私は男の人とすれ違った瞬間にスカートを下げます。
ゴムなのでかんたんなのです。
そして、今度はポケットに入れた両手を左右に広げるのです。
下半身裸だったのではなく。
黒のミニだったのだと見せるためです。
 たったそれだけのことです。
でも、たったそれだけの妄想が、私にはものすごい刺激なのです。
「今、アソコ出して歩いてたでしょう。ごまかしても分かりますよ。そのスカートまくって見せてください」 そんなことを言う人がいるはずはないのですが、私はすれ違った人がもどって来て、そう言うのではないかと考えて、ドキドキしてしまうのです。
 今の人は、確実に見た、今度こそ何か言われる、もしかしたら、いけないことをした罰で、スカートを脱がされるかもしれない、と、そんなことを想像すると、私はニット越しにアソコに触れてしまします。
濡れていくのが分かるような気がします。
それほど興奮しているのです。
今、まさに出かけて、今日は仕事でもどれないのね、って、思いながらブログのコメントを、つい、うっかり読んでしまいました。
もう時間がないんです。
 yuinorさんのコメントに、どうしても刺激されて、一言だけ。
 私は鏡の前で、よくオナニーしてます。
椅子に座って、スカートの中を鏡に映して、ああ、こんにハッキリ見えてしまうんだ、とか、少し前屈みになって、こうすると、お尻の穴の皺まで分かっちゃうんだ、とか、そんなことを考えるんです。
 巻きスカートを足で踏んで落とす練習をしたりもします。
 そうしてオナニーすることは、実際に露出して、誰れかに見られたときのことを思い出してオナニーするより興奮したりします。
その中で、私がもっとも好きなのは、鏡を真下に置いて、それを跨いで立つことです。
こんな真下から見られたら、どんなに恥ずかしいだろうと想像して、オナニーするんです。
和式トイレのように、しゃがんで、覗かれるのを想像したりもします。
鏡に少しだけ、オシッコを垂らすということもしました。
家の中でなら、どんなに大胆なことをしても平気ですからね。
でも、一人でそんなことをした後には、こんなに変態でいいのか、と、自己嫌悪におちいったりもします。
 実際の露出より、変態度は、部屋で一人で、露出のトレーニングしていることのほうが、大きいと私は思うのです。
どうでしょうか。
私はランキングについては、気にしたことがありません。
気にしたことがない、と、もう何度となく書いているあたりが、実は気にしていそうですが、本当に気にしていません。
 少なくとも、それを毎日チェックするようなことはしていません。
 ランキングは気になりませんが、読者登録のことは、気になります。
コメントをつけてくれた人が、自分のブログで、どんなことを書いているのかも気になります。
 だからといって、自分のランキングを上げるために、あるいは、自分のブログにコメントをつけて欲しさに、そこにコメントを必ず残すということもしません。
 けっこう慇懃無礼なブログを運営しているな、と、自分でも、そう思っているほどです。
 そのくせ、どうして、読者登録だけは、そんなにも気にし、わざわざ、相手のブログまで読みに行ったりするのか、それは、私にとって、読者登録する人たちが意外だったからなんです。
 こんなブログですから、まず、読者登録なんてないし、あっても、風俗関係の業者ばかりだと思っていました。
ところが、けっこう普通の人が平気で読者登録していたので、まずは驚いたのです。
最初に親しくなったのが女性というのも意外でした。
しかもエッチ系ではなく、まじめな保育関係の方でした。
 私のブログの内容は、女の敵で、男にとっても都合の悪い女だと思っていたのです。
もっと、彼を募集するとか、男に媚びた感じのほうがいいのだろうな、と、思ったりしていました。
ランキングを気にしたりはしませんが、あまりにも、誰れも読んでくれなかったら、それも寂しいですよね。
 読んでもらうためには、男に言われて、露出して、感じて濡れました、と、そんな内容のほうがいいと思ったりもしました。
結果、やっぱり私らしい、ワガママなブログとなっていますが。
 私のところに読者登録してくれる人に、女性が多かったことに驚いています。
こんな女、私なら、嫌いです。
女は男によって変わるし、好きな男のために露出でも何でも、するんだ、と、主張しなければいけないと思っていたからです。
実際、社会では、まだまだ、そんなものです。
性に積極的な女は女に嫌われます。
オチンチンを見たいとか、アソコを見せたい女がいることを、女が一番隠しておきたいらしいのです。
そんな女のタブーを犯し、男のためでない、自分の快感のための性を享受している女の話しは、女だけでなく、男にとっても嫌だろうな、と、思っていました。
 だから、私のブログに読者登録してくれる人、コメントしてくれる人のブログに興味があったのです。
いえ、今も興味があります。
自分のブログを書くのに必死で、あまり、見に行けませんが、それでも、けっこう見てます。
好奇心を刺激されるのです。
それは、男でも女でも。
 もっとも、そのくせ、コメントは、めったに書きません。
女の人には、よけいにコメントしてません。
正直、女の人が苦手なんです。
 この機会にお詫びしておきます。
私がブログを書く理由。
 かんたんです。
私を知ってもらいたかったからです。
女はみんな、男のために性的なことをするんだって、女には主体的な性欲はないんだって、そんな考えを否定するためです。
酷い人は、女のアソコは男のサイズに合ってくるんだって言います。
それが嘘でも本当でも、嫌な話しです。
オチンチンが女のサイズに合ってくるっていう話しは、聞きません。
でも、多くの女の子のブログは、やっぱり男の人に書かされていたり、風俗の宣伝だったりしました。
だから、男が好きそうなことばかり書いてあるんです。
そんなブログを否定したかったんです。
女にだって性欲はあるし、女だってオチンチンを見たいし、女だって変態も、フェティシズムもあるって、知って欲しかったんです。
 お金になることを望まないわけではありません。
お金って欲しいですよね。
でも、お金のためには書きません。
それだけです。
 お金のためでないのに、どうして気を使うのか、それが、世の中だからですよ。
露出ということで、私は迷惑な存在なんです。
でも、それは止められません。
せめて露出していないところでは、普通でありたいんです。
あいさつされたら、知らない人でも、あいさつをして返す、そんな普通でありたいんです。
でも、それが、なかなか出来ないので、ごめんなさい、と、言う、そんな普通でありたいんです。
それだけです。
 最近、体調が悪く、露出していませんでした。
かぜかな。
そんなときには、なんとなくコメントに答えますが、露出したときには、その話ししか書きません。
それも、お詫びしておきます。
こうした話しはたいせつですが、つまらないと思うのです。
書いている私もつまらないのです。
 私は後から読んでオナニーできるものを書きたいし、私が書いたものでオナニーする男の人を想像するのが好きなんです。
昨日は、朝からずっと寝ていました。
そんのに具合は悪くありません。
予定していた仕事が早く終わったので、たまには、休んでもいいかな、と、そう思って家にいたんです。
 そんなときには、普通なら朝から露出のことばかり考えるのですが、昨日は、布団から出ることをせずに、寝ながら本ばかり読んでいました。
珍しくパソコンも見ませんでした。
 布団には全裸ではいってます。
布団が肌に擦れる感覚が好きなのです。
疲れると、目を閉じてウトウトします。
その反動でしょうか。
今日は、飲みに行ってしましました。
まだ、鼻はグシュグシュなのに。
 私は女にしては珍しいほど、寒さに強かったのです。
でも、今年はどうしたのでしょう。
寒さに弱くなりました。
こんな時期から風邪気味なのも珍しいのです。
やっぱり若くなくなってきてるのかなあ。
男の人たちは、おっぱいが大きいとか、お尻がいいとか、上つきとか、下つきとか、とにかく、意味があってもなくても、女の身体のことを話すのが好きですよね。
実は、女どうしでも、エッチな話しをするのは、女の身体のことが多いんです。
 オチンチンが大きいと痛いとか、気持ちいいとか、可愛いから小さなオチンチンが好きとか、逞しくて男らしいから大きくて太いオチンチンが好きとか、そんな話しというのは、女どうしでも、あまりしません。
私は、彼氏のいる女の子には、オチンチンのサイズや形や硬さについて聞きたいと思ってしまうのです。
 こんなオチンチンを入れてみたい、と、言う女の子がいればいいのに、と考えるのです。
でも、実際には、そんなことを言う女の子はいません。
たまにエッチな話しが好きな女の子がいたとしてもセックスのテクニックの話しや愚痴を言う女の子ぐらいです。
私ぐらいなのかもしれません。
オチンチンの話しが好きな女というのは。
オチンチンの話しだけするブログがあれば、私はそこの常連になりそう。
 それから、私が小さくて包茎のオチンチンが好きと書くのは、もちろん、彼氏だったら、という話しではありません。
セックスしない、オチンチンです。
大きなオチンチンより、小さいのに、めいいっぱい大きく硬くなっているオチンチンのほうがエッチに見えるからなんです。
その上、包茎だと、なんだか恥ずかしがってるみたいでいいんです。
小さいのに威張っているオチンチンよりいいかなって思うんです。
 セックスするオチンチンは、正直、全て嫌いかもしれません。
昨夜は、夕方から飲みに行き、帰宅後にブログを書いていました。
いろいろな人のブログに遊びに行ったりしている内に、やっぱり外に行きたくなりました。
もうすぐにも夜が明けてしまうから、ほんの一時間ぐらいの散歩になりそうでした。
次の日のことを考えるなら、ちょうどいい時間でした。
露出ができなくても、ミニで行けば、路上でオシッコするぐらいのチャンスはあるかもしれない、とも思いました。
 ノーパンで行けば、立ちションも出来るかもしれません。
立ちションは、私がもっとも好きなことです。
理由は、それがもっとも恥ずかしいことだからです。
 フラフラと、ノーパンのまま歩きます。
ミニハーフコートに隠れて見えません。
でも、コートの前をはだければ、女子高生のようなミニのフレアースカートです。
昼間、同じ格好で歩いていたら、露出なんかしなくても変態女です。
 河原のほうまで行き、河原の遊歩道の真ん中でオシッコをしよう、と、思いました。
そう考えただけで、私の妄想は、それを覗かれる、近くで見られる、そんなものになります。
腰を突き出し、男の人のようにオシッコを飛ばしていたらどうでしょう。
見た人は酔っ払い女というよりは、やはり変態がいると思うのでしょうね。
 そんなことを考えながら、フラフラと歩いていましたが、さすがに時間は深夜から朝に移行しつつあるようで、まだ暗い朝の散歩らしい人たち。
仕事を始める人。
新聞屋さん。
とても露出できるような状況ではありませんでした。
ほんの少しの時間の差で、朝の人に、歩いている人が変わるのです。
それも、深夜の不思議ですよね。
 結局、露出しないまま、私も散歩だけで帰りました。
この時間まで家で仕事をしていたのではなく、この時間まで、会社にいたのです。
それもたった一人で。
露出のチャンスは、たくさんあるかもしれませんが、何かあったら、私ひとりで、どうしろというのでしょう。
もちろん、私が犯されるという、それぐらいなら、いいのですが、強盗ということもあるわけですよね。
いえ、普通に考えたら、そっちのほうが不安ですよね。
私は逃げることもできません。
だいたい、こんな時間に女一人でいるはずもなく、来るとすれば、やはり、強姦ではなく強盗ですよね。
 と、そんな心配をしながら、仕事していました。
 それでも、会社を出るまでは、露出でもして帰ろうかと思っていました。
この時間なら、公園もいい、あの駅の商店街もいい、そんなことを考えていました。
でも、外があまりにも寒いので、くじけて家にもどりました。
ブログを見て、メールをチェックして、それで、もうオナニーする気力もありません。
このブログをはじめた頃も冬でした。
私はみんなが、冬は寒いから露出は無理ですよね、という話しが理解できませんでした。
真冬だから露出はいいのに、と、思っていたのです。
 それが、どうしたのでしょう。
寒さにめげてしまうなんて、こんな夜は、お風呂にはいって、オナニーもしないで寝ちゃうべきですよね。
 寒いとやっぱり露出は無理なのかな。
事情があって知り合いの会社更衣室を借りました。
別に下着まで着替える必要はありません。
そもそも会社更衣室全裸になるような状況ってありませんよね。
 でも、私はその更衣室に入ったときに、全裸になりたいと思ってしまったんです。
 カーテンがあいていて、そこから、前のオフィスの男子トイレが見えたのです。
見えるのは、オシッコしているらしい人の顔だけです。
こちらに向いたトイレの窓らしいところから、顔だけが見えるのです。
何故か私は、一瞬それを見ただけで、オシッコしている男の人だ、トイレの窓なんだ、と、分かってしまいました。
あんな不自然な高さの窓は少ないからだったかもしれません。
 更衣室には、中からカギがかかります。
女の子から「中でタバコも吸えますから」と、言われました。
その会社は社内禁煙なんです。
 時間がかかったとしても、タバコでも吸いながら休憩していると思ってもらえそうです。
 私はカーテンをさらに、大きく開けて、ロッカーの横に立ちました。
そんなところで着替える人はいないでのでしょう。
たとえカーテンが開いていても、そこに立ちさえしなければ、中の様子は見えないかもしれません。
でも、そこに立てば、全身を見られてしましそうなのです。
なにしろ、向こうは上なのですから。
 服を脱ぐには、勇気がいりました。
なにしろ、私は着替えのために更衣室に入ったわけではないのです。
カギをかけていても他人の会社です。
誰れがカギを開けて入って来ないともかぎりません。
そのとき、私が裸になっていたら、不自然なんです。
 後ろを向いてジャケットをとりました。
ニットのシャツに手をかけて横を向きました。
男の人の顔が見えます。
私にはその顔が、こちらを意識しているように見えました。
私は、シャツを脱ぎました。
上半身にはブラだけです。
そのままスカートに手をかけました。
タイトなスカートを脱ぐのに手間取るふりをして、パンツをスカートといっしょに下げました。
お尻がプリンと飛び出します。
そこでもう一度窓の外を見たのですが、そこには、すでに人の姿はありませんでした。
 それでも、私は全裸になりました。
そして、ブラとパンツをカバンに入れました。
いざというときには、服だけを着ればいいようにしておくのです。
ノックされてから、あわてて下着をつけるのは大変ですが、服だけ着るなら、たいして時間はかからないはずなんです。
 全裸のまま窓のところに立ちました。
カーテンが開いていることに気がつかなかったようなふりで、窓の前に行きます。
ハッとしたような顔で上を向くと、タバコをくわえた男の人がこちらを見ています。
 私はあわてたようなふりで、カーテンに手をかけます。
カーテンがしまらない、何かを確かめるように、カーテンの上に手を伸ばします。
片手でオッパイを隠してはいますが、何もかもが見えているはずです。
 男の人は表情を変えません。
それが私を興奮させます。
 オッパイ、ヘアー、腰のライン、後ろを向けばお尻のラインまで、何もかも見られるのです。
しかも、その人はオチンチンを出したまま、それを見ているはずなんです。
あわてた私は、そのまま、後ろを向き、室内の何かを気にしているような素振りで、前屈みになりました。
お尻の割れた部分の奥を見せたかったからです。
そうしておいて、振り向くと、その男の人は、まだ、こちらを見ていました。
完全に見られたと思いました。
その瞬間、アソコが濡れるのに気がつきました。
油断していたために、床を少しだけ汚してしましました。
それほど興奮していたのです。
 もっともっと、その行為を繰り返したかったのですが、あまり長い時間そこにいたら、変な意味の誤解を受けそうだし、だいいちに迷惑なので諦めました。
 でも、その後も仕事をしながら、あの男の人は更衣室全裸の私を見てどう思ったのか、何を空想したのかを考えて興奮していました。
おかしいんですけど、家に帰って、私はその人の空想を想像しながらオナニーしてしまいました。
それは、女子社員のいじめに遭った私が、みんなのいるバスに乗りました。
昔はよくバスを使っていましたが、車を持つようになると、すっかり乗らなくなっていました。
 バスはすいていました。
私はどこに座ってもよかったのですが、後部の席に座りました。
途中にステップがあり、それを昇って後部に向かいます。
以前には、そうした段差のようなものはなかったと思うのですが、記憶違いかもしれません。
 最後部の席は二人掛けの後ろにあります。
その二人掛けの後ろに座ったのですが、そのとき、私はバスの座席の構造がおかしいことに気がつきました。
おかしいと言っても、それは私にとっておかしいだけです。
 真ん中の席に座ると、腰の高さが通路のスッテプの下に立つ人の目の高さぐらいなんです。
 少し膝を広げれば、スカートの中は、目の高さで、かなりハッキリ見えてしまうはずです。
 私がそこに座ったときには、誰れも立つ人はいません。
でも、バスに乗って来た直後なら、誰れの目線も私のほうに向くはずです。
そして男の人なら、スカートの中を見るはずなんです。
座席の後ろに隠れれば、パンツを脱ぐことも可能です。
その後、座席を移動するふりして真ん中に座りなおせば、バスに乗って来た人は、ノーパンになった私のスカートの中を見ることになるんです。
 でも、どうしようかと迷っているうちに、私の隣りに人が座ってしましました。
バスのあの席、もう一度、挑戦してみたい、バスもたまには、いいものですね。
イヴの夜に一人なんて寂しいでしょ、出ておいでよ、という電話が朝から三本も入りました。
ありがたいのですが、私は寂しくありません。
 仕事はみんなの都合で早く終わります。
 私は早めに帰宅して、それから、ネットでウインドショッピングです。
普段は、ゆっくりと洋服を見ている時間もないので、この日ばかりはと、ゆっくり見てまわります。
気にいった服を探すのもそうなのですが、もうひとつ。
私は、外のサイトで、露出用としか思えない、露出度の高い服を探すのも好きなんです。
 鹿鳴館の映像製作に協力するので、外サイトで、好きな露出用の服を買うことが許されています。
自分のお金で買うには抵抗のある、本当に露出にしかつけられないような服を帰るのは嬉しいことです。
彼とすごすイヴなんかより、よっぽど私にとっては楽しい夜です。
の名前は「深夜になると、フラフラと歩きまわる女」という意味でいた。
でも、最近は「深夜まで働く女」になっています。
 露出の暇も気力もありません。
 でも、ここ数日、メールだけですが、私の露出の方法をビデオ化したいという話しをしていて、私も、その話しには、興味があって、いろいろ協力しているのですが、そこで、また、妄想がふくらんでいます。
 本当は、真冬に露出なんか出来ません。
でも、私は撮影だからという理由で、全裸にされます。
泣いて抵抗しますが、撮影のために、たいへんなお金がかかっているので、もう、撮影をやめることは出来ないと脅されるのです。
寒くて、恥ずかしくて、私は歩けません。
そんな私にスタッフの人たちは、オシッコをかけて暖めてあげると言うのです。
 と、自分が撮影されるわけでもないのに、そんなことを妄想してしまうのです。
撮影に立ち合う話しが、撮影されるに、私の中で変わってしまっているのでしょう。
そして、本当は、別の女の人がやるのに、自分が主役にでもなったつもりで妄想しているのです。
いえ、本当は、撮影して欲しいのかもしれません。
たぶん、そんな勇気がないだけで…… それに、私が出たのでは、そのビデオは売れないでしょうしね。
あまりの寒さに裸になる勇気もないまま、それでも、コートの下にはミニスカートその下はノーパンという格好で、フラフラしていました。
この二日ほどは忙し過ぎて、露出どこらか散歩さえ出来ませんでした。
最近はあまり見なくなったレザーのロングコートです。
去年は一度も着ることがなかったように思います。
 でも、今年の寒さは、流行りなんて気にしていられません。
 あまりの寒さのせいでしょうか。
酔って公園のベンチに座っている人もいません。
去年は、死なないかしら、と、本気で心配になるぐらい、ぐっすり寝ている人を見ました。
あれも冬だったと思います。
私はそんな酔っ払いの横で、オシッコしたこともあります。
 あの頃には、誰れかの命令でしていました。
命令されているから、仕方なく私はそれをしているんだ、と、思いたかったのです。
でも、最近は完全に自らの意志でやっていました。
 それなのに、この寒さでは、やっぱり全裸には無理があるのかもしれませんね。
コートだって、紙袋にかんたんに隠せるかさではありません。
かさばるのです。
せめてこのスカートだけでも、どこかで取りたい、そう思ったまま、結局、家まで帰り着いてしまいました。
 お風呂であたたまると、このままなら全裸で歩けるかもしれないと思います。
この寒さなら、人なんていないから、自販機で何かを買って帰るぐらいなら出来るかもしれない、と、思います。
でも、身体はおから出ると、たちまち冷えていきます。
コメントで誰れかが言ってましたが、冗談でなく、こんな寒さに露出なんかしてたら、本当に凍死してしまうかもしれません。
 あんなに冬のほうがいい、と、言っていたのに、情けないです。
でも、どうしても買い物に行く必要があって、外に出ました。
さすがに、人が少ないのです。
このあたりは、休日のほうが人が少ないようなのです。
近所ですますつもりで出たのに、車を出しました。
いつも行くコーヒー屋さんは、今日も営業していました。
でも、人は、いくらもいません。
奥の席に学生と思われるカップルが一組だけです。
私はコーヒーを飲み、トイレで、ノーパンになりました。
 いつもなら、車の通りが激しい住宅街の道にも車の姿はありません。
路上に車を停めて、しばらく、じっとしていると、一台、車が横を通り抜けて行きました。
その程度なんです。
 私は、車を降り、少し歩きました。
 それほど車から離れていない駐車場に、しゃがみました。
いつもなら、そんなことはしません。
ナンバーを覚えられることを警戒するからです。
でも、今日はそんな雰囲気ではないのです。
 私は、ジェケットをめくりました。
ミニのスカートは、タイトなので、たくしあげるとウエストでとまります。
下半身裸の状態です。
それでも、ジャケットがお尻を隠してしまします。
オシッコはすぐに出ました。
実はコーヒー屋さんで、すでにオシッコしたかったのに、パンツを脱ぐだけでオシッコはガマンしたからです。
 オシッコが白い煙になっていきます。
遠めにも、それと分かりそうなほどの気です。
こんなにもたくさんのオシッコを女の子がするものでしょうか。
しかも外なんです。
あまりの勢いと量に、本当に恥ずかしくなりました。
いつもなら、感じないのですが、たちこめた気がそれを感じさせるのです。
こんな下品なオシッコをする女なのだと、誰れかに見て、知って欲しいのです。
チョロチョロと可愛らしいオシッコなんか出来ません。
ジョージョーと恥ずかしい音をたててしまうのです。
でも、そんな恥ずかしいオシッコだからこそ、見られたいのです。
  たったそれだけの、ほんの数分の行為でも、今日は興奮しました。
 おやじさん、注意してくださいね。
 私は、自分も野外でオシッコするし、オシッコするふりしながらオチンチンを見せる男の人は、平気、というより好きなんですけど、でも、立ちションしている男の人は嫌いなんです。
 このあたり、ものすごい勝手な論理だと、自分でも思うのですが、仕方ないのです。
そして、実は、多くの女たちが、そう感じているのではないかと思います。
痴漢も、もちろん、女の敵ですよね。
でも、女って、けっこう勝手なので、自分が被害者にならなければ、どうでもいいようなところがあるんです。
そりに比べ、立ちションなんて、普通に思えるでしょう。
でも、だらしなくて嫌なんです。
トイレまで、ガマンすることも出来ずに、オチンチン出して、平気で汚いオシッコをする、それが嫌なんです。
立ちションしている男の人を見ると、あんな人が恋人や父親やじゃなくてよかった、と、私は思ってしまいます。
 オチンチンは見られたくない、オシッコしているところを見られるのはもっと恥ずかしい、でも、外で立ちションしている、それでなければ嫌なんです。
 おやじさんは、そんな恥じらいのある人だと思いますけど、注意してくださいね。
彼女や、奥さん、もしかしたら、娘さんの前では、間違っても立ちションなんがしちゃダメですよ。
きっと嫌われちゃいますよ。
おやじさんのコメントで、もうひとつ書かせてください。
 私はこんな女ですから、最近は珍しい共用トイレなんかでも、オチンチンを見せられる、いえ、見てしまうことが多いんですね。
でも、オチンチンは、たいてい汚いというのが私の印象なんです。
なんとなく、ドブ川のような色に思えるんですね。
 ところが、露出痴漢をする人がいるでしょう。
その人たちのオチンチンって、綺麗なような気がするのです。
色も肌色か少しピンクがかっていて、黒い印象がないんです。
セックス体験は多いほうではないのですが、そこで見せられるオチンチンも、けっこう汚いような気がするんです。
 特に、亀頭の部分が汚いんです。
 最初は、包茎と関係があるのかと思ったのですが、実は、露出痴漢の人も包茎の人が多いんです。
でも、全体も亀頭もピンクっぽくて綺麗なんですよね。
どうしてなのかは分かりません。
 普通に立ちションしている人のオチンチンも、汚いんですよね。
 これは、状況が、そう思わせているだけなのでしょうか、それとも、理由があるのでしょうか、私には分かりません。
 そうそう、今、鹿鳴館 に書き込みしました。
