「おはよう、匠巳。よく眠れた?」 ツインの宿の一室で目を覚ました匠巳は、澄んだ優しい声が頭の中に染み渡っていくのを心地良く感じていた。
窓際のベッドで、りさが朝日を背に微笑んでいた。
さわやかな、よく晴れた朝だった。
「うん、おはよう」 匠巳はそう言って、体を起こした。
りさは、パジャマ代わりの白いシャツの格好で座っていた。
うーん、と声を上げて、猫のようにひとつ伸びをする。
すでに、きちんと整えてあったりさの長い黒髪が、さらさらと美しく流れた。
 匠巳は顔を洗いに行く途中、ふと、りさを振り返った。
瞳が合った。
りさは、ごく自然に、にっこりと笑った。
まさに天使のような、罪のない笑顔だ、そう感じた。
 りさのためなら全てを賭けてもいい。
匠巳は強くそう思う。
 …いや、もうずっと前から匠巳はりさに何もかも捧げていた。
自分の全て。
これからの人生。
そして、命さえも。
「あのね、匠巳。今日は仕事が入ってるの」 りさはベッドに寄り掛かって、匠巳の背中に声をかけた。
その手には、愛用の細身の刀を何をするでもなく、弄んでいた。
匠巳の知る限り、りさの剣の腕前は、もはや神技と言っていいほどのものである。
「仕事…」 匠巳は、ぼんやりと繰り返した。
 水をすくった手が、りさにもらった黒い革製の首輪に触れた。
匠巳は顔を上げて、鏡に映るそれをじっと見つめた。
 これこそが、匠巳がりさに全てを捧げている証しであった。
 匠巳は、りさによって生かされているのだ。
しかも期限付きで。
いつか、その首輪が外される時、りさの刀は、確実に匠巳を斬り刻むことだろう。
怖くないと言えば嘘になる。
しかし、それでも匠巳は、逃げようとは思わなかった。
「…うん、仕事。ちょっとだけだから匠巳、手伝ってくれる?」「わかった」 かつて、りさは自分の心の赴くままに人を殺す、連続殺人犯だった。
しかし、今は逆に、冒険者ギルドからの依頼で犯罪者を狩る「仕事」に、匠巳とともに就いていた。
「ありがとう」 りさは嬉しそうに微笑んだ。
 自分の隣へと匠巳を抱き寄せる。
それほど大きくはないベッドで向き合って、二人は仕事の話を続けた。
「今日はね、八人くらいが、ある家で人質を取って立て籠もってるんだって」 りさは、別になんてことのないような調子で説明する。
「人質は?」「小さな女の子。助けてあげるの」「うん…僕は、何をしたらいいかな?」「いつものように、表で見張り。…っていうか、あたしの帰りを待ってて?」 りさが甘えるように匠巳を上目使いで見る。
「わかった」匠巳も微笑んでそう答えた。
 匠巳は、刀や武器類は全く使えない。
ましてや、「仕事」の上でりさのパートナーとしての能力は皆無だった。
しかし、匠巳は常に彼女と行動を共にしていた。
何より、彼女が足手まといであるはずの、匠巳の同行を望んでいたのだ。
 天井裏から音も無く侵入して来たその影に、男たちは全く気が付かなかった。
 そして、刀の峰で首筋を強く打ち付けられるその瞬間まで、二人の盗賊は、ついに一度も振り返ることをしなかった。
糸の切れた人形のように、二人は崩れ落ちた。
「あんまり大声出さないでね。悪い人に見つかっちゃうから」 りさは、人差し指を唇にあてて、目を丸くしている少女に言った。
「…おちゃんは?」 少女は言い付けを守って、小声で尋ねる。
「あなたを助けに来たの。さあ、ママの所へ帰りましょ?」 りさは微笑みながら、少女に手をさしのべた。
少女は小さく頷いておずおずとその手を取る。
「…あの怖いおじさんたちは?死んじゃったの?」「ううん。眠ってるだけ。あたし、そういうの得意なの」 眠ってるだけ…今はね。
りさは心の中で、そう言った。
 りさは、痛くないように優しく少女を抱きかかえて、侵入した時と同じように、音も無くその部屋を抜け出した。
そして、何の問題もなく容易に屋