今日から私のコーナーもはじまります。
よかったら見に来てください。
 またまた、いけないことをしてしましました。
 帰省していた知り合いの女の子が、五日の荷物をどうしても受け取りたいので、前日から泊まっていて欲しいと、昨年から、言われていたのです。
そのかわりに、冷蔵庫のものは自由に食べていいよ、と、そういう条件でした。
もちろん、他人の冷蔵庫が目当てではありません。
 四日の夜、彼女のマンションに行きました。
何度か訪れたことのあるマンションですが、主のいないマンションに深夜、訪問するのは、なんとなく後ろめたく、変な気分でした。
 さっそく、私は窓をチェックしました。
遊びに来たときに気になっていたのは、寝室の窓です。
ベッドが向かいのマンションから見えるのではないかと思ったのです。
でも、角度がうまく調整されていて、向かいのマンションの窓はこちらから見えませんでした。
つまり、向こうからも見られることはないんです。
 それでも、他人の家、女の子の家とはいえ、全裸で過ごすのには奇妙な快感がありました。
 そして、問題の翌日(今日)私は午前中に配達のあることが分かっていました。
それを午後からと勘違いしていることにしました。
午後には、彼女ももどる予定なのにです。
 お風呂をいれ、朝から入りました。
二度、沸かしなおしたところで、チャイムが鳴りました。
オートロックなので、配達の人の姿が見えています。
私は無言でドアのロックをはずしました。
これなら、気がつかなかったと、言い訳できると思ったのです。
お風呂につかりました。
少し待つと、部屋のインターフォンが鳴りました。
私はあわてたふりで、出ました。
「あ、あれ、下のドア、あいてました、ちょ、ちょっと待ってください、今、ドアを開けます」と、言いながら、バスタオルを巻いただけの姿で、ドアを開けました。
「え、そんな大きなものなんですね」「ええ、重いですよ。だいじょうぶですか」 荷物は大型のスーツケースが二つです。
実家から彼女自身が送ったものです。
果物や缶詰なども入れていたので、かなり重いものでした。
私は荷物を、玄関の中に入れてもらいました。
 そして「ちょっと、手伝ってよ、もう、私だって恥ずかしいんだから」と、お風呂に向かって叫びました。
船に沈めたシャワーが全開になっているので、おのこぼれる音がしています。
いかにも、もう一人の女の子がお風呂に入っているふうを装ったのです。
「ハンコウか、あの、サインでもいいんですけど」 印鑑は、奥のテーブルです。
わざとそこに置いたのです。
「あ、はい、ちょっと、待ってください、あっ」 印鑑を取りに行くのに、背を向けた瞬間、私はタオルを落としました。
あわてて拾うときには、前屈みになります。
後ろから、私のアソコがはっきりと見えているはずです。
バスタオルを拾い、あわてて身体に巻きます。
何度も練習していたことなのに、そのときの焦りは、焦ったふりではありません。
本当に焦っているのです。
タオルも、本当にうまく巻けません。
手が震えているのです。
「印鑑」と言葉に出しながら、それを持って振り返るとき、椅子に引っかかったタオルが外れます。
玄関に向かっていたので、全裸のまま歩き、タオルは私の後ろです。
椅子にタオルを引っかけるところを作っておいたのです。
男の人の前で、オッパイを隠したり、後ろを向いたり、あたふたしました。
半分演技で半分本気です。
「すいません」と、言いながら、私はとりあえず腰を引いて印鑑を先に渡しました。
そして、まだ、タオルを拾うべきなのか、アソコを隠してしゃがみこむべきなのか迷って、あたふたしていました。
意外にも、男の人は、ニコニコしながら「だいじょうぶですから、あわてないでください」と、冷静なんです。
そして、全裸の私から印鑑を受け取ると、何事もないように、伝票にそれを押しました。
そして、一枚を、スーツケースの上に置き「ありがとうございました」と、私に背を向けたのです。
その背中を見ながら、私は自分のその部分に指をあてがいました。
ものすごく濡れていました。
汚い言い方ですが、まさに、絵に描いたような「ビチャビチャ」でした。
 知り合いがもどると、私は一応、配達が午後だと思って油断して朝からお風呂にはいっていたら、そこに来てしまってあわててしまったと話しました。
裸を見られたとまでは言いませんでした。
そこまでは、配達の人も言わないでしょうから。
 彼女が実家からせしめてきたお歳暮のあまりをいくつかもらいました。
 家にもどってから、タオルを巻いたり落としたりしては、オナニーをしました。
普通に仕事で宅配をしている人にとっては、全裸の女は、嬉しいというより、かなり迷惑なのではないかと思います。
昼間の冷静な時間帯には、これでも反省したりはしているのです。
 それでも、私は彼の冷静な態度と、冷たい口調を思い出しては、オナニーしていまします。
もちろん、彼が「どうせなら、奥まで見せてくださいよ」と、言ってくれることも期待しているのだとは思います。
そうしたら、私は、アソコを広げて、襞の奥まで見せると思います。
それが、どんなに気持ちいいかを想像しても、確かに濡れるのですから、そんな期待がないと言えば、きっと、嘘になります。
 でも、オナニーするには、あの冷たい目がいいんです。
 彼氏にでも強制されて、やらされているのだろう、なんて可哀想な女の子なんだ、って、そう思われたのではないかと想像すると濡れるのです。
興奮するのです。
あんな汚いもの、見られても恥ずかしくないなんて、なんて、下品でだめな女の子なんだ、とも、思われているようで、それも興奮します。
見るに値しない女の裸、そう思われるのがいいんです。
そう思われて、背を向けられるのがいいんです。
まさに、昨日の状態です。
 でも、そんなこと、セックスする相手にセックスの前に思われたら、たぶん、私は死にたくなります。
 でも、露出をしている私は、何故かそう思われることを望んでいるのです。
おかしいですよね。
 でも、ばかりの変な文章、やっぱり、まだ、昨日の興奮を引きずっているのかもしれません。
私は、少し、男の人をなめています。
怖いと言いながら、怖いので、いろいろ、安全対策を考えながら、そのくせ、どこかで、やっぱりなめています。
 レイプとか、暴力、強盗、そんな事件はたくさんあります。
でも、私は、意外なほど怖い目に遭わないのです。
怖いといえば、ネットで知り合って、露出に協力すると言った人のほうが、よっぽど怖かったですね。
たぶん、その人たちは、私が女一人だと思うからだと思います。
 でも、露出しているときに遭遇する人は、どこかに、カメラがあるとか、彼氏がいるとか、そっちを疑うみたになんです。
まさか女一人で露出なんかするはずない、と、思うのではないでしょうか。
中には、後から怖い男の人が出てくるんじゃないの、と、言う人もいたぐらいですから。
 そんなことで安心していたら、きっと、いつかは怖い目に遭うんでしょうけどね。
やっぱり全裸になって外を歩くことは、裸を見せること以上の快感があります。
遠くから、あそこに変態がいる、しかも女の変態だ、と思われることは、私にいろいろなことを想像させるからです。
私を見た人が、その後、私がどうして全裸で外にいたのかを想像して、どんなオナニーをするんだろう、そう思って興奮してしまうのです。
 全裸になりたい、そう思って、下着をつけずに、ロングの巻きスカート、ブラはつけないのに、上半身はかなりの厚着というアンバランスな服装で外に出ました。
ジャケットもお尻が完全に隠れるものを羽織りました。
靴下はつけずに、スニーカーをはきました。
ところが、寒いのです。
足が凍りつくかと思うほど冷たくなりました。
ガマンして歩いたのですが、ジャケットもスカートもあるのに、ノーパンなのがはっきりと自分で分かるほど、冷たくなるのです。
 上はすべてフロントのファスナーです。
重ね着です。
脱ぐのも着るのも早いからです。
車に乗り、少しはなれたところまで行き、そこで全裸になるつもりでした。
無理でした。
 この寒さでは露出は無理と、私は目についた24時間のコーヒー屋さんに入りました。
そこで、巻きスカートを落とし下半身裸になるという、いつか誰れかに出してもらったアイディアを思い出しました。
でも、そのためには、同じ巻きスカートでも、少し改良が必要なんです。
ロングなので踏むことはできそうです。
でも、踏んだぐらいでは、はらりと落ちることはないのです。
こんなことなら、すぐに落ちてしまうスカートにすればよかったと後悔しました。
 何しろ、お店には、一人でコーヒーを飲む男の人が二人いるだけなんです。
そうしたアクシデントの露出をするには、いい条件なんです。
いっそ、スカートを脱いでしまいたいとも思ったのですが、お店に入り、ジャケットを脱いだら、腰を覆うものはスカートしかないのです。
さすがの私も、下半身完全に裸のまま、明るい店内を歩く勇気はありません。
それでも、何か、ちょっとした露出でもいい、何かしたい、と、そんなことを思いながらトイレに行きました。
トイレは男女共用の洗面があり、中の個室が男性用と女性用に分かれているというタイプのものでした。
私は鏡の前で、スカートを開きました。
二重に巻かれたスカートの中には、黒いものが見え、少し足を開くと、嫌らしく垂れ下がったものも見えました。
そこはカギのかかる洗面ですから、誰れも入って来ません。
このままドアを開け、さりげなくスカートを持って席にもどっても誰れも気がつかないかもしれない、と思いました。
自分の席でスカートをつけることは、巻きスカートなら可能です。
 急にドキドキし、興奮してきました。
 ドアを開けました。
でも、そこで、スカートを巻いてしまったのです。
誰れに気がつかれたわけでも、誰れかが、こちらを見ようとしていたわけでもないのに、私はあわててスカートを巻いてしましました。
腰のところに手をかけたまま席に座り、スカートをきちんとつけました。
やっぱり、誰れも私を気にしている様子はありませんでした。
こんなことなら、ここまでスカートなしでも来られたのにと、後悔しました。
 思えば、それをしたからって、誰れかに見られていないなら同じことなんです。
それなのに、トイレから席までの、ほんの数メートルを歩けないことを後悔してしまうのです。
不思議ですよね。
歩けたところで何もないのに…… 私の露出は、数秒で終わりました。
興奮と後悔が露出の勇気を与えたと思ったのですが、その気持ちは、外に出た瞬間になくなりました。
外で全裸になることは、やはり無理でした。
 今度は、あの店で、巻きスカートを落としてみるつもりです。
少し改良をくわえた巻きスカートで。
 仕事の関係で飲みに行きました。
仕事ですから、露出のことなんか考えてもいませんでした。
ところが、トイレに入った瞬間から、私の頭は露出一色になってしまいました。
 トイレはいまどき珍しい和式トイレです。
しかも、店の奥、構造は分かりませんが、少し店を出たような場所にあるのです。
ひとつめのドアにはカギがありません。
そのドアを入ると、洗面台に背を向けるように個室のドアがあります。
 個室のカギをしないままトイレに入れば、というコメントにそそのかされていたのもあります。
そうでなくても、このトイレの構造を見たら露出したくなったかもしれません。
 便器はドアに背を向けるタイプなのでした。
個室でなく、洗面に立つと、トイレに向かう通路が、ドアの換気窓のようなところから、かすかに見えるのです。
二度目のトイレのときに、その窓の隙からは、洗面の中が見えないことを確認しました。
 そして、三度目のときには、あえて個室に入らず洗面で待ちました。
窓の隙から、通路を見つめていました。
飲み屋さんですから、トイレはそれほどすいていません。
すぐに男の人が通路に見えました。
 私はあわててトイレに入り、ジーンズをパンツごと脱いで片手に持ち、便器にしゃがみました。
下半身は完全に裸の状態です。
その状態で、お尻をすこし高く上げました。
パンツをつけていたって恥ずかしい格好です。
両足が広がっていますから、アソコもパックリと割れているはずです。
お尻の穴もアソコの奥も、しっかりと見えてしますことでしょう。
 このままオシッコを出したい、と思ったのですが、気持ちがあせるだけで、オシッコは出ませんでした。
膝が震えてバランスが悪くなりました。
今、カギをかければ、まだ間に合うと思いました。
短い時間がとても長く感じられました。
限界だと感じた私は、やっぱりカギをすることにしました。
仕事関係の人もいるんです。
露出痴女だとは思われなくでも、トイレのカギをかけ忘れた女と言われたら、それだけでも、恥ずかしいです。
 カギとかけるために、振り返ろうとしたとき、ガチャとトイレのドアが開けられてしまいました。
アソコに冷たい風があたったように思えました。
膝の震えが大きくなって、私はバランスを失って、片膝をついてしまいました。
 男の人は無言でドアを閉めました。
私はあわててカギをかけ、オシッコを出しました。
寒い日にガマンした後のオシッコのように、頭までジーンと心地のいい電気が走りました。
この音も聞かれているのです。
ドアの向こうの男の人は、たった今見たばかりの、女の醜いその部分から、恥ずかしいほど、たくさんのオシッコが出ている様子を思い浮かべているに違いないんです。
それなのに、私はオシッコが出るのを止めることも出来ないのです。
なんて憐れな女なのでしょう。
 そのままオナニーしたい衝動を抑えてトイレを出ました。
自分で見せたのに恥ずかしくて気を失いそうになりました。
 ところがトイレを出ると、もう、そこには男の人の姿はありませんでした。
でも、お店には、きっといるはずです。
もうひとつ向こうのドアの向こうに立っているかもしれません。
オシッコをガマンしたまま席に座っているのかもしれません。
どんな顔で私を見るのでしょう。
好奇の目、憐れみの目、それとも、俺だけは、この女の恥ずかしい部分を知っているんだという勝ち誇ったような目でしょうか。
 私は、いたたまれない気持ちでした。
恥ずかしい部分を見られた、その人に、じっくりと観察されてしまうのです。
 ところが、私が記憶したスーツの男の人は、お店にはいませんでした。
小さなお店ではなかったので、いたのかもしれません。
男の人のスーツなんて似たようなものなので、何かを勘違いしているのかもしれません。
それなら、やっぱり私は見られているのかもしれません。
 そんなことばかり考えていたので、仕事の関係の人たちは、私を無口でおとなしい女だと思ってしまったようです。
 まさか頭の中が露出のことでいっぱいだったなんて誰れも思わないのでしょう。
公園の道を深夜に歩くのは怖いのですが、私は遅く帰宅したときには、そこを通ります。
暗いとはいえ、都会のことです。
樹木の隣には家が建ち並びます。
助けを読んでも聞こえないということはないでしょう。
 その道の中央にさしかかったところに、その男の人、いえ、男の子はいました。
そう言えば、露出痴漢と言うと、中年のいかにも変態という雰囲気を想像する人が多いようですが、ギャグに出てくるような露出痴漢を実は私は見たことがありません。
年齢も、みんなが想像しているよりは、かなり若いように思います。
その男の子も、十代に見えました。
 最初は、樹木の陰でオシッコをしているだけなのかと思いました。
でも、普通は歩道に背を向けて、木に向かって立つと思うのですが、その男の子は、歩道に、つまり私に向かって立っていたのです。
 私だって痴漢行為を繰り返す女です。
そんなものを見せられて嫌だという理由はありません。
それでも、そうした瞬間には、やはり緊張します。
いつでも大声を出せるんだから、と、心の中で叫んでいるような気がします。
 立ち止まってしまいました。
本当なら、無視して通り過ぎなければいけないところです。
動けませんでした。
何故なら、その男の子は、私に向かってパンツまで下げはじめたからです。
何をするんだろう、と思って立ち止まってしまったのかもしれません。
 暗がりですが、街灯に照らされてオチンチンが、かろうじて見えました。
大きくありませんが、しっかりと勃起しています。
「何してるの」 どうして、そんな言葉をなげかけてしまったのか分かりません。
彼の脅えたような顔と、今にも逃げ出しそうなおどおどとした様子がそうさせたのかもしれません。
「見て」 消え入りそうな声で、そう言いました。
「小さくて見えない」 本当はよく見えていました。
でも、そのオチンチンは、勃起しているのに、ヘアーの中に埋もれていたのです。
もっとも、ヘアーが長いだけなのかもしれません。
 彼は、パンツを器用に足からはずし、そして、暖かそうなダウンジャケットも脱いでしまいました。
その下には黒っぽいセーター、それも脱ぎ、あっと、思う間もなく、この寒い夜に靴だけの全裸になってしまったのです。
「寒くないの、風邪ひいちゃうよ」 芝居がかった優しい口調で私が言うと、彼は「うっ」と、呻いて、射精しました。
ものすごく飛ぶので、私は思わず、後ずさりしてしまいました。
「よかったね」 思わず、口をついて出てしまいました。
「よかったね」は、明らかに私に見てもらえて「よかったね」と、いう意味ですよね。
見てもらえてよかったなんて、自分が露出痴女でなければ出てこない言葉のような気がします。
そんなことは、その男の子には分からないでしょうけど。
このブログは、鹿鳴館のスタッフの方に薦められてはじめたものです。
そのときに、オチンチンやオシッコはカタカナで書いて欲しいと言われました。
そうしたエッチ文体を共有する仲間意識のようなものを作るためだそうです。
メンバーは少ないそうですが、同じ文体の文章を楽しむという発想が私は嫌いではなく、それに従っています。
 でも、私は、オチンチンとカタカナで書くことは、言われる前から好きでした。
そのことからも分かるように、オチンチンは子供っぽいのが好きなように思います。
ゆえに、小さいほうが、やっぱり好きなのかな。
ただ、正直なところ、見ただけでも、大きいのは分かるのですが、小さいのは、分からないんですよねえ。
 昨日の男の子のは、たぶん、小さいと思うのですが、でも、勃起してもヘアーに隠れていまうほど、長いヘアーの男の人もいるんですよ。
もちろん、一本のヘアーはオチンチンより短いのでしょうけど、全体として、隠れているというオチンチンは、実は珍しくないんです。
でも、大きくはないんでしょうね。
 それから、オチンチンの好きなところは、場所よりは、やっぱり動きですね。
とくに小さな状態のオチンチンが、ピクピクしながら大きくなろうとするところが大好きです。
追記 鹿鳴館 に、いじめの書き込みをしました。
少し、分かり難い文章だったので、私なりに手を加えていたら、なんだか、私の小説のようになってしましました。
ものすごく長い間、ブログを書いていないような錯覚のまま実家からもどりました。
 でも、カレンダーを見ると、そんなにながく空いてないんですね。
なんだか、ちょっと、ブログ中毒のようになっているのかもしれません。
書いていないと、みんなに忘れられてしまっているようで、寂しかってり、変な気持ちです。
 実家には、もはや、私の部屋もなく、露出のチャンスもなく、何もありませんでした。
 少しあたたかいし、今夜あたりは、露出できるかもしれませんね。
でも、疲れているので、お風呂に入ったら寝ちゃうかな。
昨夜は、やっぱり寝てしまいました。
そして、今日はすでに寒さがもどったかのようです。
 ところで、男の人の露出痴漢というのも、やっぱり、全裸を見て欲しいと思うものなのでしょうか。
私は、アソコも見て欲しい、お尻と、お尻の穴も見て欲しい、でも、やっぱり全裸の自分を見て欲しいんですね。
 その気持ちは、アソコだけを見られたいという気持ちより、はるかに強いのです。
ですから、超ミニ露出トイレ露出だけでは、どうしても欲求不満になります。
全裸の全身を見てもらいたいんです。
 それなら、裸を見たがる男を募集して、見せればいいということも言われたことがあります。
こんな女でも、足を広げれば、やっぱり女ですから、それは裸を見てくれる男の人はいることでしょう。
相手を探すのがたいへんだとは思いません。
でも、違うのです。
 何が違うのか、私には分かりませんでした。
男の人は見るだけでは、終わらない、信用できない、だから嫌なんだと、そんなことを思っていました。
 ところが、その答えを、いつも話題にしている飲むとすぐに脱ぐ女の人が教えてくれました。
 彼女はセックスの相手を求めて脱ぐのだと私は思っていました。
実際、そんなことを言っていました。
お酒がはいると淫乱になり、エッチなことがしたくて仕方なくなり、その結果として脱いでしまうし、アソコを見せたりしてしまうのだと、彼女自身もそう言っていたのです。
 今日も彼女はかなり飲んでいました。
何しろ、私たちは五時から飲んでいたのです。
常連のお客さんが、いつものように、彼女の周囲に集まり、脱ぐことを促しました。
私にもそれを強要するようなことを言いました。
ところが、彼女は、いつものように酔っていたのに、それをしませんでした。
さっさと引き上げました。
おかげで、私も早く帰ることになりました。
その帰り道で彼女は「見せろ、とか言われると、意地でも見せたくなくなるんだよね。見せてやってるって感じにならないでしょう。とくにああいう、見てやるよ、みたいなのがダメなの、気分悪くなる」と、言ったのです。
 これだ、と、私も思いました。
見られてしまう、というMの気持ちの裏に見せつけているというサディスティックな感情も隠れていたのです。
矛盾しているようで、矛盾していないのです。
  見せつける気持ち、そして、裸でいても不自然でない幼児のように見てもらえるかもしれない希望、そんなものがあるのだと思います。
 だから、脱がされるのは嫌で、全裸にもなりたいのでは、いえ、自分のことながら違うかもしれないのですが。
男の露出の人はどうなのでしょう。
笑わせることと、笑われてることとは違う」と、私は上岡龍太郎さんから聞いたように思います。
そういえば、その言葉は、どうしてだか印象に残っていました。
お昼の番組で、笑われていたのは、ジミーちゃんだった記憶もあります。
もちろん、似たような言葉は、他にもあって、私の聞いたのと、おやじさんの聞いたのは別のもかもしれません。
 とにかく、私はおやじさんが書いたことで、さらに強くその言葉を思い出してしましました。
そのときから、何か自分にひっかかるところがあったからだと思うのです。
 露出痴漢していて偉そうなことも言えませんが、「笑わせることと、笑われてることとは違う」と、そうしたところは露出にも、あるかもしれませんね。
 それに、大阪の変態男さんの言う、SとMが表裏一体のもだというのも分かるような気がします。
私自身はM性の強い露出だと思っていました。
でも、私は少し前、いえ、今でも、たまに、空想のお姉さまという人の命令で露出していました。
命令されて露出しているのだから、私の願望はMだと思っていたのです。
でも、大阪の変態男さんの言うように、表裏一体ですよね。
何しろ、命令していたのは空想とはいえ、それも私自身だったのですから。
 そして、最後は、yoshikoさんの言うように、ひとそれぞれ、その言葉で終わりますよね。
デザイン画を変えました。
 本当は、このブログは、変態になってしまった自分の過去から、自分探しをするのが目的ではじめたような気がしるのです。
それゆえに、子供時代の露出話しをたくさん書くつもりでした。
 最初は、こんなに自分がなるとは思っていなかったので、子供時代にした露出の話しが、ほとんどで、たまに、今の自分のことを書くつもりでした。
それほど、たくさんの話しが子供時代にあったと、そう思ったからです。
逆に、今の露出の話しなんてないと思っていました。
見せたいだけで、見せない女の話しなんて面白くもないと思ったのです。
まさか、本当に野外全裸を見せられるとも思いませんでしたし。
 ところが、書き始めたら、記憶していると思っているほど、実はたくさんの記憶がなかったのです。
子供時代の話しは、すぐに尽きてしましました。
それでも、子供の頃にした、あるいは、したかった露出の話しをしたかったんだ、という気持ちを忘れないように、ノスタルジックなデザインにさせてもらいました。
この絵で、教室なんてあったら、もっと嬉しかったのですが。
仕事の帰り道、公園の横に車を停めました。
少しだけ、その公園を歩いてみたいと思ったのです。
公園には人の姿はなく、周囲には明かりさえ見えませんでした。
寝静まっているというよりは、街が死んだように思える、そんな静けさでした。
 怖くはありませんでした。
私を襲う人さえ、寒さで公園にはいられない、と、そう感じられたからです。
 一度でいい、全裸でブランコに乗ってみたい、何故か私は、かなり以前から、そう思っていました。
でも、それは夏の公園では、いくらなんでも出来ないことなのです。
 全裸になって、ブランコに乗って二十回往復させる、二十にならなければ、たとえ人が来てもブランコから降りられない、そんなことを妄想しただけで、私は興奮していました。
 準備もないまま全裸になるなんて無謀です。
 とくに冬のインナーは脱ぎ難く着難いのです。
ていねいにタイツもつけています。
ブランコの横のベンチは綺麗でした。
まずはコートをそこに置きました。
コートを脱ぐだけで寒さが身体の芯に響くようです。
皮膚の表面ではなく、骨の中が寒いのです。
 それでも、私はパンツを脱ぎ、タイツも脱ぎました。
さらにその下の黒のレースのパンツもとりました。
そして、それはコートのポケットに入れます。
セーターを脱ぎ、インナーを脱ぎました。
ブラもコートのポケットです。
 全裸です。
 不思議なことに寒くはありませんでした。
身体は震えているのですが、想像していたような寒さではないのです。
 冷たさが一箇所だけ、強く感じます。
濡れていたのだと思います。
こんな寒さの中、街中の公園で一人全裸になり、その上、アソコを濡らす女が他にいるでしょうか。
改めて自分の異常さに驚かされました。
 全裸のまま、ブランコに座りました。
少し揺らすと、思っていた以上に大きな音を立てます。
今のは二十回のうちに入らない、と、そう言い聞かせました。
 お尻の下は氷のような冷たさです。
でも、辛くはありませんでした。
昼間、ここに子どもたちが遊んでいて、若くて幸福なママたちがお話しをしている、そんな光景を想像しました。
もし、昼間なら、子どもたちは私を見て、なんと言うでしょうか。
ママたちは、汚らわしいものを見るときの顔で私を見つめるのでしょう。
そんな視線に私は耐えらず、下を向いて、視線を合わせないようにガマンするのでしょう。
 妄想しているうちに、二十回なんて忘れていました。
あわてて、服を着ました。
もちろん、誰れが来たというわけではありません。
時間の経過に、ただ、あせってしまうのです。
 いきなり車にもどるのは、危険なので、私はノーパンのまま、しばらく歩きました。
歩いている間でさえ、人とは、ほとんど会いませんでした。
 車にもどる頃には、すっかり寒くなっていました。
自分がどうして全裸になれたのか分からないほど寒いのです。
お風呂に入り、今、ようやく落ち着きました。
なんだか、夢か妄想だったような気がしています。
露出ビデオが送られてきました。
 私が好きなものは、残念ながら、一本しかありませんでした。
 でも、それが、どうして好きなのか、その理由を正確に書くことが出来ません。
正直、自分でも分からないところが多いのです。
 好きなシーンは、女の子が全裸で、マッサージさんをよぶシーンなんです。
よばれたおじさんは、明らかに動揺しています。
そのリアルさが好きなんだと思います。
男の人には、物足りないかもしれません。
何しろ、そのシーンは、マッサージのおじさんには、ないしょらしく隠し撮りだからなんです。
 普通のアダルトビデオなら、別に、アダルトビデオを多く観ているわけではありませんが、普通なら、おじさんと女の子のセックスですよね。
実際、送られて来た露出ビデオはそうしたものが多くありました。
買うのが男の人なのだから当然ですが、私の好みではありません。
 おじさんは、女の子の裸に興奮しているんです。
オチンチンを出して、セックスしようとしているようなんです。
ところが勃起しないみたいなんです。
それで「おじさん勃たないから、ごめんね」と、言うんです。
その言葉で、私は、オナニーしました。
なんて愛らしいんだろうって、思っちゃいました。
 露出ビデオは私が演出するビデオのための参考資料だったのですが、それ以外は、参考になりませんでした。
やはりアダルトビデオは、男の人の企画で男の人のために作られてますよね。
 でも、そのビデオだけが、どうして、こんなにも好きなのかな。
マッサージさんのほうが全裸になるというのも、すごいですね。
私もしてみたいです。
でも、私は自分の身の安全のことに過敏過ぎて、そこまで出来ません。
  おやじさんの言うように、以前にも、マッサージさんに見てもらったことは、あるのですが、自分から「見て」とか「オナニーしていい」とは、言えなかったですよねえ。
あの、ビデオが、本当に隠し撮りなら、彼女は、本当にすごいと思いました。
 私は自分もそんなことをしてみたかったのかも、しれませんね。
 ところで、私が演出するビデオですが、まだ、ほとんどメールで、遊んでいるような状態で、現実味を帯びていません。
なんだか、昔、バンド作って、ライブやろうよ、と、話していたような、そんな雰囲気なんです。
一番、乗り気なのは私です。
 マニアックなものは、確かに、たくさんありますよね。
セックスなしの、私好みの変態ものも、たくさんあるようです。
それだからこそ、露出ビデオなら、女の子の、この不安とか、恐怖を撮ってほしいのに、って、言うのがあるんです。
 そんなことを言いながら、自分が一番つまらないものを作ってしまうのも、なんだか、バンドの話しに似てますね。
私はあまり怖いのは嫌ですが、もし、ビデオで見るなら、やっぱり、女の子が不安や恐怖するようすが見たいですよね。
 それから、羞恥に身悶えるなんていうのも、いいですよね。
 自分は、そんな怖い思いはしたくない、でも、心のどこかには、怖い思いもしてみたいという矛盾した思いがあって、それゆえに、ビデオで見るなら、おもいっきり怖がる様子や恥ずかしがるようすが見たいんですよねえ。
本当に勝手ですけどね。
 それから、見るのも、好きなのか、という質問がありましたが、見るのは、見せるのと同じぐらい大好きです。
女の子の裸は、そんな興味ありませんが、見たくないわけでもありません。
女の子に見られることは、ものすごく好きです。
男の人なら、見るのも見せるのも好きですね。
でも、触るのも、触られるのも嫌いです。
それゆえに、私はM女には、なれないと思うのです。
オカルトという話しが出たので、オカルトと言えるかどうかは、分かりませんが、思い出したことがあるので書きます。
 今日は、せっかく、早く帰れたのに、この雪で露出散歩どころではなく、部屋で、ボケボケしてました。
ですから、どうせ書くこともなかったんです。
 今でもホラービデオを見ることがあります。
映画館に足を運んでまでは観ません。
そこまで好きではないからです。
実は、ビデオを観るのも、ホラー好きだからではありません。
ホラーの中には、ときどき私をドキドキさせる露出のシーンがあるからなんです。
 その中でも好きなのが「エルム街の悪夢」ですね。
これの一話だったと思うのですが、教室で寝てしまった男の子が妄想のように夢を見るんです。
教室に全裸にシースルーの服を纏った女の子を見るのです。
このシーンが好きなんです。
 どんなに撮影が注意深く行われているとしても、教室で、みんなが、男の子も女の子もいるのに、その女の子は全裸に近い格好にされたのです。
私はストーリーではなく、その撮影現場での女の子の恥ずかしさを想像して、オナニーしていました。
 でも、そうしたシーンを目的にレンタルしても、なかなか当たらないものですよね。
何か情報があったら教えてください。
アダルトビデオでは興奮できなくても、そうしたビデオにある露出シーンなら興奮できたりするんです。
毎日のようにオナニーしているのに、さすがに疲れました。
何しろ、フロントガラスの雪を溶かすだけでたいへんな思いをしました。
エンジンをかけ、暖房にして車内で待ちました。
凍りついているので、手では落ちなかったのです。
 幸い、走るのは、思っていたほど怖くはありませんでした。
 雪国の人はたいへんなんですね。
 もう、今夜はオナニーさえ、する気分ではありません。
 久しぶりに、麗奈さんからメールが来ました。
ブログを復活させようとしたら、パスワードを忘れていたそうです。
そういえば、パスワードを忘れたときの対策って、どうなっているのでしょう。
私も見たのですが、分かりませんでした。
知っている人がいたら教えてください。
最近、私にとっては、寒さが和らいでいます。
あの雪の日でさえ、露出散歩こそ諦めましたが、そんなに寒いとは、思っていませんでした。
 それが、今日、私だけが特別だということが分かる事件がありました。
 昼間、事情があって、健康ランドにいたのです。
決して、楽しいレジャーではありません。
どうしても、つぶさなければならない時間を、いかに安くつぶせるかを女三人で論じた結論が健康ランドだったのです。
パチンコという案もありましたが、お金がアンバランスにかかったら、お金使わされた人が気分が悪いし、デパートはもっとお金を使ってしまう危険性があるし、喫茶店にはつぶさなければならない時間が長すぎるし、カラオケはお酒が飲みたくなる、というあげくの結論でした。
 私は女の子二人と更衣室に入り、すぐに全裸になりました。
まず、二人はそれがすごいと感心するのです。
女どうしなんだから、別に平気でしょ、と言う私に、二人は、そんなことではなく、この寒さの中、さっさと服を脱げるところがすごいというのです。
 確かに、更衣室は暖かくはありませんでしたし、外の寒さが抜けていませんでした。
 私たちは、身体を洗い、二人は船に、私は、露天風呂に向かいました。
しばらくして、二人が露天のほうに来て、どうして、いきなり寒い屋外に出られるのか、と、またまた、驚いていました。
寒いと言っても、おがそこにあるのです。
私にとっては、どうということもありません。
 真冬の公園で全裸になることを思えば天国です。
 そんな特殊性って、男の人でも、露出していたら、きっと、あるのでしょうね。
久しぶりに、ものすごい痴漢に遭遇してしまいました。
 深夜によく行くファミレスは、窓から駐車場が見えます。
私は、自分は露出するつもりはなく、ただ、なんとなく、家に帰りたくなくて、コーヒー一杯だけ飲んで行こうと思ってよりました。
 実は、私は、軽い帰宅恐怖症なのです。
一人住まいなのに、おかしいですよね。
でも、なんとなく家に帰りたくなかったり、家にいたくなかったりするのです。
家でも仕事が出来てしまうので、そのせいかもしれません。
もしかしたら、それが私を露出痴女にしたのかもしれません。
言い訳かな。
 ぼんやりと本も読まずに窓の外を眺めていました。
 すると、中年の男の人が駐車場をうろうろしているのが見えました。
ほんの数ヶ月前、別の場所ですが、ファミレスの駐車場で、いたずらでパンクさせられたことがありました。
それを警戒し、私はその男の人の行動を見張っていました。
 すると、私のほうを見て、その後、男の人は、ベルトをはずしたのです。
驚きました。
ファミレスにいるのは、私だけではありません。
深夜とはいえ、人は少なくないのです。
 私は、あわてて周囲を見回しました。
まだ、私だけしか彼の存在には気がついていないようでした。
 男の人は、パンツを下げ、その部分をむき出しにします。
オチンチンは、すでに大きくなっています。
それも、本当に大きいのです。
両手で持ってもあまるぐらいの大きさなんです。
最初は、パンツを太ももにかけていました。
でも、大きなオチンチンを片手でゆっくりと、こすりはじめると、パンツは、足首まで落ちてしまったのです。
それでも男の人は平然としています。
ゆっくりと手を上下させます。
あんなに手を大きく動かしたオナニーははじめて見ました。
 私は、また、周囲を見ました。
幽霊を見た人は、あんな心境かもしれません。
周囲の誰れも彼には気がつかないのです。
まるで彼が私にしか見えていないように。
 普通なら、それだけで、射精するはずなんです。
ところが、その男の人は、パンツを足首から抜いて、お尻を私のほうに突き上げたのです。
窓は高いところにありますから、お尻の汚いところまでは見えませんでした。
でも、大胆です。
後ろを向いていたら、誰れに見られたかも分からないのですから、危険な状況になっているかもしれないことも分からないはずなんです。
そんなことは覚悟の上なのでしょうか。
 そのまま彼は、駐車場をうろうろしました。
突然、車が入って来れば隠れるところはありません。
私なら、怖くてとてもそんなマネできません。
 しばらくうろうろした男の人は、射精もしないまま、パンツを手に持ち、下半身裸のまま堂々と駐車場から、通りに出て行きました。
それでも、周囲の人は誰れも気がついた様子がないのです。
もしかしたら、気がついても無視しているだけなのかもしれませんが。
実際、私だって、無視していたわけですから。
 それにしても、あそこまで大きいと、やはり見せたくなるのでしょうか。
私には彼が露出痴漢というようには見えなかったのです。
感覚に過ぎませんが、露出痴漢とは、行動が違うような気がしたのです。
どことは言えないのですが、確かに違いました。
 あれは露出痴漢ではなく、オチンチン自慢男だったのかもしれません。
それゆえに、男の人にも見られるような場所でも、平気でそうしたことが出来たのかもしれません。
大きなオチンチンの男の人がそれを自慢したくなるのかどうかは、私には分かりませんが。
オチンチンが見たい、オナニーしている姿が見たい、自分のアソコを見て欲しい、オシッコしているところを見せたい、そんな思いは小さな頃からありました。
 ですから、初体験のときにも、私の期待は、どれだけ男の人がアソコを見てくれるのか、どんなに近くでオチンチンを見せられてしまうのか、そんなものでした。
 ところが現実は違いました。
男のテンションは高く、なんだか、不自然に私の身体を褒め、そして、髪を撫で、いきなりオッパイを舐めたりします。
舐められた感触は、決して気持ちのいいものではありませんでした。
パンツを脱がされる瞬間だけはドキドキしたのですが、そこにもすぐに男の舌が触れました。
舌が触れるほどの近くでアソコを見られてしまう、と、私の妄想ではそうした行為だったのですが、現実は、さっきキスした口は、こうして女の汚いところを気楽に舐める口だったのね、と、そんなことを思いました。
 そして、悲劇はその後、襲ってきました。
男はそれまでオチンチンなど見せもしなかったのに、いつのまにパンツを脱いだのか、いきなり、それを入れて来よとしたのです。
痛いとは聞いていたので、覚悟はしていまいたから、思ったほど恐怖はありませんでした。
それよりも怖いのは男の口です。
 オチンチンをアソコに密着させたまま、なんと男はキスしてきたのです。
唇のまわりは濡れています。
私の汚いものが付着しているのです。
あわてて顔を横に向けました。
男はその髪を撫でました。
やはり私の汚いところに触れていた手です。
インサートの衝撃なんてありません。
おかげで、痛いのは、それは痛かったのですが、みんなが言うほどのことはありませんでした。
ただし、初体験の感慨のようなものもありませんでした。
 この心的体験のようなものは、普通の人に話しても理解されません。
そのため、普通にセックスのことを聞かれたら、私は好きではない、としか答えようがないのです。
そして、初体験の話しも、どうということもなかった、と、そう言うしかないのです。
 男の人を不潔と感じたのではないのです。
オチンチンが嫌だったわけでも、オチンチンを汚いとか醜いと思ったわけでもないのです。
ゆえに説明が難しいのです。
正直、こうして書いていても、別にそんなに嫌なことないのに、と、思えてくるほどのことなんです。
 でも、その後も、私はセックスはよくなりませんでした。
愛だとかをまじめに語る男のセンスも好きではありません。
ベッドで急に子供にもどろうとする男も嫌いです。
ゴツゴツとした手の平の感触も嫌いです。
 でも、オチンチンは好きです。
ギラギラした好奇の目が好きです。
有名なコーヒーのチェーン店です。
もう、その系列のお店には、男女共用のトイレはないと思っていました。
トイレの扉を開けると、男性用の便器があり、二十代と思われる男の子が便器に向かって立っていました。
ドアを開けた瞬間に少し後ろを向いて私を見ました。
私は無視して、男性用便器と隣り合うようになっている個室に入りました。
薄いベニア板一枚向こうでオチンチンを出してオシッコしている男の子がいると思うと、恥ずかしいような、うれしいような気持ちになりました。
私は水を流さずにオシッコをしました。
こんなとき、金属のベルトをつけていれば、今、まさにパンツをおろそうとしているところも知ってもらえるのに、そう思いました。
パンツをさげ、便器に座る音まで聞いて欲しい、そう思うのです。
 オシッコの音は、思っていたより大きくなってしまいました。
寒いからだと思いますが、それにしても恥ずかしい音をたててしまいました。
 トイレットペーパーをとる音、便座から腰を浮かせたときの音、その全てを聞かれているのだと思い、私は興奮していました。
でも、オナニーまでするわけにも行かず、個室を出る準備をしました。
 と、普通なら、そこまでで、外の気配があるはずなんです。
洗面を使う音、ドアが開く音、そんな音が聞こえていいはずなのです。
ところがありません。
少し中で待ちましたが、やっぱり音はしません。
人のいる気配がないのです。
 私が気がつかない間に出て行ってしまったのでしょう。
そう思って、水を流しトイレを出ました。
そこには、もう誰れもいないはずでした。
それなのに、まだ、男の子がいたのです。
便器にむかったままです。
 私は洗面に立ち、手を洗いました。
そのとき鏡のはしに男の子が写って見えました。
右手が激しく動いています。
私は髪を直すふりをしながら、男の子を眺めました。
すると、男の子は、身体を斜めにし、オチンチンを便器から離したのです。
しかも、そのオチンチンは勃起しています。
普通サイズの大きさのものを激しくこすっていました。
鏡の中にそれがはっきりと見えるたのです。
 私は、気がつかなかったふりをして、洗面を離れました。
すると、彼は身体の向きを少しだけ変えたのです。
出て行く私のほうに向かってオチンチンを見せるためです。
私は精子をかけられるのではないかと、ドキドキしました。
 怖いので、すぐにトイレを出ました。
その後、しばらくして彼は出て来ましたが、私とは目を合わせないまま店を出て行きました。
 久しぶりの痴漢体験でした。
古くから私のブログを読んでいる人たちは、知っている人が多いのですが、私はセックスは嫌いなのです。
どこが感じるというのもありません。
とくに、舐められるのは、大嫌いです。
 オナニーは好きです。
 オシッコの描写で、オナニーしてくれた男の人がいたみたいですが、そのコメントを見て、私はオナニーしてしますのです。
 そうした、対面しない性が私は好きなのです。
 そして、私は、普段は、必ず立ったままオナニーします。
なぜなら、真下からアソコを覗かれていると妄想したいからなんです。
仰向けに寝て、上から見られても同じなのですが、何故だか私は下から見られたほうが興奮するのです。
そのあたりはSかもしれません。
 オナニーはクリトリスですが、私は、クリトリスの少し上をゆっくりと円を描くように撫でるのも好きです。
ヘアーはそのために薄いのかもしれません。
クリトリスには、なかなか触れません。
自分で自分をじらすのです。
そうすると、アソコはものすごく濡れはじめます。
その液を指につけ、それでクリトリスを触ります。
 エッチな液が下から覗く男の人の顔に垂れるところを想像します。
そして、絶頂に達するとオシッコが漏れてしまうと、私は言うのです。
それでも、アソコを見ていたい男の人は目を逸らすことが出来ないのです。
本当にオシッコが出てしまいます。
 男の人はあわてて顔を背け、咳き込んだりします。
オシッコを浴びたのですから当たり前です。
でも、それって、ものすごい恥ずかしいことなんです。
ガマン出来ずに漏らしてしまい、その上、咳き込まれるほど、汚く臭いオシッコだったというわけですから。
 そんなことを妄想しながら、オナニーするのが、セックスよりも、かなり好きなのです。
 車からあきらかに泥酔して歩いていると思われる若い男の子を見かけました。
住宅街のあまり人通りのない道です。
彼の横を通り過ぎるとき、一瞬、恐怖を感じました。
フラッと車のほうに身体が傾いたからです。
車の前でころぶのでは、と、思ったのです。
 徐行して、彼の横を過ぎると、大きなコインパーキングがありました。
その向かいは昼間でも、あまり人がいないのに、敷地だけはやたらと広い公園です。
私は無駄でもいいと思いながら、車をパーキングに入れました。
何度も書きましたが、パーキングにとめるだけでも、私は時間がかかります。
ミラーだけでバックすることが出来ないからです。
 そんなに時間をかけても、彼は来ません。
途中で曲がった可能性もありますが、私は、下半身の下着類を全部とりました。
下半身に残されたのは、ニットのミニだけです。
ニットですから、腰に巻きつけてしまえば、ベルトのようになってしまいます。
 ジャケットは車に残したまま、外に出ました。
あまりの緊張でそれはど寒さは感じませんでした。
 パーキングを出ると、彼の姿がありました。
ほとんどまっすぐに歩いていません。
周囲に彼以外の人の気配はありません。
 見ると、彼は壁に頭をつけていました。
よほど、気分が悪いのでしょう。
私はそのすきに、少し彼のほうにむかい、小さな路地を曲がりました。
もう一度見ると、まだ、彼は頭を壁につけたままです。
ニットのスカートをめくり上げ、下半身を晒して私はしゃがみました。
このままお尻を出していれば、彼が見るに違いない、酔った彼に何をされるか分からない、突然、触られてしまうかもしれない、大きな声で「女のくせに、こんなところでションベンするな」と、怒鳴られてしまうかもしれない。
そんな妄想をしました。
 少し待つと、彼が横を通って行きました。
あまりに酔い過ぎているのでしょう、そこにお尻を出してしゃがむ女がいることには気がつかなったようなのです。
私は膝が震えるのをガマンして、ニットのスカートを腰に巻いたまま、通りに出ました。
下半身は、完全に裸です。
 見ると、彼は公園の側に渡っています。
私は通りの反対側から彼を追い抜き、そのままの格好で、通りを渡りました。
つまり彼の目の前を下半身裸で横切ったのです。
 公園に入る瞬間、彼を見ると、彼は驚いたような顔で私の姿を見つめていました。
私の心臓は破裂してしまうのではと思うほど高鳴りました。
咽喉が急に渇き、張り付いたようになり、痛みさえありました。
 公園の構造はよく知ったところです。
中に入れば、大きな樹木があり、そのいく本かの樹木を囲うように丸いベンチがあるのです。
私はそのベンチの上に立ち、そして、しゃがみました。
木に顔をむけています。
ようするに、お尻を外に突き出したような格好なのです。
しゃがみながら、少しだけ後ろを向いて見ました。
彼の姿が見えます。
私は顔を膝につけて隠しながら、彼の様子を見ました。
興味があるのでしょうが、まっすぐに私のほうに向かって来ることは出来ないようです。
 そのまま公園の中を通り過ぎてしまうかもしれないと思いました。
何しろ、こちらに向かって来る様子ではなかったからです。
しかし、何度となく、別の方向にフラフラしながらも、なんとか、私の後ろに来ました。
「こ、こんな、と、とこれで、おしっこしてだら、あ、危なねいよ」 若く見えたのですが、近くに来ると、彼が三十代ぐらいかな、と、思えました。
「でも、ガマンできないから」 何度やっても、そうしたときの私の言うことは、おかしいです。
どうして「見てもいいのよ」とか、気のきいたことが言えないのでしょう。
「お、お尻、き、綺麗ですよねえ、キンレイだ、すげんく綺麗だ」 酔ってロレツがまわらないのでしょう。
綺麗を繰り返し、彼は地面にしゃがみ込んでしまいました。
おそらく覗き込もうとして、失敗したのでしょう。
私はそのままオシッコをしました。
普通なら緊張で出ないはずなのに、どうやら、相手が泥酔していると思うと、私は強気になれるようなのです。
 かなりお尻を突き出していたのですが、オシッコはベンチを濡らしてしまいました。
すると、なんと驚いたことに、彼がそこに手を伸ばしてきたのです。
一瞬、私は触られると思い、腰を浮かせていました。
しかし、彼の目的は私のアソコではなくオシッコだったのです。
「熱い」 そう言いました。
頭がしびれ、全身の血がアソコに集結して行くような錯覚がありました。
気持ちいいのです。
エクスタシーとは、聞いたことしかない言葉ですが、これがそうかもしれない、なんて思いました。
 オシッコが終わると、その余韻に浸ることもせず、私は、スカートを下ろして、公園を出ました。
パーキングには反対の道からも入れます。
そのまま車に乗ったところで、彼がナンバーを記憶できるとも思えなかったのですが、そこは念のためです。
ブラックのホット缶コーヒーを買い、車にもどり、しばらくはエンジンもかけずにいました。
その後、エンジンをかけながら、さらに待ちました。
心臓はまだドキドキしていたし、アソコに触れると、熱く、そして、ビショビショでした。
少し敏感なところに触れただけで、何度もイけました。
 どれぐらいそうしていたのでしょう。
清算のために車を出て、ついでに恐々と公園を覗いたのですが、すでに彼の姿はありませんでした。
 酔いから覚めたら彼は私のことを思い出すのでしょうか。。
オナニーしました。
興奮しました。
そんなことをコメントされて、つい、自分もオナニーしたくなってしまうのは何故なのでしょう。
オチンチンの大きさとか、オナニーの仕方を読んで興奮するなら分かるのですが、私は「オナニーしました」と、言われるだけで興奮してしまうのです。
 もし、私がオリンピック選手なみに足が速かったら、K?1選手なみに強かったら、そのときは、その場でオナニーするでしょうね。
でも、そんな逃げ足も力もないから、私は、その場を離れ安全な場所でオナニーするんです。
そのほうが、安心して感じることが出来るからです。
 その点、オシッコはいいんです。
全部出してしまえば終わりでしょう。
オナニーは、終わりが予想できない分、ちょっと怖いけど、オシッコなら、出したら終わりで、後は逃げるだけ。
そこは色気ないんですね。
でも、それだから安心して、オシッコは出来るみたいなところがあるんです。
 露出の余韻には家に帰ってゆっくり、お風呂といっしょにつかります。
雨が止み夕方から深夜にかけて、昼間よりも、むしろ暖かくなってきたように思いました。
ところが昼間が寒かったからなのでしょう、街はいつもより人が少ないようでした。
 私はハンバーガー屋さんに入りました。
まだ深夜というには早く、いつもなら、まだまだ、賑わっている時間のはずでした。
ところが、お店には、コーヒーカップを両手で持って飲む、ちょっと小太りで子供っぽい男の人と、仕事をしているらしい男性が一人、同じく仕事なのでしょうか、電卓のようなものを叩く女性が一人いるだけでした。
 私も書類を広げました。
そんなに忙しいわけでもなかったのですが、そうしたお店で仕事をするのが好きなんです。
 少しの間、書類に真剣に目を通していました。
そして、一息ついてコーヒーを口にしたときなんです。
私はおかしなことに気がつきました。
 小太りの男の人が私の正面にいたのです。
小さなお店でもないので、正面といっても、いくらか距離があります。
決して不自然ではありません、もし彼が私よりも後からお店に入ったのなら。
でも、彼は私がお店に来たときにはすでに中にいて、別の席に座っていたのです。
 テーブルの上には新しいコーヒーとポテトがのっていました。
新たに買ったのでしょう。
少し気にしていると、彼はチラチラと私のスカートの中を見ているようなのです。
ときどき、テーブルの下も覗いているようなのです。
 スカートはそれほどミニというわけでもなかったのですが、タイトなものだったので、座ったときに、かなり膝上になってしまっていたようなのです。
 パンストはつけていません。
覗けば股間の三角が見えてしまうでしょう。
薄いオレンジのパンツです。
それが彼の目にはどんな色に写っているのでしょう。
 私は何度か試したことのあることをやってみようと思いました。
それはポケットに手を入れながらパンツの股間をずらしてしまうというものでした。
慣れない頃は、これが意外に難しかったのですが、慣れてしまえば、そんなに時間をかけることなく、パンツをずらすことが出来るのです。
 バックの中を探し、隣の椅子においたジャケットのポケットの中を探し、そして、最後にスカートのポケットに手を入れました。
何かを探すふりをしながらポケットの裏地越しにパンツを掴みました。
そして、それをずらすのです。
アソコが露出するのが分かりました。
当然ですが偶然にそんな状態になれば気がつきます。
でも、気がつくということに、男の人が気がつかなければそれでいいのです。
 もう一度、バックの中を探し、ティッシュと鏡を取り出しました。
口元が気になっているふりをしながら、足を広げます。
アソコは見えているはずです。
ラビアがひきつれて痛くなりましたが、そのままにしました。
そのまま書類を読むふりです。
ラビアが押し付けられているので、残念ながらノーパンのときのように、アソコの中まで見せることは出来ません。
でも、私の熟しきってしまったラビアは、はっきりと見えているはずです。
 男の人は、テーブルに顔をつけました。
寝ているふりをしようとしているようです。
でも、顔をテーブルの下に入れるので、その強引な行為は、私のスカートの中を必死に覗いているというのが、みえみえです。
 ラビアを広げて、その奥も見せたい、そんな欲求を必死に抑えると、私は興奮で全身が硬直してしまうのではないかと思いました。
妄想のお姉さまが、私にそのままスカートも脱いで、下半身裸になってトイレまで行きなさい、と、命じます。
もちろん、そんなことは出来ません。
頭がボーとして、そのままでは自分を抑えることが出来そうにないと思い、席を立ちました。
パンツはそれでもラビアを押さえています。
そのとき、アソコがぬるっとするのが分かりました。
そんなことは、相当に濡れていなければ分からないものです。
お店の外に出た瞬間には、軽いめまいもしました。
 しばらく歩いて、ふと、我に返り、後ろをつけられていないかを確認してしまいました。
それまでは、まったく無防備だったわけです。
今度は、怖くなって、めまいがしました。
以前から私は少し親しくなった女の子には、オチンチンには興味があるか、女のアソコには興味があるかと尋ねるようにしていました。
 普通の女の子はどちらにも興味がなく、たまにオチンチンには興味津々という女の子がいます。
でも、女の子で、女のアソコに興味があるという話しは、一度も聞きません。
みんな興味がないみたいなんです。
でも、私は興味あります。
そこを見て性的興奮するか、と、いわれると、自信はないのですが、興奮するような気もするのです。
  ただし、私の見方は、あんなにたくさんヘアーがあったら恥ずかしいだろうな、とか、ラビアが大きくて黒いから見られたくないかな、とか、逆に子供のようで恥ずかしいのでは、と、そんな見方をしているのです。
 お風呂の中でも、ついアソコを見てしまいます。
自分よりラビアが小さいとか、ヘアーが少ないとか、お尻に肉がなさ過ぎてお尻の穴が見えてしまっていて恥ずかしそうとか、そんな観察をしてしまうのです。
知り合いの女の子なら、なおさらです。
ところが、そんなところを見ているのは、実は私ぐらいで、普通は、せいぜいがオッパイの大きさ、腰のくびれお尻の大きさぐらいまでしか見ないそうです。
ヘアーは、たまに気にして見ている女の子もいました。
 ただ、それは私との会話ですからね。
本音は分かりませんよね。
さとりさん なんか、どうなのでしょう。
複数プレイをしているとのことで、他の女の子のアソコも見たりしちゃうわけですよね。
やっぱり気になったりするのかな。
オシッコや精液を顔にかけられる、そんな妄想はきっと、あるのだと思います。
自分のオシッコを自分の顔にかけたこともあるぐらいですから。
 そのときのことは、一度、書いたので、書きませんが、きっと、そのときには、男の人にかけられることを妄想してたのでしょうね。
おかしなもので、そうしたことをしたくて仕方ない時と、普通にオナニーしたい時とあるんですよね。
 でも、実際に男の人にかけられるというのは、いろいろな意味で怖いかもしれませんね。
 さとしさんが、スワッピングパーティに見学で参加出来ると書いていましたが、それなら、参加したいけど、やっぱり怖いですね。
少し前に麗奈さんも、そうしたパーティに誘ってくれて、私といっしょなら男には手を出させないから、と、言ってもらったのですが、麗奈さんが、あまり、そうしたパーティに参加しなくなってしまったみたいで、そのままになっているんですよねえ。
 他人のセックスには、興味津々なんですけど。
中学生の時、私も同級生の男の子に露出した経験があります。
私も、と、書いたのは、今日、鹿鳴館 に私と似た性癖の記憶を持つ人を見つけたからです。
 けんぼうさんです。
 同級生お母さん露出、それって、すごいですよね。
ものすごく眠かったのに、いっきに読んでしまいました。
ところで、けんぼうさんって、誰れなのでしょう。
たぶんスタッフと思うのですが、スタッフに露出マニアの人がいるとは、私は聞いてませんが。
あまりに寒いのでお風呂屋さんに行きました。
久しぶりのお風呂屋さんです。
彼がいることは期待していませんでした。
こんな寒い日は彼がいたとしても、どうせ混んでるに違いないと思ったからです。
ところが銭はガラガラでした。
 番台には彼がいました。
「混んでると思って来たんですよ」と、私は服を脱ぎながら番台の彼に話しかけました。
もう、何度となく私の裸を見ているからでしょうか、彼は遠慮することもなく私のほうを見て「こんな寒い日は、ガラガラなんですよ。帰りに冷えちゃうでしょう。だから今日は男もお客さんなしですよ」と、言いました。
 私は「寒いからこそ、家の小さなお風呂より暖まるのに」と、何事も気にしていないふうを装って返しました。
でも、内心はドキドキです。
飲み屋さんで会う私は、それなりにおしゃれを気にしていますが、お風呂屋さんに来るときは、ジャージにダウンを羽織ったような格好です。
彼は飲み屋さんでは私の裸を想像し、ここでは服を着た私の姿を思い出しているのでしょうか。
 ジャージ姿ですが、でも、下着はおしゃれしています。
こまかな刺繍が自慢のインポートもので、正面から見ればヘアーが透けて見えます。
おかしいですよね。
全裸を見せているのに、下着姿を見られると思うと、恥ずかしいのです。
下着に凝っているのは私の淫乱の証のようで気になります。
 私は話を途切れさせないようにしました。
彼に見られながら下着をとりたいと思っていたからです。
 正面を向いたままブラをとりました。
軽く手で胸を隠しながら私は「こちらにとっては最高の贅沢ね」と、言いました。
彼は「もう、貸しきりだと思って泳いでもいいですよ」と、笑いました。
 私は内心では、喉がカラカラで言葉に詰まりそうなのに無理して話していたのです。
そして、さり気なく後ろを向いてパンツを降ろしました。
お尻を彼に突き出しています。
チラッと見たのですが、パンツの恥ずかしいその部分が汚れていました。
番台からそんなとこまで見えるとも思えないのですが、恥ずかしくなりました。
こんなことなら、家で替えてくればよかったと後悔しました。
 パンツを脱いですぐに振り返りました。
近所に出来たジムのプールの話をしていたので、当然、彼はこちらを見たままでした。
私は全裸のまま胸だけを少し隠してしばらく話していました。
上からでもヘアーは見えるはずです。
正面からならラビアも見えるはずですが、上からだとどうなのでしょうか。
 浴場にはいり、まずはシャワーを使いアソコに触れると、完全に濡れていました。
帰りにも、と、思ったのですが、終わり間際になって、女ともに、バタバタと人が入って来て、私が出る頃には番台もおばさんに代わっていて、彼の姿は見かけませんでした。
 雪になったのは、そのずっと後のことでした。
 私が混浴にこっていたのは、もう随分前になります。
 今のように、日常的にする露出を覚えてしまうと、もはや、私は混浴で露出しても、もの足りなく思うのでしょうね。
 でも、その頃は、好きでした。
ただ、その時の興奮を、今、思い出して書くのは、ものすごく難しいんです。
なぜなら、私はもっと大胆で興奮出来る露出を知ってしまっているからです。
もし、それでもいいなら、かなり、空想が混ざることになるとは、思いますが、書いてみます。
 銭のおじさん、いえ、おさんとは、また、飲み屋で会いたいのです。
出来れば、彼女とも仲良くなって三人で話したいです。
いえ、出来れば彼女と二人きりになって「そういえば、私、全裸を見られているんですよね、なんだか、急に恥ずかしくなっちゃった」なんて、言ってみたいです。
実際に話す機会があっても、とてもそんなことは言えないでしょうけどね。
 彼が私のことを話しているのかだけでも確かめたいんです。
無理ですよね、きっと。
私の妄想だけの露出なら、ひとつ、いえ、ひとつどころではなく、たくさんありますが、ひとつだけ書かせてもらうなら、こんなものがあります。
 仕事がら、私はクライアントの会社の社員行などに、便乗することがあるのです。
それは仕事ではなく、まさに便乗です。
でも、会社も社員の人たちも、私が他人の会社の社員良好にちゃっかり便乗して行していることを、けっこう喜んでいるのです。
こちらも、次の仕事のことも考えて、そうしたものには参加するようにしているのです。
 行けば、お風呂は女の子たちといっしょに入ることになります。
ここまでは、普通のことです。
 でも、私は悪戯されてしまうのです。
みんな酔っているので、悪戯も度こしています。
されたのは、男と女ののれんをかけかえられるというものです。
しかも、脱衣場まではみんなもいっしょに入ります。
たいてい私は最初に脱ぎ終わります。
着替えは昔から早いんです。
 私は「先に入ってるね」と、浴室に向かいます。
タオルなんかで隠しません。
 ガラガラっと、浴室のドアを開けると、何かがおかしいのです。
舟にいるのは女性でなく、男の人たちです。
しかも、つい今まで、いっしょに宴会をしていたクライアントの会社の人たちです。
「深夜姫さん、ここ、男だよ」 と、言われます。
あわててオッパイとアソコを隠しますが、もう遅いのです。
全部見られました。
「あいつらに悪戯されたんでしょう」と、部長さんが腰に巻いていたタオルを貸してくれるのですが、そのためにオチンチンが丸見えになっていまうんです。
 脱衣場には誰れもいません。
私の浴衣もありません。
「だいじょうぶですか」 浴衣がないのに驚いた私が声を上げてしまったので、他の社員の人たちも浴場から出て来てしまいました。
もちろん、私を心配しているふりして、私の裸を見るためです。
 たくさんのオチンチン、それも全員知り合いのオチンチンを見せられることになります。
 そして、私は、その後も、その会社とは仕事をしなければならないのです。
全裸見られた人たち、オチンチンの大きさを知ってしまった人たちと普通の顔で仕事をするのです。
恥ずかしいけど、仕方ないんです。
 そんな妄想です。
 そして、そんな妄想は絶対にあり得ませんが、社員行に便乗したときに、その悪戯を自分でして、男に入ってしまうということなら出来るかな、と、密かに思っています。
男の人も、のれんが入れ替わっていれば、誰れかの悪戯だと思ってくれるはずです。
 裸を見られた人と、仕事場で会わなければならない、それが私がどうしてもしたいけど、たぶん、実現不可能な露出かな。
私の文体に似てしまう…… と、読みながら、顔がほころんでしまうようなことを書いてくれた人がいたので、このさい、調子に乗らせてもらいます。
 このブログを書き始めた頃、私はどう書いていいか分からずに悩んでいました。
私にしか分からないような文章になっていたからです。
 それをある人に相談したら「文章なんてパクリだよ、ものまね、バンドだって、最初はコピーからはじめるでしょう」と、言われました。
そこで、私は「あなたの文章をパクルにはどうしたらいいんですか」と、尋ねてみました。
「かんたんだよ。風景描写、心理描写、行為があって、心理描写で落とす。これが私の文体の基本です」 文章が、そこまで数学的に組み立てられているということを、はじめて知りました。
そして、意外なほど文章は機械的なのだということも知りました。
なんとなく安心して、上手ではありませんが、書きやすくなりました。
書けるようになったと言うべきかもしれませんね。
 ですから、私の文体も風景描写をして、自分の心理を少し書いて、やったことを書いて、最後にまた、自分が感じたことを書いて終わりにしています。
 まねしてもらえたら、嬉しいです。
昨夜、はじめて他人のセックスを見ました。
思えばアダルトビデオもあまりじっくりと見たことのない私にははじめての体験でした。
 その方たちの問題もありますから、いきさつについては何も書けません。
ただ、ホテルの一室で話をしていたのに、女の人はいきなり、男の人に服を脱ぐように命じられたのです。
もちろん抵抗していました。
女の人は私の他に三人いたし、男の人も三人いました。
そんな中では露出痴女と自称する私でも裸にはなれません。
  ところが、その女の人は強く命じられると、下着になり、そして、パンツもとったのです。
 細い身体が印象的でした。
お尻の穴が綺麗でした。
小さいけど、均整のとれたお尻でした。
あまりに緊張していたからでしょうか。
アソコは見ることができませんでした。
いえ、きっと私は見たはずなのです。
でも、記憶にないのです。
 その女の人は命じられて、男の人のモノをくわえ、そして、セックスしていました。
高い声がホテルに響きました。
 私は本当はものすごくそれを見たいのに、目を背けてしまいました。
直視してはいけないように思えたからです。
 ほんの少し身体を移動すれば、オチンチンが女性のアソコに出入りするようすを見ることが出来る、と、そう考えただけで私はドキドキしていました。
 でも、そんなことには興味のないふりです。
このブログの私はみんな作り物で、本当の私は性的欲求なんてない清楚な乙女なのだ、と、いわんばかりの顔で、別の男の人と話しをしていました。
車でしたから、暖かいコーヒーをいれてくれたのですが、セックスがはじまってしまってからは、手をつけられませんでいた。
カップを口まで運ぶ自信がなかったからです。
 指が震えカップを途中で落としてしまう、そう思いました。
それほど緊張していたのです。
  しばらくすると、絶頂の声も聞かないまま、全裸に近い女の人が私の隣のソファに座りました。
パンツはつけていません。
薄いヘアーが見えます。
オッパイの大きな別な女性も隣のベッドで何かしているようです。
私は混乱して、何を話したのか正直、よく覚えていません。
あの人たちは何なのでしょう。
何だったのでしょう。
ものすごく不思議で、でも、ものすごく興味深い人たちでした。
最近はブロック塀というのを見なくなりました。
昔はどこにでもあったように思います。
耐震性の問題なのでしょうか。
 その珍しいブロック塀を見かけました。
少し欠けています。
ちょうど、私のお尻が出るぐらいの穴でした。
ここからお尻だけ出していたらどうだろう、と、思いました。
もちろん、その塀は低いものでしたから、成人の裸のお尻なんか出ていたら、すぐに上を乗り越えて、そんなことをしている女が、どんな女なのか顔を見ようとすることでしょうね。
 でも、その塀がものすごく高くて、その上、その穴以外には他に穴もなかったらどうでしょう。
 出したお尻を触られるのでしょうか。
お尻の亀裂を割られてアソコとお尻の穴をじっくりと観察されてしまうのでしょうか。
 じっくり観察されたあとには、指を入れられてしまうのでしょうか。
そして、指を入れられると、もう十分に濡れていることが分かってしまうはずです。
そんなことをされたら、当然、私のアソコはグショグショになってしまうのでしょうから。
 そうなれば、きっと、オチンチンを挿入されてしまうのでしょう。
 不思議ですね。
セックスは好きではないのに、そうしたセックスの想像をするときには感じてしまうのです。
行為は同じなのに、本当に不思議です。
一流ホテルとまでは言えないと思いますが、ビジネスホテルではありませんでした。
大きな窓が曇り空にもかかわらず殺風景な部屋を明るくしていました。
通りに面してはいるものの、通りから私の姿が見えるようには思いませんでした。
それでも、こちらからは、信号待ちする人たちが見え、それだけでも、私は興奮させられました。
 そして、通りの向こうにもホテルがありました。
どの窓もブラインドはおりていました。
もし、そこに人がいたとしても、昼間では、こちらはシルエットになってしまうだけでしょう。
私は夜に期待しました。
夜なら、部屋の明かりをつければ、裸の女がいることは分かるはずだからです。
裸なのは分かるのに、顔までは分からない、まさに、私が期待するところのものでした。
 ところが、一日目はかなり遅い時間まで、引き回されてしまい、ホテルにもどったのは、もう十二時を回ろうとしていたのです。
私はあわてて、マッサージに電話をしました。
確か十二時半までが受け付けだと記憶していたからです。
本当はお風呂に入って、窓辺の露出を十分に堪能して、それから、マッサージさんを呼びたかったのですが、仕方ありません。
「特別スケベな男の人でお願いします」と、心の中で言いました。
受け付けの人は「少し時間がかかります」と、言ったので、私は、さっそくお風呂をためました。
そして、ほんの少しつかったところで部屋のベルが鳴りました。
まだ、ほんの少しつかっただけです。
あわてて身体を拭き、タオルを巻いてドアを開けました。
悪いのは向こうだと思うと勇気が出ます。
「遅くなるって聞いてたので」と、私は全裸であることを言い訳しました。
すると五十歳ぐらいのおじさんは「ええ、予定が変わって早いほうがいいかと思って、でも、出直しましょうか」と、すこし慌てた様子で言いました。
私は「眠いし、明日早いからいいです。確かに早いほうが、よかったから」と、言い、ドアをそのままベッドに向かいました。
 おじさんはドアを閉めて入って来ました。
私は「あっ、でも、パジャマ着ちゃうと濡れちゃうか、私はこのままでもいいけど、おじさん嫌だものねえ」と、言いました。
独り言のように、たんたんと言いました。
「おじさんは平気ですよ。もう、若い女の子にムラムラしちゃう年齢でもないし、お客さんが良ければバスタオルだけ、敷いてもらって、腰に……」 多分、腰に何かを当てさせるか、パンツだけでもはかせようとしたのだと思うのですが、私はベッドにバスタオルを敷き、全裸のままうつ伏せに寝てしまいました。
内心はドキドキでした。
でも、そんなことはいつものことのように冷静を装っていました。
実は必死でした。
 おじさんは自分のタオルを私のお尻にかけ、別のタオルを私の肩にかけ、マッサージをはじめました。
「お嬢さん、ものすごい凝ってるねえ、これじゃあ頭痛とかもあるでしょう」と、私が全裸であることを無視して話してきました。
 別に特別、この話しが面白いというわけでもないのですが、もう少しこの話しの続きを書かせてください。
 長くなりそうなので、続きは、明日にします。
当然ですが、おじさんは、私のアソコが見えないように気を使ってくれています。
そして、マッサージは、なかなか腰のほうに行きません。
実際、肩も凝っていたのでしょう。
最近、視力の低下にともない、かなり、肩凝りが激しくなっていました。
 それでも、三十分ほどで、さすがに「どうしましょう。腰のほうも」と、ためらいがちに言いました。
この戸惑う男の姿が私は好きなのです。
おじさんは腰にタオルをのせました。
まだお尻は見えません。
でも、横向きになった時に、オッパイやヘアーは見えていたはずです。
その都度タオルを移動してくれはしましたが、見えないはずがないのです。
 腰を揉みはじめると、すぐにタオルは、ずれてしまいます。
私はそんなことに気づいてないと言わんばかりに、ウトウトしているふりをしました。
酔いもあって本当に眠かったのですが、ウトウト出来る余裕なんてありません。
 おじさんは腰からタオルがのせられたお尻に手を移動させました。
お尻を揉んでいるのです。
の付け根ではありません。
明らかにお尻の頬の上なのです。
そして、少し足を開くと、今度は、足の裏を揉みました。
そして「仰向けになってもらって」と、言いました。
やはり、言いにくそうでした。
私はタオルも気にせずに寝返りました。
ヘアーだけでなく、アソコだって丸見えです。
もう、犯されたってもんくは言えないでしょうね。
これでは誘惑しているようなものなのですから。
「お客さん、机仕事だと思ったんですけど、足もかなり使うんですねえ、これは、座りっぱなしで凝ったものじゃなく、歩き過ぎた時の凝りですものねえ」 それでも、おじさんは普通のマッサージをしている時と同じことを言っているようです。
実際、私が一日に歩く距離や立ちっぱなしでいる時間は相当長いものなのです。
その反面、PCの前に座れば、そこから先も長いのです。
おかげで私はすっかり凝り症になってしまいました。
 おじさんは、私の膝を曲げました。
アソコが広げられた格好です。
さすがに、少し恥ずかしくなり「やだ、濡れてないですよね」と、言ってしまいました。
おじさんは「いや、そこは見ないようにね、いちおうね、エチケットでね」と、あまり会話にならないことを言いました。
実際には、もっと、いろいろ言っていたと思います。
おじさんもかなり動揺していたようです。
「女って、エッチと関係なく濡れたりするから、恥ずかしくて」「いやいや、マッサージで濡れる人は多いんですよ。だから、マッサージして、それから、旦那さんといたすっていう人もいるんですよ。男の人でもねえ、マッサージして、元気になって、それから、遊びに行ったりね。中には、そうした遊びの女の人呼んでおいて、その横でマッサージさせたりする人もいますよ」 確かに、マッサージでリラックスした後は性欲も増すものかもしれません。
もっとも私は、そうして見せていることで興奮していたのですが、それはおじさんには想像もつかないのでしょう。
 おじさんが帰ってから、もう一度、今度はゆっくりお風呂に入りました。
 この出張の話しは、まだまだ続きます。
いつもとペースが違って、ブログらしくはないけど、辛抱して、つきあって下さい。
おじさんが帰った後、お風呂の中で私は動揺しました。
あまりにもアソコが濡れていたからです。
 舟につかっていても、指はアソコに触れてしまいます。
そして、少しでも敏感な部分に触れると、それがどんなにわずかであっても、全身がしびれました。
 私は熱めのお風呂をそのままに、軽く身体を拭いて、窓のところに行きました。
厚いカーテンを開けると、階下に夜の交差点が見えました。
信号待ちする男の人の姿があります。
そこからでは、私の姿は、かすかに人の形をしているだけで、男か女か、いえ、人間か人形かも見分けがつかないことでしょう。
でも、向かいのホテルの部屋は違います。
そこからなら全裸の私が見えるはずでした。
 見ると、ほとんどの部屋の電気はすでに消えているか、ブラインドがおろされていました。
とくに、私の階の向かいは全滅でした。
 それでもいいのです。
窓のところで全裸を外に晒してオナニー出来れば私は満足でした。
 それをしようとした、まさにその時、私の目に信じられない光景が写りました。
全裸の女性です。
数階下になるので、はっきりとは見えません。
全裸のまま窓辺に置かれた一人用のソファーに座ったのです。
 長い髪、大きなオッパイ、大きなお尻、少し太めの女性でした。
顔までは分かりませんが若そうなのです。
すると、やはり全裸の初老の男の人が彼女に缶のようなものを渡しました。
わずかですがオチンチンも見えています。
 すごいところを見ていると思いました。
これが噂に聞いた露出カップルかもしれないと興奮しました。
全裸の女がここで興奮しながら見ていることを伝えたい、と、思ったのですが、向こうは窓の外を気にしている様子がないのです。
 しばらく、そのまま缶ビールだと思うのですが全裸彼女は飲んでいました。
私は少し寒くなったので、一度、につかりました。
 出て来て再びその部屋を見た時、私は目を疑いました。
全裸の女性が座っていた椅子に若い男の子が座っているのです。
やはり全裸です。
しかも、そんな遠くからでもオチンチンが大きいことが分かるぐらい、本当に大きいのです。
 それから私は目が離せなくなり、あわててベッドから、毛布をひきはがして、それを羽織りました。
暖房は効いているのですが、窓のそばは寒いのです。
 先ほどの初老の人が、現れました。
椅子に座る男の子と何やら話をしているようです。
男の子が立ちあがると、その人は大きなオチンチンの頭を軽くたたきました。
バトンタッチなの、と、私は思いました。
ベッドは見えないので、何をしているのかは分からないのです。
男の子と入れ替わり、初老の男の人が椅子に座りました。
やはりアソコを隠そうという気はないようです。
 どれぐらい見ていたでしょうか、今度は女性が現れました。
そして、椅子に座っていた男の人のを舐めているようなのです。
その後、今度は女性が椅子に座り、初老の男の人は自分のお尻を女性の顔に押しつけていました。
 そして、消えました。
 女性は、大きく手を叩きます。
大笑いしているような様子です。
一度、消え、また、椅子に座り、同じように、手を叩いています。
 その後、女性はまた消えました。
しばらく待ったのですが、現れません。
次の日のたいせつな仕事のこともあり、私はそこで寝てしまいました。
 あの部屋で何があったのかは、結局、分からないままです。
裏窓ではなく、フランス映画に『裏窓の女』と、いう映画があるのです。
 覗きの被害に遭遇した女の話しなのですが、アブノーマル映画としては、まったく、ひとつも面白くないのですが、文学作品としては、本当に素敵な映画なのです。
最初にさりげなくはられた複線が、後になって、すべて繋がって来る、その見事なストーリー展開、その展開に魅了されます。
 映画って、小説って、こうだったよねえ、と、しみじみ語りたくなってしまうほど、本当に素敵な映画なんです。
この映画だけは、一度観ておく価値があります。
しかも、レンタルビデオだと思って、バカにして観ていたらだめです。
もう、最初の一秒から重要なんですから、これほど無駄のない映画はありません。
アカデミーとか、いろいろありますが、私は、この映画が一番好きなんです。
 最初の一秒を無駄にした人は最後の感動が少なくなります。
そんな映画って、あるでしょうか。
 ストーリーは、見るかもしれない人のために何も書きません。
いっさいのストーリーを知らないほうが、この映画は楽しめるのです。
パッケージも読むべきではないかもしれません。
 これを書いていたら、私もまた見たくなりました。
 問題は、今でもレンタルビデオ屋さんにあるのかということだけです。
あれは、中学生の頃のことだったと思います。
 私たちは男の子の家に文化祭のことで集まることになっていました。
私の他に男女四人が集まる予定でした。
でも、私は最初に、その男の子に家についたのです。
両親が共稼ぎで、その男の子以外には、誰れも家族はいませんでした。
 私が着いて間もなくして、別の友だちから電話が入りました。
男の子はしばらく、電話で道を説明していたようです。
でも、結局、電話での説明では分からなかったらしく、男の子が迎えに行くことになりました。
私は迎えに行く場所のことを知っていました。
でも、私も地理がよく分からないふりをしていました。
 そして、男の子が家を出た後、ドキドキしながら全裸になったのです。
来る子はその子だけではありません。
もし別の子がきたら、どうすればいいのでしょう。
そう思いながらも、私は全裸になってしまいました。
 私がしたかったのは、全裸でオシッコです。
私がいた男の子の部屋は二階で、トイレは一階でした。
私は全裸のまま階段を降り、怖いので、トイレのドアは開けたままオシッコをしなければなりませんでした。
 その間に別の子が来るか、男の子が何かの都合でもどって来てしまえば、もう、私は全裸を見られるだけでなく、何をしようとしていたのかさえ、言えない状況になるのでした。
でも、普通にその場所まで迎えに行けば、オシッコをして部屋にもどっても十分な時間はあるはずだったのです。
 トイレには、ほんの一瞬しが座れませんでした。
怖くなってしまったのです。
あわてて部屋にもどり、服を着ました。
服を着てから、もう一度、トイレに行き、今度はオシッコをしました。
そして部屋にもどったのですが、それでも、まだ、男の子は帰って来ませんでした。
 それでも、当時の私は十分に興奮していました。
 友だちが集まった後も、今、そこに私は全裸で立っていたのよ、と、そんなことを思いました。
かなり興奮していたはずです。
 その頃から、私は変だったのです。
教室で全裸になってみるということ。
 それは私もやりました。
 ものすごく意外なことに、まったく露出なんかに興味のない、私の知り合いの普通の女の子も、放課後、こっそり教室で全裸になってみたことがあると言っていました。
そうしたことをした人、実はけっこういるのではないでしょうか。
私の中には、見られたいという欲望の他に、誰れかに、理解されたいとか、暖かく向かえ入れられたいという欲望があるのだと思います。
 教室で、こっそりと全裸になるのは、見られたいからではなく、そんな、エッチで変態で、どうしようもない自分を見つけて、慰められたい、と、そう思っていたからだったような気がするのです。
この感覚は、うまく説明できません。
こうしてブログを書いていると、多くの人が私をマゾだと言います。
 確かに、教室で全裸になっているのを見つけられ、そのことで脅され、もっと、恥ずかしい姿をさせられてしまうとか、恥ずかしい行為、オシッコとかオナニーを強制されてしまうという妄想もないわけではありません。
 でも、その反面で「そんなことしなければならないなんて、なんて可哀想な子なんだ」と、優しくされることも妄想していたと思うのです。
どうして、教室で全裸の私に同情する人がいると思うのかは、謎です。
 何か書けると思ったのですが、難しいですね。
やっぱり分かりません。
ただ、今日、二人の女の子にこの話をしたところ、経験こそありませんでしたが、二人とも、放課後の教室で全裸になってみようかと考えたことはあったと、言っていました。
やっぱり、そこには、男女を超えエッチを超えた何かがありますよね。
子供の頃、私は家に一人でいると、必ずといっていいほど、全裸になったような気がします。
今は一人暮らしですから、全裸で部屋にいることには、何のためらいも、また、快感もありません。
でも、子供の頃には、それがあったのです。
 とくに好んでしたのは、全裸のままドアも全開にしてトイレをすることでした。
それならお風呂でオシッコしたりすればいいようなものです。
もちろん、お風呂でもすることはあります。
でも、お風呂でオシッコするのはドキドキするのですが、お風呂全裸でいるのは当たり前ですよね。
それがトイレだと違うのです。
 私はたいてい、誰れかに命令されて、あるいは、何かの罰として全裸になり、そして、トイレのドアを閉める自由も奪われてオシッコをすることになります。
そのとき「この娘は躾が悪いので、便器を汚すかもしれない」とか「オシッコがどっちに飛ぶか分かったものではない」などと言われます。
 全裸のままテレビに向かって足をひろげたりもしました。
そして「こんな子供なのに、あんなことをしているなんて、恥ずかしくないのかしら」と、テレビの向こうで思っていると考えるのです。
 なんだか思い返すと、かなり危ないですよね。
 階段の途中に鏡を置いて、階段を全裸で昇り降りするということもよくしていました。
普段はパジャマで家の中にいることも禁じられていたので、反発心のようなものもあったのでしょうが、それだけではないような行為です。
 同じことが、一人暮らしの今は、全裸のまま外にオシッコをしに行く、あるいは、全裸のまま自販機までジュースを買いに行く行為になっているのかもしれませんね。
違うかな射精を見るのは大好きで、最近でも、痴漢さんの射精を見たことがあります。
 でも、その話しではなく、印象的だった射精の話しを書きたかったのですが、麗奈さんとサトリさんとのメール交換が長くなり、ちょっと、書けそうにありません。
明日にでも書きます。
他に書きたいことが出来てしまったら、書きません。
 サトリさんは、都内にサロンを作る計画をもっているそうです。
 その話しで盛り上がったのです。
そこでは、男の人はオナニーしてもいいそうです。
そこで、私が裸になることはありませんよ。
期待しないでくださいね。
でも、オナニーを見せてもらうことは出来るかもしれません。
まあ、これも、話しだけの夢に終わるかもしれませんけど。
私の演出の露出ビデオの話しも、モデルさんが決まらず、そのままになってしまったようですしね。
 このブログをはじめるもっと前の話しです。
まだ、露出痴女になる前です。
露出願望はありましたが、実は、実際に外で露出するようになったのは、最近のことなのです。
 その人は、私が昼下がりの公園でぼんやりと過ごしているところにやって来ました。
人のあまり来ない公園でしたが、何しろ昼間なので、私は安心していました。
それに、その人は、スーツ姿にもかかわらず女の子のように見えたのです。
「すいません」 それでも、ベンチの前に他人が立つというのは、威圧感があります。
私は一瞬、戸惑い、そして立ち上がろうとしました。
でも、その人は、私の前で、しゃがんだのです。
そして「聞いてもいいですか」と、言うのです。
立とうとしたところで相手にしゃがまれたからでしょうか、私は立てなくなりました。
「誤解しないでくださいね。あの、僕のチンチンって小さいんですよ、よければ見てもらえないでしょうか」 その言葉で、私はようやく立ち上がりました。
あわてて周囲を見たのですが、助けを求められるような人はいません。
犬に襲われたときの注意ではありませんが、急に後ろを見せて逃げてはいけないように思いました。
ゆっくりと逃げようと思ったのです。
でも、彼は「本当に見てくれるだけで、絶対に何もしません。だって、こんなところで何も出来ないでしょう」と、言います。
見ると、すでにオチンチンが出ているんです。
しゃがんだのは、それを周囲の人に見られないためだったのかもしれません。
アソコから、たらんっと垂れているモノは、醜いモノなのに少しだけ可愛いと思ってしまいました。
「小さいでしょ」と、彼はそれを指して言います。
本当は小さくありません。
いえ、むしろ大きいと思いました。
多分、五センチぐらいだったと思います。
当時の私には、平常時でその大きさは小さいほうではありませんでした。
「あっちに行ってください、見たくありません」と、私は言いながら、ベンチに座りなおしました。
それほど危険はないと思ったからです。
本当は「もっと、じっくり見せて」と、言いたかったのですが、そんなことを言えば、相手はそんな女なら何をしても平気だろうと調子にのるかもしれないので、私はいかにも迷惑という顔をしたのです。
心とは裏腹に私は午後の陽射しを楽しんでいるのだから、あなたがどこかに行ってよ、という態度です。
 その人は、しゃがんだまま手を後ろから回してオナニーしました。
オナニーは見たことがないわけではありませんでした。
でも、そんな姿でオナニーするところは見たことがありませんでした。
「小さいって、言って」と、その人に言われて、私は一瞬、自分が、それを見つめてしまっていたことを知りました。
オチンチンは勃起してましたが、太さも大きさも変化しません。
平常時五センチ、勃起しても五センチ。
それは私には衝撃でした。
出来れば私もそこにしゃがみこんで、もっと、じっくり見たいほどでした。
 その人は「いきます」と、言うと、少し身体を斜めにしてくれました。
私の足に精液がかからにように気を遣ってくれたのだと思いました。
そんなことをされているというのに、その気遣いが嬉しいように思えたのですから、私も普通ではありません。
しゃがんだ姿勢のまま、その人は射精しました。
かなり飛びました。
確かに、正面でされていたら、私の靴にかかったかもしれません。
それほど飛んだのです。
 私は冷たく「もういいでしょ、あっち行ってください」と、言ってしまいました。
その人は、立ち上がると、そのまま行ってしまいました。
立ち上がると、自動でオチンチンは仕舞われるのです。
どうやっていたのかは今も分からないままです。
逃げるようにして去って行くその人を見て、私は、ああ、彼も怖かったんだなあ、いっぱいいっぱいだったんだあ、と、変なことを思いました。
その奇妙な感覚と、あの勃起しても同じ大きさのオチンチンと、オナニーは、かなり印象に残っています。
別に、何がどうということもないんです。
それだけの話しなんです。
そのマンションには初めて行きました。
私を誘ったのは、仕事先の男の子で私よりも十歳も下です。
 マンションに入ると、初老の男の人と美しい女の人がいます。
女の人は下着に近い格好です。
男の子は、その女の人に言われて玄関先で服を脱ぎはじめました。
私が隣にいるというのに平気です。
身の置き所に困る私の横で彼はパンツまで脱いでしましました。
そして、全裸で両手を床につくのです。
絶対に他人に見られてはいけないお尻の穴さえ晒しています。
「お前の仲間なのだから、お前がお頼み」と、女の人が彼に言います。
私には何のことか分かりません。
彼は「深夜姫さま、お願いです。一緒に全裸になってください」と、言います。
もちろん、私は従えません。
おどおどしていると、女の人は、彼のお尻を鞭のようなもので打ちました。
彼は「ひー」と、呻いて玄関をころがります。
その顔が私の靴にあたりました。
私はまだ、靴も脱いでいません。
ころがるまでは分からなかったのですが、彼のオチンチンはすでに十分に大きくなっていました。
「男の服を取り上げなさい」と、奥にいた初老の人が女の人に言います。
彼は服を取り上げられました。
このまま帰りたければ、全裸の彼をつれて駐車場まで行きなさい、と、そうした意味なのでしょう。
 それは出来そうにありません。
同性と、年下の知り合いの男の子の前で全裸になるのは、恥ずかしいけど、私には従うしかありませんでした。
 そんな私の妄想がサトリさんの元では、現実として起きているのですね。
同性の前で裸にされた男の子のお尻、私もものすごく見たかったです。
サトリさんは、かなりのプレイをしているM女なのですから、きっとS女にもなれると思います。
実は私も、自分ではMだと思うのですが、Sにも興味があります。
もし、サトリさんがSを体験したら、私にも、いろいろ教えてください。
 最近、露出痴女してません。
この寒さですし、花粉症が酷くなっているからです。
ここ数日は雨で調子がいいのですが、それでも、露出出来るほど、元気にはなっていません。
今日も妄想の話しで終わりました。
外で脱ぎたい欲求は強くなっているのですが……ノーパンで歩くというのは、そんなに不安なことではありません。
どんなに短いスカートでも、スカートがあれば、意外なほど不安なく歩けるものなのです。
もっとも、ミニスカートだという恥ずかしさはあります。
でも、それはノーパンとは関係のない別の羞恥なのです。
 ところが、ミニスカートなんかより、よっぽど長い膝ぐらいまでの長さのあるジャケットを着ているのに、スカートを付けていないと、ノーパンであることが、ものすごい不安になるものなのです。
同じノーパンでも、夏にマイクロミニで歩くほうがアソコに風を感じるはずなのです。
それなのに、アソコが晒されているような錯覚をするほどスカートがないというだけで、下半身に風と不安を感じるのです。
 街を歩いていても、私が下半身裸だと、皆が分かっているのではないかと思ってしまいます。
それはどんなミニでもスカートをつけている時にはない感覚なのです。
 深夜のコーヒーショップに入ります。
ジャケットは脱げません。
脱げばまったく隠すものなくアソコを晒してしまうことになるからです。
 ジャケットを脱がずにトイレに行きます。
フロントボタンを外すと、白のシャツの下に黒いものが見えます。
上半身が厚着なのに下半身裸なのは、何とも奇妙な格好です。
 普通なら、トイレでジャケットを脱いで出て来るところなのでしょうが、私は着たまま出ます。
 さすがに長居は出来ません。
 そのまま、ほんの少しコーヒーを飲むだけで店を出ます。
長居をすれば暑さを感じてしまうからです。
さすがに暑いのにジャケットを脱がないのは不自然でしょう。
 帰りも、私は不安を抱えて歩きます。
ジャケットをたくし上げれば、下半身は裸です。
そのことを考えながら帰るのです。
いつか書きたいと思っていたのですが、私にとっての、オチンチンは遠くにあって愛でるものですね。
 遠くにあるオチンチンは実は、小さくて、包茎が好きです。
もし、何かのパーティとか、あるいは、サトリさんの3Pのような体験をするなら、大きなオチンチンが好きかもしれません。
 でも、たとえば、外で見せられるなら、小さいほうがいいのです。
小さいと、なんとなく安心出来るからです。
しかも、小さいと、まだ、未成熟な印象もあるからいいのです。
きっと、私はどこかで、本当に幼かった頃に見たオチンチンを見たがっているのでしょうね。
子供にアソコを見せたいと考えてしまったり、子供のオチンチンを見たいと思うのも、そうした理由からなのではないでしょうか。
「小さいね、そんなに小さいのに、ビンビンに勃ってるなんて、ものすごーく、生意気だと思わない。セックスしたって、女の人には、物足りないものなのに、どうして、そんなに頑張って勃起させてるの。役に立たないんだから、勃起なんかしたって意味なんかないでしょう」 そんなことを言ってみたいですね。
 そんなことを言われると男の人は傷つくでしょう。
そして、オチンチンも小さくなってしまうんです。
「どうしたの、元気なくなったの。ショックだった、可哀想ね。それじゃあ、大きくなるように、お姉さんがアソコを見せてあげる。でも、どうせ役に立たないんだから、前はだめよ、お尻だけ、でも、お尻の穴の汚いところは、たっぷり見ていいのよ。見たいの」 と、アソコを手で隠して、お尻の穴を見せます。
そんなところを見て、勃起してしまうオチンチンが私は好きなのです。
見せてあげないと言いながら、私はサービスでアソコも見せてあげます。
 書いていて、ちょっと興奮してきました。
 この世界は「あり」かもしれませんね。
 問題は大きい小さい、太い細いが、けっこういいかげんだというところです。
この人のは大きい、とか、この人の小さい、とは思うんですよ。
でも、じゃあ、あのとき見たオチンチンと比べて、と、思うと、覚えてないんです。
思い出せないというほうが正しいかもしれません。
貶したり、こけおろしたり出来るほど、オチンチンのことを正確には記憶していないような気がするんです。
 どうなのでしょう。
女って、そんなに正確にオチンチンのこと覚えているものなのでしょうか。
他の女の人たちの話しを聞いてみたいですね。
ほんの少しだけ、マンションの外まで、向かいにある駐車場まで、そこにある自販機で何かを買うだけ。
そんなことを私は入浴の度に考えています。
そして、たいていは、その考えは入浴中になくなります。
 全裸で外に行く、それをしている時はいいのです。
興奮していますし、感じています。
満たされているのです。
でも、しばらくして冷静な自分にもどると、激しい自己嫌悪と恐怖に襲われることになるのです。
 恐怖というのは、目撃されたかもしれないという妄想です。
興奮している時には、同じ妄想が脅されて、もっと嫌らしい行為をさせられてしまう、というものになります。
 しかし、同じ妄想なのに、冷静になってからは、近所の主婦が大声で怒鳴りこんで来るとか、お金を強請られてしまうとか、性的でない恐怖妄想に変わるのです。
 そして、私は自己嫌悪します。
どうして私は普通に恋愛をしないのかと悩むのです。
 SMマニアの方なら分かります。
プレイの果てには恋愛があるかもしれないからです。
でも、露出するだけの私にはそんな可能性はないのです。
ビクビクと脅え、コソコソと隠れなければなりません。
露出の向こう側に幸福はありません。
 M女の方が苦痛や羞恥の後に、褒めて、可愛がられるのがいい、と書いていたのを読んだことがあります。
私には、そうした結果はありません。
快楽にしても、部屋の中で安全にオナニーする以上の快楽があるはずがないのです。
 裸を見せてお金をもらうことも出来るのに、それでは私は満足出来ないのです。
 不安と恐怖と自己嫌悪の前のつかの間の快感。
それだけを求めているからです。
セックスがなかったわけではありません。
恋愛のような経験もしています。
でも、私は愛せないし、セックスでは感じることが出来なかったのです。
 外に出たい。
全裸を晒したい。
そう考えて、舟を出ます。
たくさん暖まると、逆に外には出られなくなります。
身体は暖かく外に出るにはちょうどいいのですが、疲れきってしまうからです。
そうして私の冬は終わるのかもしれません私は特別にスケベだったからでしょうか。
もし、気楽に女の子とワイ談が出来るなら、聞きたい話がいくつもありました。
一番、聞きたかったのは、自分のアソコを鏡で見たことがあるかでした。
好奇心とかではなく、オナニーの対象として見るという経験です。
私はよく見ていました。
今でも、自分のアソコを鏡に写してオナニーすることがあるほどです。
もちろん、自分のアソコの形状に興奮しているわけではありません。
これを男の人が見たらどう思うのだろう。
嫌らしいアソコだと思うのか、それとも、ただ、条件反射のように興奮してしまうのか、と、そんなことを妄想してオナニーするのです。
 オナニーしている時に、その指を舐めたことがあるかという話もしてみたいですね。
それも、どんな味なのかな、と、そんな女の子っぽい気持ちではなく、妄想として舐めるのです。
私は、アソコが濡れているということを確認されることを、まずは妄想します。
そして、それを私にも確認させるために、男の人が私の嫌らしい液のついた自分の指を私に舐めさせるという妄想をします。
そして、その妄想で、自分の指を舐めたりするのです。
それも、相手はまったく知らない人です。
 そんな妄想、現実、いろいろなワイ談がしたいんです。
男の人とではなく、女の子だけで、おもいっきりやってみたいんです。
でも、こんなこと思うのは私だけなのかな。
アソコを鏡に写す話が、こんなに盛り上がるとは、思いませんでした。
こんな変態はさすがに自分だけで、こんなことは変態と自称する人たちの中でさえ、ひかれてしまうのでは、と、考えていました。
意外と、皆も同じなんですね。
 コメントを返し、ここに書きたいこともあるのですが、今夜は疲れているので、またにします。
 私は自分のアソコがいつ、こんな形状になってしまったのか、記憶にありません。
気がついたときにはグロテスクでした。
私も、その変化に気がつきたかったです。
出来れば、子供の頃から、一年ごとに写真で記録しておきたかったです。
真美さんの言うことは、本当にそうですよね。
私も女性だけが、何故、という気持ちがあります。
でも、私には、自分のその部分を文字や声に出して表現することが出来ません。
単純にものすごく恥ずかしいのです。
そして、私にとっては、ものすごく恥ずかしい場所だからこそ、ものすごく嫌らしい場所でもあります。
 まさに男社会の思惑通りと言われると、悔しくもありますが、そうと分かったところで、どうにもならないところがあります。
オチンチンとは書けるのに、ペニスとも書けるのに、キンタマとは書き難いのです。
同じようにヴァギナとは平気で書けますね。
そこには、幼児期から刷り込まれてしまった何かの影響があるのだと思います。
オチンチンは子供でも使いますが、それに対抗する女の子の名称はありませんでした。
ペニスと私が覚えたときには、それに対抗してヴァギナという言葉がありました。
封印されているのが「キンタマ」と「オマンコ」なのだと思います。
 確かにおかしいですよね。
でも、羞恥の問題なので、すぐには直せないと思います。
 出来れば、女の子、とくに子供のアソコの愛称のようなものが作れるといいですよね。
私の知り合いの母親は、自分の娘に「オマンマン」と、言わせていましたが、私は思わず赤面してしまいました。
 一説によれば、子供の頃からスケベだった女ほど、その部分を「オマンコ」と、呼ぶのに抵抗を持っているということです。
本当かどうかは分かりません。
 深夜に自分のその部分を晒している女が、たかがブログで「オマンコ」と、書くことをためらうって、おかしいですよね。
でも、これはカマトトでもなんでもなく、正直な私の印象なのです。
心象かもしれません。
 アソコとアナルの話しは、また、書きますね。
 これって、意外なほど私にとって重要な話しなんです。
ちなみに、私は恥ずかしいのはアナルで、見せたいのもアナルです。
今はもう見なくなった和式トイレでしかも共用。
私にとって貴重なそのトイレは、すこし郊外にあります。
前回、訪れたのは三ヶ月以上前になります。
もしかしたら、喫茶店がなくなっているかもしれない。
もしかしたら、トイレが男女別にされているかもしれない、と、不安でした。
 そうしたお店が少なくないからです。
 お店はそのままでした。
郊外とはいえ駅前です。
サラリーマンらしい人がたくさんいます。
 様子を伺って私はトイレに行きます。
個室のカギをかけ忘れるためのトイレです。
真後ろから見られます。
アソコだけでなく、もっとも恥ずかしいお尻の穴も見られてしまいます。
 私のお尻には毛がありません。
全体に毛は少ないほうなのだと思います。
でも、毛がないからこそ、私のお尻の穴は、しっかりと露出しているのです。
恥ずかしいほどはっきりと見えます。
よーく見ると、少し色あせしているようにも見えます。
 そこを見られるのが何よりも恥ずかしいのです。
 お尻は、一番、そそうしてはいけないところだからです。
そして、たとえ赤ちゃんでも、そそうした時にしか、そこまでは見られない、と、私には、そんな錯覚があるのです。
オシッコも漏らせば、拭かれるのでしょう。
でも、ウンチを漏らしたら、たんねんに拭かれてしまう、そんな意識があるのです。
それゆえに、私は、お尻の穴を見られるのが一番恥ずかしいことだという思いがあるのです。
 トイレにしゃがんでお尻を出して、しばらく、じっと待ちました。
でも、誰れも入って来る様子がありません。
あまり長く中にいるのは、また、違った意味で恥ずかしいので、外に出ます。
二度、行くのも恥ずかしいので出来ません。
 そうして、何もないまま私は店を出ます。
実は、何かが起こるのは、ものすごく少ないのです。
ただ、いつもは、何もないと、それは書きません。
このブログに書かれないことは、書かれたことの何倍もあります。
見てもらうなんて、かんたんそうですが、実は、そうそうないものなのです。
小さな駐車場です。
一軒家があった所を駐車場にしたのでしょうか。
三台しか入りません。
車の中でこっそり服を脱ぎました。
全てがフロントファスナーですから、車の中でも容易に全裸になることが出来ました。
周囲に人が来る様子はありません。
でも、車ですから、一度、外に出たら、誰れもいないときにしか、もどることが出来ません。
もし、駐車場に別の車が入って来て、その運転手が車の中で電話でもはじめてしまったら、もう、私は車にもどることが出来ません。
 そっと車を降りました。
全裸のまま外を歩くのは久しぶりでした。
緊張で身体が震えました。
寒さではありません、緊張でした。
 車を入れた方向と反対側にはマンションが並んでいて、そのマンションの間には、人以外は自転車でさえ通り抜けられないような細い抜け道があります。
 私はそこに身を隠しました。
身を隠したと言っても、人がそこに来れば、かんたんに見つかってしまいます。
こんな時間のこんな場所に人が来るはずがない、それだけしか考えませんでした。
 通りがあり、その向こうには、大きな駐車場があります。
こちらは月極の駐車場です。
百台以上は入るのではないでしょうか。
深夜ということで、車はぎっしりと並んでいます。
 その車の中に乗っている人がいないなんて確信は私にはありません。
でも、私は通りを渡り、駐車場に入りました。
車の間を走り抜け、とにかく一番奥まで行こうと思いました。
その間は隠れてはいけない、何があっても、しゃがまないと、そう決めていまいた。
私の露出は、決めたことを、とにかく守るのです。
誰れに責められるわけでもないのに、本当に不思議です。
 駐車場の奥にはファンスがあり、その向こうは裏路地です。
フェンスを乗り越えて中に入って来ることは出来ないでしょう。
でも、人が通れば私は全てを晒さなければなりません。
奥まで行ったところで、安心して身を隠すことの出来る場所があるわけではないのです。
 それでも私はフェンスまで行き着きました。
フェンスに全裸の身体を密着させると、冷たい網の感触が私の身体を心地よく愛撫しました。
 駐車場の入り口がはるか遠くに見えます。
急に怖くなって、他人の車の陰に身を隠しました。
他人の車の陰は不安です。
その持ち主が、いつ現れないともかぎらないからです。
 全裸のまま膝を抱えてじっとしていました。
自分のおっぱいが暖かく心地良いのです。
お尻に抜けていく冷たい空気も心地の良いものでした。
 私はお尻をフェンスに密着させてみました。
お尻の両頬を割り、つぼみの部分が広がるほど強くフェンスに押し付けました。
もし、誰れかがその気になれば、お尻を犯されてしまうことでしょう。
悪戯で何か異物を挿入されてしまうかもしれません。
「このまま三分はガマンする」と、心に近いました。
時計は持っています。
じっと、針を見つめました。
フェンスの向こうに人の気配があっても、駐車場に入って来る車があっても、その三分だけは絶対に動かない、と、勝手に一人で決めました。
本当にそうしたかどうかは分かりません。
 三分が過ぎると、私は、来たときとは違い、車の陰をしゃがみながら、慎重にもどりました。
 通りにさしかかったところで、車が一台通過し、私を驚かせましたが、誰れにも見られることなく車にもどることが出来ました。
しばらく興奮でハンドルを握ることが出来ませんでした。
同性に裸を見られることには抵抗があります。
たとえば、エッチな雑誌のモデルになるというような話しは、私は恥ずかしいです。
それは、同性の厳しい視線のことを考えるからです。
 こんな衰えた肉体をどうして他人の目に晒すのだろう、と、思われるのが嫌なんです。
 それなのに、露出では同性に見られたいという気持ちがあります。
深夜のデートしているカップル見られたいのです。
男の人が「お前の胸のほうが大きくてスキだよ」なんて囁いているかもしれないところを想像して興奮するのです。
同性には「あんなことするなんて信じられない、同じ女として恥ずかしい」と、そう思われたいのです。
 嫌われたい、そうした思いが私の中にはあるのだと思います。
 でも、深夜に私が全裸になれるような場所に、カップルがいることは、まず、ありません。
もし、いたとしても露出の出来る条件が整わなければなりません。
そして、私の勇気も必要になります。
 まだ、同性しかいない場所での露出はしたことがありません。
ときどき、深夜の公園に一人でいる女性を見かけることがあります。
もしかしたら、私と同じタイプの人間なのでは、と、思うことはあるのですが、それを聞く勇気もなければ、そこで露出する勇気もありません。
 正直なところ、私にも自分のことがよく分からないのです。
 何が本当は恥ずかしくて、本当は何に興奮しているのか、分からないのです。
何度となく、このブログに書いた酔うと裸になってしまう女の人の家に行きました。
久しぶりでした。
私は仕事を別にすれば、あまり女の子とは友だちになりません。
そんな中、彼女は珍しいタイプなのです。
私がそろそろ距離をとりたいと思っても、彼女は強引なんです。
「忙しいの。だからお願い、掃除と洗濯、そのかわり、冷蔵庫のものは何食べてもいいし、今度、食事おごるから」 そう言われて、私は午後から仕事を休んで彼女の家に行きました。
 こういう時のためにと、すでにカギまで預かっているのです。
でも、私は彼女に自分の部屋のカギを預けるなんて出来ません。
そこが私と彼女の違いなのだと思います。
実際、私は彼女の家で、彼女には、ものすごく迷惑なことをしているのです。
 特に今日は、ひどいことをしました。
 私が彼女の家に着いた午後には、ものすごい陽当たりがベランダにありました。
私はさっそく洗濯をはじめ、部屋の掃除と台所の整理をしました。
最初の洗濯が終わる頃に、私は全裸になりました。
洗濯物をカゴに入れ、ベランダの大きな窓を開けます。
通りを歩く人の姿が見えます。
もちろん、こちらを意識しているわけではありません。
ただ、歩いているだけです。
それでも、全裸のままそこに立てば、誰れかに見られるかもしれません。
 少し迷いました。
持って来ているミニのワンピースをつけようかとも思いましたが、そのままベランダに出てしまいました。
 冷たい風と暖かい陽射しのアンバランスさに、少しクラクラとしました。
風が下のヘアーを揺らすというのは、露出の経験ない人には分からない感覚だと思います。
 この上なくソフトな愛撫です。
 あまりの陽射しに、布団も干してあげようと思いつきました。
そのために、物干しざおだけでなく、手すりも拭きました。
その間は全裸で、外での作業です。
そして、何人もの人が私の下を通り抜けて行きます。
少しでも上を見れば、そこに全裸で雑巾がけをする女の姿が見えるはずです。
 下からなら、私の恥ずかしいアソコはその襞の様子まで、はっきりと見えるかもしれません。
 幸いというか、不運にもというか、誰れも上は向きませんでした。
 私は布団を手すりに掛けました。
そうすると、もう通りからは私の姿は隠れます。
背伸びをすればオッパイは見えるかもしれませんが、それだけです。
全ての布団を手すりに並べれば、露天の密室です。
その状態にして、私は洗濯物を干しました。
布団と布団のすき間から、どれほど私の姿が見えるのかは、私には分かりませんでした。
でも、そのすき間から私は通りの人の表情まで、はっきりと見ることが出来ました。
 ドキドキしながら、洗濯物を干しました。
 そして、布団に顔を押しつけてオナニーをしました。
外から見えるのは私の顔だけです。
でも、私からは何もかもが見えるのです。
その上、布団のすき間から吹き込む風は私の身体を愛撫しつづけるのです。
 顔が歪み、声も漏れました。
それでも、下にいる人は平気です。
 私は布団と布団の間のすき間を広げ、その間にしゃがみました。
全裸の私のアソコが外に晒される格好です。
広がったアソコの奥にも風が感じられました。
 それでも、誰れも私の存在に気がつく様子はありません。
 敏感な部分をゆっくりを薬指で撫で、掌でヘアーを撫でました。
和式のトイレスタイルですから、膝がしびれてきます。
そのしびれがアソコで増幅されて、頭の先までしびれてきます。
 ゆっくりと、慎重に慎重に、私はオシッコをこぼしました。
チロっと出しては、あわてて止めました。
その感覚がまた快感を大きくします。
 何度かそうしている内にガマン出来なくなって、ついにオシッコをしてしまいました。
手すりの向こうに滴がこぼれないように、あわてて私は腰を引きました。
 オシッコが終わると、ものすごい快感だけが残りました。
しばらく頭がボーとしていました。
こんなところを見ている人がいたら、何と思うのでしょう。
 アソコも拭かずに私は、部屋にもどり、全裸のままソファーに座りこみました。
しばらくは何も出来ませんでした。
 冷静になってから、オシッコの後が気になったのですが、彼女が帰宅する頃には跡形もなく、臭いもありませんでした。
 でも、私がそんなことをしていると分かったら、彼女はどうするのでしょう。
もし、誰れかに見られたら、きっと、彼女露出変態女だと思われるのです。
迷惑な友だちです。
それでも彼女は私に感謝しています。
私はひどい女だと思います。
まだ、実家にいます。
ノートはあるのですが、落ち着いてブログを書く時間がありません。
 そんなとき、突然、麗奈女王様からメールではなく、電話がありました。
サトリさんのサロンに合わせて、今度こそブログを復活するから、応援してね、と言っていました。
 ブログを書くというのは、たいへんです。
私は、けっこうマイペースなので、いいのですが。
yoshikoさんなどは、本当に毎日書いているので、すごいと思います。
麗奈さんも、電話やメールの感じでは、ブログのことを、まじめに考え過ぎているようなのです。
そのために、たいへんに思えて、踏み切れなくなってしまっているのだと思います。
まじめな人ほど、挫けやすいのがブログだと思います。
 でも、麗奈さんが復帰してくれたら、私にとっても楽しくなりそうなので、期待しているのですが、どうなのでしょうか。
ゆっくりと待つことにします。
焦らせると、また、負担になって、書けなくなってしまいそうなので、今度は、私は何も言わずに、ただ待ってみます。
何度か書きましたが、私がこのブログを書き始めたのは、アンチ彼女でした。
 確か、舞衣さんもどこかで書いていたと思うのです。
マニアの世界って、男性中心で、たまに、女の子の書いたものがあっても「彼が好きだから」「彼がよろこぶから」と、そうした書き方のものが多いですよね。
女が書いてなお男の視線なんですよね。
そうしたものに対する反発で、女がエッチだっていいでしょ、女が変態だっていいでしょ、という気持ちではじめてしまったんです。
 最近は後悔してます。
 実は、このブログを始めた時には、もっと、いろいろな実験をしてもいいのかと思っていたんです。
よく、男の作家さんが女性の一人称で小説を書いていますよね。
私は、男性の一人称で何か書いてみたかったのです。
そんな実験もしてみるつもりでした。
でも、実際に始めてしまったら、何だか、ものすごく責任が重くて、あまり遊んではいけないような雰囲気になってしまったんですね。
おかしいですよね。
まじめに変態しないと叱れるみたいな雰囲気なんですよ。
 私は自分のオチンチンをしごいて、射精する話しとか、ものすごく書きたいんですね。
そのオチンチンはものすごく小さくて、包茎で、でも、カッチカッチなんです。
そこまで出来ているんですけど、そんな話しは、書いてはいけないような雰囲気になってしまったんですね。
男の人たちは、女が自分のクリトリスをいじって感じていくさまを書くのに、どうして、って、そんな思いがあるんです。
 こうしたことは、確か、舞衣さんも書いていましたよね。
メールだったかもしれませんけど。
 たとえば露出した女の子が、興奮して、アソコを濡らしていまう、とかって書かれても、露出していたらアソコは風で乾いてしまうし、怖くて濡らしている余裕なんてないし、その上、女って自分が濡れたのを、触れずに感じるのって難しいでしょ。
だから、なんて勝手な言い分だろうなんて思うわけです。
 それなら、私だって、包茎の皮を剥くときの男の惨めさとか、チリチリと痛みが走るとか、そんなこと書いたっていいわけですよね。
 そうした、いろいろなことを実験的に遊びたいなって思ったんです。
それが舞衣さんたちの鹿鳴館をすごく好きになった最初のきっかけでもあるんです。
私もエッチな実験に参加したいって思ったんです。
撮影の本物は怖そうなので、せめて文章だけの実験なら、私も参加したいなって、そして、そのためには、早く舞衣さんのように、上手な文章を書けるようになりたいなって、けっこう、まじめに書いてきました。
 それが私のブログの楽しみだったんです。
 私のブログの大きな楽しみの一つは、舞衣さんとブログで遊ぶことでした。
今もその気持ちは変わりません。
MIXIでも、そう思って、頑張って詩のようなものを書いているのですが、やっぱり舞衣さんのようには書けません。
いつか舞衣さんが文章で私と遊んでくれること、それが私のブログの目標ですし、楽しみなんです。
これは本気です。
だって、舞衣さんおだてても私には、少しの得もないのですから。
今回はエッチなことは書きませんので、そうしたことを期待して遊びに来てくれている方は、このまま読まずにお帰りください。
 はじめに、それが起きたのは深夜にメールを書いているときでした。
画面に何かが乱反射していて、よく見えなくなりました。
光の加減かと思って、モニターの向きを変えたりしたのですが、プリズムに反射した光のようなそれらが消えることはありませんでした。
 画面以外のところに目をやると、その残像のようなものはあるのですが、すぐに普通の状態にもどりました。
その日は仕事も忙しかったので目が疲れているのだ、寝れば治ると思い、メールをするのを止め、自分のブログを見ることもなく、寝ました。
次の日には、会社でPCを使いましたが何もありませんでした。
ところが、深夜に自分のPCを見ると、やはり同じ現象が起きました。
これは、いよいよモニターの問題と思いました。
でも、どう工夫しても画面に現れるチカチカとしたものは消えません。
しかも、少し離れたところから見ると、そのチカチカはないのです。
 これは何かたいへんなことが目に起きていると思い眼科に行きました。
診断はかんたんでした。
疲れ目と軽いストレスだというのです。
「少し仕事をセーブしたほうがいいですよ」 と、先生にアドバイスされたのですが、仕事では起きないんです、とは言えませんでした。
家に帰ってから、フラッシュのゲームにアクセスしてみました。
文字を書いたり読んだり出来ないのです。
ゲームなど出来るはずがありませんでした。
ところが、ゲームをする分には、何の支障も出ないのです。
あんなに鬱陶しかったチカチカがいっさい出ないのです。
 ブログとメールのやり過ぎだったのかな、と、反省しました。
最近、鹿鳴館サロンのことや、鹿鳴館が新たに仕掛けようとしている幼児プレイマニアのための保育園などの打合せで、一日に何時間もブログやメールを書いたりしていました。
それが原因だったようです。
仕事以上のストレスを持つって、おかしいですよね。
でも、仕事には危険はないわけですが、露出には危険がありますから、仕方ないかもしれません。
これからは、少し、ブログ更新ものんびりとやるつもりです。
 目が悪くなると私には死活問題ですから。
このブログを書き始める前から、私は十分にスケベな女でした。
そして、露出に性的な快感を持つようになったのも、幼児の頃のことです。
ただ、その間、ずっとスケベだったかと言われると、それは違うような気がするのです。
 しばらく性的なことを考えずにいたこともあります。
露出願望のようなものがなくなって、普通の恋愛をしていた頃もありました。
でも、この一年近くは、なんだか露出のことばかり考えていたような気がします。
それは嫌ではありませんでした。
私なりに楽しいことでした。
ときどきは、ここまでしたら、ブログを読んだ人たちが驚くんだろうな、と、思ったりもしました。
読まれる快感のようなものもありました。
 でも、不思議ですね。
目が疲れるので、ブログをあまり書かなくなったら、露出の欲求もなくなってしまって、ここ数日はまったく露出もせず、オナニーさえ、あまりしないで過ごしていました。
 目はそろそろよくなりました。
こうしてブログを書いていても、あまり疲れなくなりました。
そうしたら、また、露出してみたくなりました。
忘れていた何かを思い出してしまったようにです。
もし、このブログを書いていなかったら、こういうときに、また、数年のブランクができてしまうのでしょうね。
欲求が出てきたのがいいことなのか悪いことなのかは分かりません。
でも、元気になるのはいいことです。
露出痴女なんて、他人には言えないことです。
でも、それをしない私には元気もないように思うのです。
この数日間は飲みに行くことさえしていませんでしたし……ひさしぶりに深夜の散歩に出ました。
 あの寒い真冬に、ジャケットだけで外を歩いていたというのに、今日は下着までつけて歩きました。
 全裸の男の人を見た工事現場のマンションはほとんど完成していました。
ときどき、坂の上から露出していた道を下の遊歩道から見上げました。
下から見るとその場所は想像以上に明るいのです。
あの場所にノーパンミニの私がお尻をフェンスに押しつけて立っていたのですから、きっと、白いお尻とその割れた部分は、はっきりと見えたはずです。
そこにノーパンで立つ私を空想しながら、しばらく、ぼんやりと眺めていました。
あたたかくなって来たのに、桜も綺麗なのに、人はありませんでした。
その奥にある公園のブランコには全裸で乗ったことがあります。
 さらに歩いてファミレスまで行きました。
ドリンクバーだけを注文して、駐車場のほうを見ていました。
あそこを全裸で横切ったら、この席にいる人はどう思うだろうと想像していました。
 のんびりとした深夜の散歩です。
でも、これはこれで楽しいものです。
最後に桜並木を通って帰ります。
見事な深夜の桜なのに、そこにも人はいませんでした。
今なら、家から全裸で出て、この桜並木を走れるかもしれない、そんなことを考えながら、それでも何もせずに家にもどりました。
スプリングコートだけを羽織り、その下には何もつけないまま、散歩に出ました。
数日前までの寒さが嘘のように心地いいのです。
どこに行くというあてもなければ、何をするという目的もありません。
最近、露出ができないのです。
 少し前までなら、たった一人の公園で全裸になるだけでも、ドキドキしました。
誰れかが、こっそりと自分の変態的な行動を見ているかもしれないと考えると、それだけで恐怖し、そして興奮できました。
いえ、公園で全裸になったら、と、そう思うだけでも興奮できたものです。
 ところが最近は、実際に誰かに見られなければ感じないのです。
でも、実際に見せるチャンスはそう多くありません。
 スプリングコートのボタンをはずしても興奮しません。
いっそ、コートを公園のゴミ箱に捨ててしまおうかとさえ思います。
全裸のまま家まで歩いてもどってみようかと思うのです。
もちろん、そんなことはできません。
 仕事も充実しません。
私はどうしてしまったのでしょうか。
 ようやく今夜から東京のみの暮らしにもどります。
仕事も元のところにもどれそうなので、暮らしは以前のままになりそうです。
ただ、家の問題が解決したわけではありませんから、また、どうなるか分かりません。
しばらくは、ブログにも熱心にはなれないと思います。
 もうどれぐらい露出もしていなかったでしょう。
 久しぶりに東京の深夜を歩きました。
驚きました。
東京の深夜はものすごく明るいのです。
私が全裸になった公園は、とても見通しがよく、遠くからでも、そこに全裸の人がいたら分かりそうです。
そんな公園を全裸で走ることなど、とても不可能に思いました。
 オシッコをしたマンションの前にも行ってみました。
確かに、通りからは少し死角にはなっていますが、そんなところでオシッコなんかできそうにありませんでした。
 足をのばして、深夜、私がフェンス越しに間近で裸のお尻を見せた遊歩道の上に行きました。
フェンスの向こう側だけは記憶のままに暗く、しかもフェンスが高いので、私を安心させました。
それ以外のものは、ことごとく私の記憶とは違っていました。
ミニのスカートなら、フェンスに裸のお尻をつけても平気かもしれないと思いながら、フェンスに背を向けジーンズのお尻をつけながら、しばらく、ぼんやりしていました。
 でも、それだけでも怖いのです。
後ろからいきなり棒のような物で突かれるかもしれない。
蹴られるかもしれない。
そんなおかしな妄想をしてしまうのです。
服を着たままフェンスに背をつけているだけで不安なのです。
そこに私は裸のお尻をアソコをむき出しにしたままつけていたのかと思うと、怖くなりました。
 遊歩道に降り、下から確認しました。
そこは思っているよりもはるかに明るく、そこに裸のお尻があったら、それはきっと白く光って見えるはずです。
そう思うのが自然な明るさなのです。
 でも、その反面、下の遊歩道と公園は暗いので、ここなら、少しぐらい露出しても平気かもしれないと思いましたが、できませんでした。
怖いのです。
 そのまま家にもどりました。
興奮するというよりは、怖いばかりの深夜の散歩でした。
今は、本当に自分があんなことができたのか、あれは夢でなく現実だったのか、そんなことを考えています。
すべては私の妄想だったような気もするのです。
何しろ、今の私には、そうしたことをする勇気がまったくなくなってしまっているのですから。
露出をしたいという欲求がなくなったわけではありません。
いえ、その欲求は以前より強くなっているかもしれないのです。
そして、何かを書きたいという欲求も強くあります。
ブログを書くようになってから、私は書くことが楽しくて仕方なくなっていました。
腱鞘炎になるほどブログやメールをたくさん書きました。
最近はメールさえ、あまり書いていません。
ですから、書きたい気持ちは以前より強くなっているのです。
 ところが、何かを書こうとすると書けないのです。
何を書いていいのか、どう書いていいのか分からなくなってしまうのです。
 露出も、ものすごくしたいのです。
露出がしたくて、私は以前に自分がいろいろなことをした場所を歩いているのだと思います。
でも、怖いのです。
いえ、こんなところで本当にそんなことができたのだろうか、と思ってしまうのです。
それは、以前に私が全裸になったり、オシッコした場所に、新しい街灯ができたりしたためではないのです。
明るさはたぶん同じなんです。
それが今の私には昼間のように明るく感じてしまうだけなのです。
 最近、以前に自分が書いたものを読み返しています。
読んでいると他人がそれを書いたかのように感じます。
性格も違います。
少し自分を隠すために設定を変えてありますから、ますます他人のように感じてしまいます。
もしかしたら私は多重人格で、これを書いたのも、ここに書いたことをやったのも別の自分かもしれない、そんなことも妄想します。
でも、何でもすぐに妄想してしまうのは、やっぱり、私以外の何ものでもありません。
多重人格は別の人格のやったことの記憶がなくなるといいますから、やはり私の露出は私自身のものでしょう。
そもそも、露出ができない、ブログが書けないというのは、そう悪いことではないんですよね。
そんなことをせずに、オナニーさえせずに生活するのは普通のことなんですよね。
でも、私は私をとりもどそうとして露出をしようとしているようなところがあるのです。
 今が普通の人なのに、露出していない自分は自分ではないように感じてしまうからです。
思えばオナニーをしたのさえ、はるか昔のことのようです。
ゆっくりと時間がもどって行きます。
ただ、露出する勇気はもどりません。
 露出したいという気持ちは強くなります。
私は子供の頃、あまり親に相手にしてもらっていなかったと思うのです。
今は、その事情が理解できるし、それは仕方なかったことだと思うのですが、子供の私には分かりようのない事情でした。
 そんな幼児体験のためでしょうか。
私は今でも、あまり他人と交流するのが上手くありません。
ただ、こうした自分を長くやっているわけですから、それを他人に指摘されることはめったにありません。
 普通に話し、普通に笑っています。
明るくて楽しい女の子だと言われることもありませんが、暗いと言われることもありません。
ただ、楽しそうな私も、大きな声で笑う私も、嘘の私です。
本当の私は他人といっしょにいるときに、どう楽しめばいいのかが分かりません。
 他の人のように他人を楽しませることができないのです。
ですから、自分も楽しむことができません。
他人といっしょにいる間、私は「私なんかといっしょにいて、つまらなく思っているのではないか」と、そんな不安でいっぱいになっています。
 それは、かなり幼い頃からそうでした。
 そんな私が男の子たちの、あるときには女の子たちの注目を浴びることができたのが露出でした。
私のアソコやお尻を見つめる他人の目には退屈なんてないように私は感じました。
こんな私でも、他人をよろこばせることのできる方法があったのかと思うと嬉しかったのです。
 でも、それはセックスではだめなんです。
セックスだと、また、私は「こんな私なんかとセックスしても、つまらないのに」と、考えてしまうからなんです。
自分がものすごくネガティブなのはよく分かっています。
でも、どうにもできないのです。
 見られたい、注目されたい、楽しませたい、それが私の露出の理由だと思います。
ですから、私はそれを止めることができないのです。
露出をしない私なんかには、何の価値もないように感じてしまうからです。
今は落ち着きません。
露出して、ブログをたくさん書いていた頃は落ち着いていました。
 あの生活を早くとりもどしたいです。
目の前のロッカーに洗面用具を置いて、小さなタオルで身体を拭こうとしたとき、庭に彼を発見しました。
さり気なく番台を見るとおばさんの姿はありません。
もうこの時間から入って来る人はいないからなのでしょう。
 身体を拭いてから、私は庭に人がいることなど気がつかないふりで、縁側に出ました。
手には小さなタオルを一つ持っただけです。
そのタオルで身体なんか隠したら逆に自分のエッチな部分を強調することになりそうな、そんなタオルです。
 もうすでに、ほとんど濡れてもいない身体を執拗に拭きながら「あっ」と、私は小さな声を上げました。
そこに人がいたことにようやく気づいたというふりです。
彼は私の声に振り向きました。
隠されているのは胸だけです。
少しふくれてきた下腹部、その下の決して多くないヘアー、そして、普通に立っていても見えてしまう私の恥ずかしいラビア、そのすべては晒されたままです。
「お久しぶりですねえ。しばらく見ないから引っ越されたのかと思いましたよ」「田舎にもどらなければならない事情があって」 太ももに汗が伝いました。
外気に冷やされた汗の冷たさに、一瞬、私はアソコがぐっしょりと濡れてしまって垂れて来たのではと思いました。
彼は池の様子を見るためか、しゃがんでいましたから、彼の頭は私の腰より低い位置にあるのです。
手が震えそうになるのを必死でおさえながら私は意味もなく首のあたりを拭きました。
さすがに下半身を拭く勇気はありませんでした。
「あの店、閉めたの知ってますか」 あの店とは、私と彼と彼の恋人が出会う飲み屋さんのことです。
私は自分の裸を見たことのある彼が、そこに恋人といる姿を見ることに、ものすごいエロティシズムを感じていました。
「ええ、ショック」「いいお店でしたよね。私も好きだったので残念です」 実は私はそのお店がなくなったことは知っていました。
お店の前を通っていたからです。
でも、そんなことはどうでもよかったのです。
私はお店がなくなったショックで油断した様子を見せたかっただけなのですから。
私は彼に背を向け、そして、太ももを拭きました。
少し汗ばんでいますが、もう濡れてはいません。
膝が震えて来るのが分かりました。
太ももから膝にタオルを移動させると、彼にはお尻を、いえ、アソコを突き出すような格好になります。
 そのとき、私の正面の遠い鏡の端に彼が小さくですが写っていることに気がつきました。
彼は下から私のアソコを覗き込むような仕種をしていました。
太ももの内側を拭きたいようなふりをしながら私は足を少し広げました。
彼が私のアソコが見えやすい位置に移動したように見えました。
鏡の端に少し写るだけですから、全ては私の勘違いかもしれませんが、それでも私を興奮させるには十分でした。
「今日は、涼しいですよね」 前屈の姿勢を直し、振り向いてそう言いました。
彼は池のほうを見ていました。
「ええ、寒くてもお客さんは来ませんが、夏が涼しくてもウチは厳しいですね。過ごしやすいのはいいんですけど」 私はクスクスと笑いながら、脱衣場にもどりました。
別におかしくなんかありませんでした。
ただ、そうしなければ、他には、私はオナニーして果てないかぎり、その場から動く方法を失ってしまいそうな気がしたのです。
 家にもどると、オナニーしました。
少しで止めました。
でも、オナニーし、露出妄想したことは私にとっての大きな変化でした。
どんよりとした曇り空の下、私は散歩に出ました。
日焼けを気にしなくていいのは、いいことなのですが、こんな天気の日に散歩なんかしても、素敵な景色のあるはずがありません。
 それでもいいのです。
私のは妄想の痕跡を辿るための散歩だからです。
でも、ただの妄想ではありません。
確かにそこにあった妄想なのです。
 河原には朝から野球のために集まる男の人たちがありました。
同じ数だけ女の人たちもいます。
たぶん応援のために集まっているのでしょう。
彼女たちの格好はグラウンドには似合わないものでした。
むしろ形だけでもスポーティな私の格好のほうが河原の朝には似合っています。
 応援するチームもない私はグラウンドを横目に、川岸まで出ることのできる公園まで足を伸ばしました。
 私の膝ぐらいのブロックの囲みがあり、中には草が生えています。
この花壇の花がいつの季節に咲くものか私は知りません。
花壇の奥には石のベンチがあります。
花壇のブロックとそのベンチの間が公園の中の死角になっています。
かくれんぼする子供だって、そんなところには身を隠さないと思うほど小さなスペースです。
そこに私は全裸で身を隠したことがあります。
一年近く前の深夜でした。
今はそんな勇気はありません。
 周囲の目を盗むようにして私はそこにしゃがんでみました。
服を着たままなのに、緊張で膝が震えました。
そんなところにしゃがむ自分が周囲から異常に見えないかと気になるのです。
 こんなところに全裸で身を隠して、私はどうして平気だったのでしょう。
そこから服を置いた公園の入り口の植え込みを見つめました。
遊具の何もない公園には身を隠すところもありません。
あそこから、ここまで来て、また、あそこまでもどったんだ、と、思いました。
そんなことがどうしてできたのか、不思議で仕方ありません。
 この場所で深夜のデートを楽しむカップル露出したこともあります。
幸福な女と、変態である不幸な自分を対比したかったんです。
世の中には、まともな恋愛もできずに、こんな不幸な女もいるのだ、と叫びたかったのです。
思い出せば惨めな気持ちでいっぱいになります。
でも、その惨めさが私を興奮させてしまうのは、今も昔も変わりませんでした。
 少し陽がさして来たので、さらに私がオシッコをした場所、オシッコを男の人に見せた場所、オシッコをかけた公園まで行くのは止め、あわてて帰りました。
オナニーはしませんでした。
ただ、あの頃した露出のことを思い出して、本を読むことさえできず、一日をボーとしたままつぶしてしまいました。
は今の私が安心して全裸になることができる自分の部屋以外の数少ない場所です。
いろいろな妄想をしながら私は遠くの銭に行きました。
車の助手席には大きな紙袋、中にはお風呂道具が入っています。
わざわざ、車で普通の銭に行く人がどれだけいるものでしょうか。
 近所の銭だって、私にとっては知らない銭です。
そこに知り合いなどいるはずのない銭です。
それなのに、わざわざ遠くまで来ると、より知らない銭に思えてきます。
不思議な感覚です。
その町に住んで銭に来ている人が「どうしてこんな見かけない女が銭にいるの」と、そんなことを思って私を見るのではないか、と感じてしまうのです。
わざわざ遠くまで来るということは、変態に違いないと思われているような錯覚もあります。
 そんな不安を抱きながら銭に入りました。
いつもの銭と同じように、あまり人はいませんでした。
夜の十時ぐらいでした。
おばあさんと、太った女の人が二人、そして男の子がいました。
 私はかるく身体を流して三つある舟の端に入りました。
すると洗い場をウロウロしていた男の子がやって来ました。
身長はすでに私より少し低い程度でした。
もしかしたら小学校の高学年では、と思ったのですが、子供を持ったことのない私には、子供の年齢のことはよく分かりませんでした。
 オチンチンは小さく、そして、先がすこしねじれているように見えました。
大人のオチンチンを見慣れている私には、小さなものでした。
 彼は、私がつかる舟に足を入れ、つかることはせずに、私のほうを向いて立っています。
まるで私にオチンチンを見せつけているかのようです。
オチンチンはちょうど私の目の前なのです。
そのまま彼は、オチンチンの上のおへその下あたりに手を添え、オチンチンを上下に揺らしたのです。
私の小指ぐらいのオチンチンは彼が手を離しても、しばらく上下に揺れました。
彼がそれを無意識にやっているのか、私に見せつけているのかは分かりませんでした。
 ただ、そうしていると、小さなオチンチンは小さいなりに大きくなって行くのです。
驚きました。
私の小指程度のものが、しっかりと上を向いて起立したのです。
オチンチンが立つという意味がそのとき始めて分かったような気がしました。
 でも、彼はそれ以上に何かをしようとすることもせず、そうした行為に飽きたのか、今度は水道の蛇口を悪戯し始めました。
起立したオチンチンはすぐに元の大きさにもどりました。
 不思議な光景でした。
 プチ痴漢体験だったような気もします。
 番台が外で、掃除のおじさんもいませんでしたから、私が妄想していたようなことは何もありませんでした。
それでも、やっぱり銭ってエッチなところなんだって思いました。
男の人もやっぱり銭に入って来る女の子のアソコに興味もったりするものなのでしょうか。
それとも、男とか女にかかわらず、私ぐらいなのでしょうか、そんな光景に興味を持ってしまうのは。
 近所の公園に行きました。
同じところで二度露出するのは止めようと思っていた私が、何度となく露出してしまった公園です。
全裸の男の子と出会ったのも、その公園でした。
駅に近く、冬でも酔ってベンチに寝ている人がいるような公園です。
 ところが、久しぶりに訪れると、深夜二時を過ぎていたからでしょうか。
公園には誰れもいませんでした。
植え込みに囲まれた公園は街から切り離され隔離された場所のように感じさせてくれます。
そこだけが別の空間に思えたので、私は大胆になれたのかもしれません。
その植え込みの中にトイレがあります。
植え込みの中だけに、そこのトイレは他の公園のトイレよりは中が見え難くなっているのです。
 公園のベンチからトイレの明かりだけが見えます。
そこもまた異空間のようです。
しばらく私はベンチに座っていました。
あの頃はすぐに脱げてすぐに着けることのできるスウェットパンツでしたが、今はジーンズです。
でも、ジーンズなら、一度、脱いでしまったら、もし誰れかが来たと分かってもすぐに着けることができないから、たいへんなことになるのにと想像したりしました。
そんなことを想像するのは、あの頃の私と同じ私です。
 最近は毎日のように散歩に出ます。
以前のように深夜とはかぎりません。
昼間も時間があれば散歩します。
散歩の目的は、以前に私が露出した場所を見てまわることです。
そんなことに、どんな意味があるのかは、私には分かりません。
でも、なんだか、古い日記を読み返すような、そんな気持ちになれるのです。
この感覚は、私が実家にもどって、子供の頃に露出した場所を見てまわるのに似ています。
でも、露出していたのは、ほんの一年前のことです。
こんな短い時間のことを、そんなにも懐かしく感じたりするものなのでしょうか。
 全裸の男の子が立ったところに自分が立ってみました。
私も全裸だったら、二人はとても奇妙に見えたのに、と思いました。
彼がここから、全裸の私を見たら、きっと、おっぱいもヘアーも見えたんだ、と、そんなことを思いました。
そして、私は彼のことを思い出そうとしました。
ところが不思議なことに私には彼の顔もオチンチンの大きさも思い出せないのです。
ぼんやりと暗闇に浮かんだ白い肌のことしか思い出せませんでした。
 露出した人の記憶なんて、そんな程度なんだと思うと、少し安心しました。
もし、ここにあの頃、露出していた私を見かけた人が来ても、その人には、私のことなんて分からないんだ、と思ったのです。
 何もしないで家にもどりました。
暑い夜でしたから、身体は汗ばんでいました。
シャワーを浴びて、私は自分のアソコが汗ではないもので濡れているのに気づきました。
深夜でも開いているハンバーガ屋さん。
このお店で、私は下半身裸になったことがあります。
そして、アソコを見せたこともあるのです。
その日もミニスカートでした。
ミニといっても膝がしっかりと出るぐらいのミニです。
それでも、深いそのお店の椅子に座ればスカートの奥は見えてしまいます。
スカートの中はノーパンではありません。
それでも緊張します。
 周囲をゆっくりと見ます。
奥の席で学生ふうの男の子が携帯メールをしています。
しばらく露出をしていなかったので、慣れていないせいでしょう、私の前は女の子でした。
彼女は求人雑誌を見つめていました。
足を広げれば、その女の子には私のスカートの奥が見えてしまうかもしれません。
でも、それは恥ずかしいだけで少しも嬉しくありません。
そうした席に座らないのが露出をするコツでした。
 別に女の子に見せるのが嫌なわけではありません。
変態と思われるのは好きなのです。
でも、変態と思われずに「だらしのない女」と思われるのは嫌なんです。
 奥の男の子の席はトイレのそばです。
もし、トイレからうっかりスカートを下げ忘れて出て来たら、男の子にしか見えないところで私があわててスカートをおろしたら、もし、そのときノーパンだったら……。
スカートをおろすのを忘れる人などいるはずがありません。
でも、うっかりそんなことをしてしまったかもしれないと彼は思うかもしれません。
 そんな妄想をしていたら、心臓がドキドキとしてきました。
緊張で息苦しくなるのです。
嫌な感覚ではありません。
 突然、私は大学入試のことを思い出しました。
大勢の人な中、私は孤独で、不安でした。
そこには大勢人がいるのに、まるで私は暗闇の中にまぎれこんでしまったような気がして、テストどころか、そこに留まることさえ無理だと感じていました。
そのとき、私の肩をたたく人がいたのです。
同じ高校の女の子でした。
「そうだ、この子と待ち合わせしていたんだ」と、私は思い出しました。
別に隣に座ってテストに挑めるわけではありません。
でも、そこにたった一人でも知り合いがいると分かった私は孤独ではなくなりました。
知り合いがいるということだけで、私はものすごく安心したのです。
 あの、入試会場で肩を叩かれた、その感覚に似た感覚が、露出を考えた瞬間の私に芽生えたのです。
 でも、露出はしませんでした。
トイレにさえ行きませんでした。
ただ、今度はノーパンで来てみよう、そう決めました。
いつ来ることになるかは分からないのですが。
パジャマ替わりの長いシャツの中が鏡に写りました。
奥が影になっていてよく見えませんが、ノーパンなのは分かりました。
思えば露出をしていた頃には、この大きな鏡を利用して、自分のアソコを毎日のように眺めたものです。
少し前かがみになり、後ろからアソコを写し出してみました。
 まるみを帯びたお尻のラインが少し下がったような気がしました。
ぷっくりとふくらんだ二つの白いは、そのふくらみを失ったようには見えませんでした。
そのふくらみのためでしょうか。
もっとも恥ずかしい小さなつぼみは見えません。
 その代わりに、ふたつのふくらみの下、丘陵の裾に窮屈そうに押し込められた襞がはっきりと見えています。
シャツをめくり、足を開いたのですが、その襞はやはり窮屈そうに身動きのとれなくなった軟体動物のようにそこでじっとしていました。
 その部分を女性自身という人があります。
私はその部分がまさに今の私自身のように感じました。
窮屈で身動きのとれない私自身です。
 優しく両手でその部分を広げて見ました。
嫌らしい軟体動物が口を広げたように見えます。
自分自身のものでありながら、なんとも嫌らしい形状です。
もっと、嫌らしくないアソコだってあるのに、と、そんなことを考えながら、私は、その部分を男の人に覗かせることを妄想しました。
 外では何のゲームをしているのか少年たちの声がしています。
下半身裸のまま窓を開けてそれを眺めることができます。
シャツをつけていますから、外から見れば、天気でもうかがっているようにしか見えないことでしょう。
 でも、私には窓を開けることができませんでした。
窓を開け、少年たちを眺めながらオナニーをしてしまったら、私は理性を保ことができないと思ったのです。
自分が少年たちに「アソコを見てくれない」と、声をかけてしまうに違いないと思ったのです。
 そんなことを妄想しながら、窓のところでオナニーしてしまいました。
しばらくオナニーに熱中する間に、少年たちの声はなくなりました。
ときどき「間違えた」とか「ごめん」という声が聞こえ、そして、金属で何かを打つような音が鳴っていたのですが、彼らがそこで何をしていたのかは分からないままになりました。
 オナニーに満足したのか、もう一度鏡にその部分を写すと、私のその部分はぐったりしているように見えました。
窮屈に縮まっているよりはいいかもしれません。
アップが遅れて、少し前の話しになってしまいました。
 雨の中も私の散歩はつづいています。
雨なので、通りには人が少なく、どの公園に行っても誰れもいません。
アスファルトのどこでオシッコしたとしても目立ちません。
冬のように、気がたつ心配もありません。
ミニの下は素足です。
もし、下着をとれば、そのままオシッコをすることもできます。
濡れてもいいように、あえて裸足で出ていますから、本当に歩きながらオシッコできてしまうのです。
そんなはしたないことをした女はいないかもしれません。
そう想像しただけで、ドキドキします。
 もちろん、雨の中で下着をとるのはたいへんなことです。
トイレなどに入るしかありません。
迷いました。
トイレに入り、そこでパンツをとってしまえば、その後は何だってできるのです。
スカートはデニムですから、腰の上にまくりあげて、下半身を晒したまま歩くこともできます。
少し足を広げれば、男の人ように立ちションすることだってできるのです。
 この、少し雨に濡れはじめて、肌にまとわりつく邪魔なものをとりさえすれば、私は自由になれます。
そんな空想のまま、いくつかの公園を見て回りました。
当然ですが、どの公園にも人はいません。
 いっそ、このまま下半身裸になってしまおうかとも思いました。
この雨の中です。
すれ違う人がいたとしても私の下半身を見る余裕なんかあるはずがない、そう思いました。
 どれぐらいの時間を歩いたのでしょうか。
私にはひとつの計画がありました。
オシッコです。
いくら夏でも、雨の中を歩いていれば、いずれはオシッコがガマンできなくなるのです。
公園などを見てまわっているのですから、喫茶店などには入れません。
もう、十分に身体も濡れているからです。
それに、喫茶店などに入るにしてはスカートが短過ぎです。
 公園のトイレは使いません。
そこでオシッコするのは別の恐怖があるのです。
個室の前なら平気です。
でも、個室に入るのは嫌なんです。
いえ、私は公園のトイレの個室には入れない、と、勝手に決めているだけかもしれません。
 ちょうど、大きな駐車場の奥にある公園に来たとき、尿意も限界になりました。
その公園にもトイレはあります。
でも、私はそこは使わずに、駐車場のほうにもどりました。
公園には私の身を隠すところがなかったからです。
 他人の駐車場に入るというのは、それだけでドキドキします。
いつもなら、ただの近道のためだって横切るところなのに、そこに足を踏み入れているだけで、かなりいけないことをしているような、そんな気分になるのです。
 車の中に人がいないのを確認して、ワンボックスカーの後ろにしゃがみました。
パンツをおろす勇気がなく、そのまましゃがみました。
それでも、膝が震え、バランスを失い、傘を落としてしまいました。
雨は思っていた以上に冷たいものでした。
あわてて立ち上がり、そこでオシッコすることは諦めました。
 でも、もう尿意は本当に限界なのです。
 歩くのが困難になってきました。
そのままお漏らしというのも考えましたが、それもできませんでした。
オシッコしようと力を入れても、オシッコは出ないし、無理すると尿道が痛くなるのです。
 私は公園にもどりました。
それでもトイレを使うつもりはありませんでした。
 公園と駐車場の間にあるフェンスにもたれました。
パンツを膝までおろし、中腰になりました。
背中をフェンスにつけていなければ、かなり膝に負担のかかる格好です。
でも、その格好なら、オシッコは真下に落ち、前に出た膝にあるパンツを汚すことはないと思ったのです。
 オシッコはすぐに出ました。
お尻は出ていませんが、駐車場側から見れば、私がオシッコしていることは分かってしまったと思います。
音は大きくありませんでした。
それでも、緊張は大きく、心の中で早く終わってと叫ばずにはいられませんでした。
でも、オシッコは恥ずかしいぐらい、たくさん出ました。
いつまでも終わらないのです。
 ティッシュは持っていましたが、拭いている余裕なんてありませんでした。
片手でパンツを上げて、その場所から離れました。
パンツは不自然に上げられたらしく、腰を不快に締めつけました。
 三度、後ろを見ました。
誰れかがそこにいたかもしれないと思ったからです。
 部屋にもどり、お風呂に入っても興奮は静まりませんでした。
性的興奮とは少し違うような気がしました。
でも、もう一度、今度はもっと大胆に、と、そんなことを思いました。
オナニーはしませんでした。
公園の奥のベンチに座ると、すぐに私は周囲に人の気配のないことを確認しました。
遠くにマンションの明かりが見えますが、それ以外には明かりらしいものが見えません。
すぐそばに幹線道路はありますが、盆地のような公園のために、その道路も見えません。
もちろん、向こうからこちらが見えないことも確認しています。
 ここで痴漢に襲われたら、きっと私は逃げられない、そう思いならがらベンチで冷たい缶コーヒーを飲みます。
驚くほど落ち着いています。
缶コーヒーを少し口にしただけで、私はそれをベンチに置きました。
 そして、スカートをゆっくりと下げました。
ウエストがゴムのロングスカートです。
下には何もつけていません。
ベンチの木の素材感がお尻から伝わってきます。
少し冷たく、少し痛みのある不思議な感触です。
 その感触を楽しむように私はスカートを脱ぎました。
ベンチにお尻をつけてしまえば、その後はかんたんでした。
アソコを晒すまでは、かなり戸惑いがありましたが、アソコを晒してしまえば、もう、その後は戸惑いませんでした。
それが当然のことのように、スカートを足から抜くことができました。
 シャツは私のお尻の半分を隠します。
ヘアーは見えないかもしれませんが、超ミニ勘違いする人はいないはずです。
 鏡に写したときには、後ろからラビアまで見ることができました。
少し動けば前からアソコを全て見ることだってできました。
そして、ほんの少し屈むだけで、お尻の穴まで見えていました。
 私は、スカートを、持っていた空の小さな紙袋に入れると、迷わずに立ち上がりました。
前の日から決めていた通りに、公園の遊歩道まで、そのままの格好で歩くつもりでした。
深夜ですが、遊歩道には、人が通ることを知っています。
もちろん、公園と遊歩道との間には植え込みがありますから、私の下半身は見えないはずです。
でも、もし、そこを通る人が気まぐれに植え込みから公園に入ってくれば、私には、下半身の裸を隠しようがないのです。
 私が遊歩道に近づくと、そこに人影がありました。
やはり遊歩道には歩く人がいたのだ、と思いました。
そのまま、ベンチまでもどろうとも思いました。
でも、私はその度に、これは命令で、もどったら私は見捨てられてしまうと思い込みました。
そして、遊歩道に出ました。
誰れもいる気配がありません。
でも、通りから遊歩道に入ってくれば、下半身裸の私はすぐに見えてしまいます。
遊歩道の見通しはいいのです。
私は一度、植え込みにもどりました。
そこにしゃがんでしまえば、たとえ遊歩道を誰れかが通っても、私を見つけることはできないはずです。
 じっとしていたのですが、人の気配はありません。
震える膝をおさえながら、私は遊歩道に出ました。
シャツをめくり、下半身をむき出しにして、そこを横切りました。
ほんの数歩で向こうに着きます。
気持ちはものすごくあせっているのですが、私はもどるとき、遊歩道の真ん中でしゃがみました。
オシッコをするポーズです。
そのまま、左右を見て、誰れも来ないのに安心して、公園にもどりました。
 走るようにしてベンチのところまでもどり、あわててスカートをはきました。
 一瞬で身体が冷たくなりました。
緊張で汗ばんでいたのでしょう。
その汗が冷えて、夏だというのに冷んやりとするのです。
それでも置いてあった缶コーヒーを飲むと、少し落ち着きました。
 どうしてこんなことをせずにはいられないのでしょう。
後悔と自己嫌悪のまま、家までもどりました。
ところが、翌日、このブログを書いていると、もう、ドキドキしているのです。
深夜のコーヒー屋さん。
もうこのお店を使うことには慣れていました。
こうしたお店だからなのでしょうか。
店員さんは、いつも変わっています。
たぶん長くは勤めないものなのでしょう。
それが私には好都合なのです。
 久しぶりにノーパンです。
スカートも短いデニムです。
普通に座っているだけでも、私のアソコは露出しています。
足なんか拡げなくても太ももの間からヘアーが見えます。
もちろん、最初は見えない工夫をして座ります。
そうして、ゆっくりと店内の様子を見回すのです。
 ちょうど正面の席に学生ふうの男の子がいました。
ショートの髪形にオレンジのTシャス。
絵に描いたような爽やか青年です。
二重のくっきりとした目が性格のよさを物語っています。
こんな男の子のオチンチンって、どんな大きさなのかな、と、私はそんなことを考えます。
 この爽やかな雰囲気でオチンチンが黒くて大きかったら面白いなあって想像したりします。
 そして、今、私が足を拡げたら、この男の子はどんな顔をするんだろうって思うんです。
あわてるのかな。
こんなタイプの男の子だから、きっと、私がうっかりパンツを穿き忘れたって思うんだろうな、そんなことを想像しながら、私は足を拡げるかどうか迷っていました。
 ところが、その爽やかな男の子は私のほうを見て、にっこりと笑ったのです。
笑顔がまた爽やかで、この人は「体操のおさん」っといった雰囲気でした。
でも、笑いかけている相手は私以外に考えられません。
他にいる人といえば、奥で読書する少し頭の薄くなったおじさんだけなんです。
 これは何、まさか私を誘っているとか。
そんなことを考えて彼を見ると、なんと、出していたんです。
テーブルの下、私の位置からは見えても、他の人には見えない場所で、しっかりと下半身を出していたのです。
オチンチンどころか、太もものあたりの妙に白い肌がはっきりと見えます。
パンツを下げてしまっているんです。
すごい勇気です。
ノーパンで足を拡げることさえビクビクしている私には考えられないことです。
いくら深夜とはいえお店の中は明るいんです。
もし、私が「痴漢」と、騒いだらどうするつもりなのでしょう。
それとも、私でなくても女はそんなときに騒いだりはしないものなのでしょうか。
 彼はオチンチンを縦に動かします。
まるで私にあいさつでもしているかのようです。
大きくはありませんでした。
彼の雰囲気を壊さない愛らしいオチンチンです。
 でも、そうなると私は露出するわけにはいかなくなります。
そんなことをしたら、どんな誤解をされるか分からないからです。
 彼のテーブルの下の事件なんか気がつかないふりで、持っていた本を読みました。
もちろん、本を読む余裕なんてあるはずがありません。
 彼がそのままテーブルの下で射精するのではないかとドキドキしていました。
 しばらくそうしていると、彼はそのまま立ち上がりました。
さすがに気がつかないふりも限界です。
彼のパンツは太ももに引っかかっています。
ウエストがゴムなのでしょうか。
でも、見た感じはジーンズに見えるのです。
どうして太ももに固定されているのか、私には分かりませんでした。
 私は思わずキョロキョロとしてしまいました。
彼はその私の様子を見て、助けを求めると思ったのでしょうか。
シャツを下げると、パンツはそのままに店を出て行きました。
一見すると長めのシャツを着た普通の人に見えます。
 驚きました。
 でも、私は助けを求めたかったのではありません。
彼を心配して、彼の代わりに周囲をうかがったのです。
もちろん、そんなこと彼には分かるはずないですよね。
以前からやってみようと思っていたことがあります。
それは夏の冷房対策用のカーディガンを腰に巻いて、下半身裸で歩いてみるということです。
カーディガンですから下半身を完全に隠すということはできません。
どんなに上手く巻いても、よーく見ればその下に何もつけてないのは分かってしまいます。
 鏡の前でやってみて、あまりにも分かりやすいので、何度も止めようかと思いました。
 でも、巻きスカートをつけて、やっぱり家を出てしまいました。
 狙いは駅裏の少し寂しい商店街です。
せっかくのカーディガンを腰に巻くには、やや涼しい夜でした。
それでも私はそれを腰に巻き、そして、商店街を歩きました。
昼間なら、人がたくさん歩いている商店街ですが、深夜ということもあって、人はまばらです。
でも、まったく人がいないということもありません。
 こんなところを下半身裸でカーディガンだけを巻いて歩いたら、きっと、みんなに分かってしまうに違いない、そんなことできない、何度もそう思いました。
すれ違う人の下半身を見つめました。
男の人の股間のファスナーまでハッキリと見ることができます。
後ろからならともかく、前から見られたら、やっぱり、私のヘアーは見えてしまうに違いない、と思いました。
 そう思いながら、私は路地に入りました。
ここならスカートをとってもだいじょうぶだと思い、巻きスカートのホックをとりました。
クシュクシュとそれをまとめると、バックに入るほどの大きさになります。
 下半身に冷たい風があたるのを感じました。
少し歩いてその部分を見ると、やっぱり見えています。
カーディガンの合わさった部分から黒いものが露出してしまっているのです。
家でしたようにボタンをとめてみました。
ヘアーは見えなくなりました。
でも、すき間からアソコに直接風を感じます。
きっと、見えているに違いありません。
 止めたい、止めよう、そう何度も何度も思いながら、それでも私の足は商店街に向かっていました。
 変態と言われるかもしれない。
嫌悪の目で見られるかもしれない。
チャンスと思って悪戯してくる人もいるかもしれない。
いろいろなことを考えると心臓が痛くなりました。
 ところが、商店街を歩く頃には、不思議なほど安心していました。
路地よりも明るいのですが、誰れも私の下半身になんか注目しないのです。
 商店街のはずれには、公園があります。
昼間でも人のいない公園です。
その公園の少し手前で、私は後ろを見ました。
こちらに向かって来る人は誰れもいません。
公園に人がいないかどうかは分かりません。
それでも私はカーディガンをとりました。
そして、公園まで下半身完全に裸のまま歩いたのです。
 幸い公園には誰れもいませんでした。
それでも、私の興奮は頂点に達しました。
激しい後悔もありましたが、この快感を私は手放すことはできそうにありません。
そのお店に行ったのは、もう一年ぶりぐらいになると思います。
久しぶりに行くと、もうなくなっているお店や、トイレの構造だけが変わっているというお店が多いので心配したのですが、そのお店はまだありました。
 そのお店は、トイレに行くまでに、人がやっと通れるぐらいの通路があります。
その通路があるおかげでトイレとお店は切り離されたようになっているのです。
トイレのカギをしなくても、そのお店のトイレならドアを開けた人にしか見られません。
他の人には、トイレを開けられたということさえ分からないはずなのです。
誰れかにオシッコしている姿を見せたいのに、みんなに見せたことを知られるのは嫌なんです 通路の奥のドアを開けると、洋式便器が横向きにあります。
狭いのでドアを開けられたら、本当に真横に立たれることになります。
 私はそのトイレで立ったままオシッコすることを決めていました。
 最初はスカートでするつもりでした。
でも、パンツが膝にあると、どうしてもオシッコが足にかかってしまうのです。
それなら、いっそ下半身は脱いでしまおうと思いました。
そして、どうせ脱ぐならパンツのほうがいいと思ったのです。
脱いだものを片手に持って、そのままオシッコしてしまおうと思いました。
 浴室で練習しましたが、うまくいきました。
少し腰を突き出しさえすればオシッコは狙ったところに飛びます。
 練習したことを思い出しながら私はトイレに向かいました。
お店には数人のお客さんがいますが全員男の人です。
さすがに女性に立ったままオシッコしている姿は見られたくありません。
 でも、私がトイレにいる間に女性が来て、いきなりトイレに入れば、その人には見られてしまうことになります。
そのときは諦めて、おもいっきり惨めな思いをしようと覚悟していました。
 トイレを開け、一度、カギをかけました。
音が聞こえないように、こっそりかけました。
もちろん、そんなところからカギの音なんて聞こえるはずがありません。
それでも、そっとカギをかけ、そして、パンツを重ねて一気に脱ぎました。
まだ、ためらいはありませんでした。
 耳が遠くの音楽をとらえました。
これなら人が来る足音も聞こえるかもしれないと思いました。
でも、聞こえるとはかぎりません。
突然、開けられるかもしれないのです。
どんな顔をすればいいのでしょう。
立ったまま下半身裸でオシッコしている変態女がトイレを開けられたからって、普通の女のように驚いた顔をしていいものなのでしょうか。
 そんなことを考えながらカギをそっとはずしました。
これで、もう何もできません。
私はものすごく無防備な状態でそこに立っているのです。
オシッコはすぐには出ませんでした。
このまま早く出して終わりにしたいという気持ちと、誰れかが来るまでもう少し待ちたいという気持ちで心が揺れていました。
でも、そんなこととは関係なく、オシッコは出ません。
足を大きく拡げて、便器をまたぐようにして立ちなおしました。
これならだいじょうぶ。
今なら誰れも来ない、きっと、だいじょうぶ、でも、誰れかに見られたい、この変態行為を見られたい、そんな思いが頭の中をかけめぐります。
少し力を抜くとオシッコが出ました。
思ったよりも前に飛んでしまったので、自分の足ではなく、便器を汚しそうになりました。
 オシッコは止めることができません。
今、誰れかがドアを開けたら、もう何もできません。
男の子がオシッコするように、おなかを前に突き出して、いい年齢の女がオシッコしているのです。
完全に変態です。
 オシッコは勢いをなくして、足もとに落ちました。
それから私はそっとカギをかけました。
パンツをつけて、席にもどりました。
たった今、このお店のトイレでとんでもない変態行為が行われたなんて誰れも知りません。
 少しの興奮を抑えて、私は日常にもどりました。
ようやく自分の時間がとれるようになると、やっぱり眠れなくなりました。
昼間から、今夜はどんな格好で、どこを歩こう。
車を使おうか、それとも、ジョギングの格好で歩こうかと悩んでいました。
 露出した直後からは、ものすごく後悔し自己嫌悪するのに、一日経つと、やっぱり見られたくなってしまうのです。
それが何日も露出できないままだと、一日のたいはんを露出のことを考えて過ごすことになります。
 その夜は、車で出ることを止め、ジョギングスタイルのまま、以前に全裸になったことのある大きな公園に行きました。
そこなら下半身ぐらいはいつでも脱ぐことができると思ったからです。
トイレのある茂みは公園の入り口からは見えないのですが、こちらから入り口はよく見えます。
誰れかが来ればすぐに分かるのです。
 私はトイレに入ったのですが、そのまま個室は開けずに出て来ました。
そこでパンツを脱ぐつもりだったのですが、少し明る過ぎたのです。
茂みの中に入り、そこで脱ごうとも思いましたが、そこでも勇気が出ませんでした。
上半身はシャツだけでノーブラです。
ここなら全裸になれるんだという思いは、いつしか、今日は全裸にならなければいけないに、変わっていました。
 トイレと茂みの間をなんどか行き来してしまいました。
決心がつかなかったのです。
 その時「トイレですか」と、私に声をかける人がいました。
驚きました。
心臓が止まるといいますが、まさにそんな驚きです。
公園の入り口は見張っていました。
誰れも来ていません。
もちろん、散歩のふりして公園の中も見てまわりました。
誰れもいないことは確認したはずでした。
 私は無言のまま、彼から離れました。
何かあったら声を上げればいい、そう思いました。
「いえ、トイレに入ったり出たりしていたみたいだから、あの、怖かったら僕、見張ってますよ」 彼の声が少し私を落ち着かせました。
声が若いのです。
もしかしたら想像しているより、はるかに若いかもしれません。
トイレ、汚いから」 それでも声は震えていました。
私は彼が露出痴漢であると感じはじめました。
トイレが汚いなら自分が見張っているから、茂みですればいい、と彼が言うことを期待していました。
できれば、オシッコが出て来るところを見せてほしい、絶対に触ったりしないから、と、頼まれることも期待していました。
 ところが彼の答えは意外なものでした。
いえ、普通に考えれば当然のものでした。
「公園を出て右に行くと、小さいけどコンビニありますよ。トイレだけでも平気ですよ。僕もトイレだけで使ったことあるし」 私はにっこりと笑って「ありがとう、行ってみる」と、言って、公園を後にしました。
 彼はいったいどこにいて、いつから私を見ていたのでしょうか。
それに彼はあんな時間のあんな場所で何をしていたのでしょうか。
それは分からないままなのですが、その日の夜、私は何度も何度もオナニーしてしまいました。
 もし、私が全裸になってしまったら、彼は声をかけて来たのか、それとも、どこかでこっそり覗いていたのか、もし、あのとき、私がオシッコが我慢できないと言ったら彼はどうしたのか、彼が露出痴漢で、オチンチンを出したら……。
 私の妄想は尽きることがありませんでした。
歩道橋の前に着きました。
信号は遠く、深夜だというのに車の通りが激しいので、路上の横断は不可能です。
ただ、それでも、歩道橋など渡る人はなく、離れた信号を利用するに決まっています。
 誰れにも出会うはずがない、そう思って私は服を着たままで、歩道橋の上まで行きました。
歩道橋の上から路上を見ると、遮るものはほとんどありませんから、下の車がよく見えます。
 もし、注意深く見れば、そこに全裸の女がいることは、下からだって分かるはずです。
ただ、私も車を運転するから分かるのですが、歩道橋の上にまで注意を払って運転している人はいないはずです。
助手席の人には見られるかもしれません。
でも、発見しても、それが全裸の女だと分かるには時間がかかるはずです。
たぶん、誰れにも気づかれることなく向こう側に渡れるはずです。
 反対の階段をおりると、そこには公園があります。
トイレとベンチだけの小さな公園です。
ただ、その公園は汚いし臭いので、そこに服を隠しておく気分にはなれませんでした。
 身を隠すところもありません。
 私はもとの側にもどり、しばらく車道を眺めていました。
フロントホックのワンピースだけで、中は全裸です。
ボタンもたった三つだけです。
それが最低のボタンで、あとははずしてあります。
 この三つをはずして、紙袋に入れ、植え込みそれを置くだけです。
通りを行く人はありますが、歩道橋の上にいれば、遠くの人まで見えます。
人がいないのを確認した上で、安全に降りて来ることはできるはずです。
 左右を見て、誰れもいないのを確かめて私は全裸になりました。
服を無造作に紙袋に入れると、あわてて歩道橋にもどりました。
見られていません。
歩道橋の階段のところでは、まだ、安心できません。
そこでは歩道からまる見えだからです。
階段をのぼらなければなりません。
 上に誰れかいるかもしれない、そんな気配がする、そう感じました。
それでも、私は歩道橋の上に行かなければなりませんでした。
歩道に人が見えたからです。
 身体を小さくたたんで、階段をのぼりました。
そんなことしても、全裸なのは分かってしまいます。
それでも、そうせずにはいられなかったのです。
 腰を引きながら歩道橋の上を覗きました。
それも、そんなことしたところで、そこに誰れかいれば遅いのです。
何もかも見られてしまうのです。
隠しようなんかありません。
 見せたくてしているのではないの、無理にさせられてるの、そんなことを主張したかったのかもしれません。
幸い、上には誰もいませんでした。
足の間をすり抜ける風が心地良く、私は、歩道橋の上では大胆に前を広げて歩きました。
服を着ていても下品な歩き方です。
でも、平気でした。
 反対の階段をおりて、歩道を見つめました。
サラリーマン風の男性でした。
酔っている様子はなく急ぐように早足で歩いて歩道橋に近づいてきます。
急いでいれば歩道橋を使うかもしれない、そう思い、私は公園に避難するかどうか迷いました。
 迷っているのに、私は階段をのぼっていました。
それも、まるで服を着ているように、ためらいもなく、スタスタと歩いています。
自分でも意外でした。
何がしたかったのか分かりません。
 その人が歩道橋を渡ったらどうするつもりだったのでしょう。
分かりません。
 反対側におりるまで、私には恐怖もためらいもありませんでした。
平然と歩道に出て、その人の後ろ姿を見ながら、平然と服を着ました。
感じていました。
その人の後ろ姿に「ここに全裸の女がいるよ、何もかも見えるよ」と、そんな言葉をなげかけていたように思います。
しびれるような興奮が全身に走りました。
 服を着て、遠くに停めてあった自分の車にもどるまで、興奮は続きました。
車にもどり、そのドアを閉めた瞬間、全身から汗が吹き出るのを感じました。
怖さで震えました。
 こうして思い出しても、少し怖いです。
でも、興奮したのも事実なのです。
「お前が一番賢かった」それが祖父の口癖です。
おそらく誰れにでも言うのでしょう。
私が子どもの頃には厳しい人でした。
教育関係の仕事をしていたからだったのでしょうか、孫にまで厳しかったのです。
私は「孫に甘い」祖父母というものを知りません。
 ところが、一年近く前、祖父は自宅で倒れたのにもかかわらず、医者に行こうとせず、すいぶんと痛みに耐えたあげくに、病状を悪化させ、ほとんど動けなくなりました。
最近はかなり回復しています。
散歩ぐらいは一人でできるようになりました。
 最初の頃は看護されていたのですが、しかし、意識のはっきりしている祖父は、他人の看護を歓迎していませんでした。
 そのため家族が交代でめんどうを見て、足りないところを介護師の方が補うことになりました。
 孫では、私と、私とより三つ上の従姉と、別の孫のおさんが交代でめんどうみることになりました。
祖母が他界してからも祖父は家を出ることをせず、また、誰れも家に入れることをしませんでした。
 最初は長いことにならにと皆が思っていました。
 ところが祖父の介護は長引きました。
その上、介護疲労の問題も出てきました。
私は、最初の内こそ戸惑いましたし、今も、身体は辛いのですが、精神的には慣れてきました。
 幸い、祖父は杖を使えば歩行ができ、トイレには行けるようになりましたから、そこは楽になりました。
また、祖母も長く患いましたから、家がバリアフリーに改築されていたので、それも楽でした。
それでも、最初の半年は何もできない、何も考えられませんでした。
しかし、最近は少し余裕があります。
 そこで、私は祖父を相手に露出を楽しむようになりました。
あの、厳格な祖父だと思うと、私の興奮はより大きくなりました。
そして、私は祖父を相手に露出しながら、どうして自分が露出に目覚めていったのかを知るようになってきました。
 こんな露出の話しは、あまり面白くないと思います。
その上、慣れてきたとはいえ、まだまだたいへんで、アップもマチマチになると思います。
それでも、これから、数回に分けて、私と祖父の話しを書いてみます。
祖父はたいていのことは一人でできます。
できないのは、買い物とか食事の支度とか掃除などです。
さすがに階段の上り下りもできません。
ですから、二階の部屋にいる間は私は自由になります。
はじめはノートパソコンを購入することも考えたのですが、休職中の上に、いつまで、この状態が続くのかも分からず、それは止めました。
 そもそも、そうした体力も最初の頃にはありませんでした。
 私は祖父の寝る一階のベッドのちょうど真上に布団を敷きました。
別に祖父に何かがあったらすぐに気づけるようにという配慮ではありません。
もっと別の意味があったのです。
 私は全裸になり、自分の真下に祖父が寝ていることを想像しながら横になりました。
そして、足を広げたりしました。
オナニーもしました。
あの堅物だった祖父が、自分の真上で孫にアソコを見せつけられ、そしてオナニーまでされているのかと思うと、私は妙に興奮しました。
 ただ、そんなことも最初は疲れていて、ただの就眠儀礼のようになってしまっていました。
 祖父は今でも女の裸に興味がるのか、孫の私の裸を見たいと思ったことがあるのか、そもそも、あの厳格な祖父は性に興味があったのかどうか。
私はそんなことを考えるようになりました。
そして、確かめてみたくなってしまったのです。
最初にその異変に気づいたのは、もう、祖父がベッドから起きて自分でトイレに行けるようになってからのことでした。
もっとも、それ以前には、祖父は病院で看護されていたわけですから、家にもどって間もなくのことだったと思います。
 私は祖父が寝ついた後、しばらく休憩して、それからお風呂を使っていました。
 お風呂は祖父の寝る茶の間に面した廊下の反対側にあります。
元気だった頃には二階に寝ていたのですが、退院してからは応接間にベッドを入れ、そこで寝るようになりました。
 廊下を隔てた浴室のドアはガラスですが、そこは洗面もかねているので、着替えは、さらにその奥でできるようになっていました。
最初こそ、私は奥で着替えていたのですが、まだ、夏の暑い頃でしたから、広い洗面まで出て来て身体を拭くようになりました。
もちろん、ガラス扉といっても曇りガラスですから、そう気になるものではありませんでした。
それに、祖父と私以外には、家には誰れもいないのですから、あまり気にする必要もないと思ったのです。
 ところが、パジャマ着替えて洗面を出ると、私は祖父の寝る応接間の襖戸が開いているのに気づいたのです。
ただ、祖父は夜中にトイレに立つと、よく、戸を開けたままにしていたようですから、それほど気にはしませんでした。
「おじいちゃん、起きてるの」 と、静かに声をかけ、返事のないのを確認するや、そっと戸を閉めました。
 ところが、あるとき、応接間の前で持っていたタオルを落としたときに、その戸が閉まっていたのを何という気はなしに確認してしまったのです。
それなのに、その日も私がお風呂から出ると戸が少し開いているのです。
暗い部屋の中は見えませんが、祖父がこちらを見ているような気がしました。
曇りガラス越しに見える孫の裸を祖父は見ているのかもしれないと思うと、私は、性的に興奮してしまいました。
 もちろん、戸はいつも開いているというわけではありません。
私の入浴中に偶然に祖父がトイレに立ったことも考えられます。
 それでも、私の妄想は勝手にふくらみました。
私はうっかりパジャマの下を忘れたふりをしました。
誰れも見ていなければ忘れたふりなどする必要などないわけですが、それでも、一人でそうした演技をしてしまうのが私の癖なのです。
 上にパジャマを羽織ると、下は微妙に隠れてしまいました。
私はパンツも穿かずに洗面を出ました。
あわてているような、恥ずかしがっているようなふりをしました。
祖父の部屋の戸は開いていました。
洗面の明かりで、こちらの様子はハッキリと見てとれるはずです。
 私は過剰にパジャマを下に引っ張り、腰を引いてそこが見えないようにするふりをしました。
「おじいちゃん、起きてるの」 いつも以上に小さな声で言いました。
返事はありません。
暗やみの中、祖父がそこに横たわるのは見えるのですが、その顔がこちらを見ているかどうかまでは分かりませんでした。
私はそっと襖戸を閉めました。
 その戸は昼間も何度となく閉めるのですが、それでも、開いていることが多いのです。
偶然なのかもしれません。
偶然でもいい、もっと、祖父が私を気にしてくれればいい、私はそんなことを思いました。
 性的にも興奮はしていました。
実の祖父が自分の裸に興味を持ってくれることが私には刺激だったのです。
そのタブーは私を普通の露出以上に興奮させていたのだと思います。
 でも、それ以上に、私は私が祖父にとっての特別な存在となるのが嬉しかったような気がするのです。
不思議な満足感です。
たぶん、それは私と祖父との幼い頃の思い出から起こったものだと思います。
私は子どもの頃、よく祖父の家にあずけられました。
その当時は伯母、つまり父の末のが祖父母と同居していました。
今は結婚して私と同じ東京で暮らしています。
とても優しい伯母さんで、私は大好きでした。
ですから、祖父の家にあずけられることは嫌ではありませんでした。
 ただ、まだ学生だった伯母は、勉強が忙しいらしくて、あまり家にはいませんでした。
ですから私はたいはんを祖父母と過ごしました。
祖父母は私を可愛いとは思っていたようです。
しかし、不器用な人でしたから、どう接していいかは分からなかったようなのです。
 ですから、私の相手は勉強でしていました。
勉強を教えることでしか孫と会話ができなかったのかもしれません。
厳しく怖い印象ばかりがありました。
 とくに祖父は私を常に、別の誰れかと比較して叱りました。
「お前は誰誰と比べて勉強ができない」とか「お前は孫の中でもトロイほうだ」と、そんなことばかり言われました。
とくにショックだったのは「お前はとりわけ美人でもないし、勉強ができるほうでもないし、運動だってできないんだから、親のいうことぐらいきちんと聞ける子にならなければ誰れにも可愛がられない」と、言われたことでした。
 私は特別でない、と、そればかり思いました。
みんなは特別な子どもだから可愛がられるけど、私は特別な子どもではないから、みんなのように甘えてはいけない、そう思ったのです。
 実際、祖父も祖母も私の前で、他の人の話しばかりをしました。
そして、その頃、子どもたちの中でも、私はどうでもいいような存在だと気づいたのです。
私だけ注目されてない、と思いました。
 あるとき、私が男の子たちにオシッコしている姿を見せるまで。
 そして、今、祖父は私を特別な目で見ています。
もしかしたら、私の裸にも注目しているかもしれないのです。
そう思うと私は興奮してしまうのです。
祖父に性的な何かを感じているのではありません。
祖父とセックスしたいなどという気持ちは少しもないのです。
ただ、あの厳しい祖父が私の裸を見たいと思っているのかと思うと、それが嬉しいのです。
まだ祖父が元気だった頃、私は祖父の前でミニスカートをつけることなどできませんでした。
思えば、いい年齢になった私を祖父が叱るわけなどありませんでした。
それでも、おかしなもので、自分の女を祖父の前に晒すことに私は抵抗があったのです。
 はじめて祖父の介護に来たときにも、私は、パンツばかりをカバンに詰めて来ました。
スカートをつけることにさえ抵抗があったからです。
 その反面で私は全裸で街を歩いたりしていたのですから不思議なものです。
 あれはまだ夏の暑さの残る頃でした。
私は露出用にしか使用しないようなミニスカートを祖父の家でつけました。
一見ホットパンツにも見えるのですが、少し屈めば中が丸見えになるスカートです。
 祖父がそのことで小言を言っても、私は暑いし家の中だけだから、と言い訳けするつもりでした。
ところが、祖父は何も言いません。
言わないどころか、私が祖父にお尻をむけたまま前屈みになると、じっと私のほうを見ているのです。
その視線が私には分かるのでした。
 そうした年齢になった男の人がどれほどエッチなのかは分かりません。
もしかしたら、ただ、人恋しさで赤ちゃんがそうするように私を追っているだけかもしれません。
それでもいいのです。
 ただ、ジーンズなどのときには、祖父はそう私を追いません。
やはり私の下半身が、スカートの中が気になっているのかもしれないのです。
私はそう想像するだけで楽しいのです。


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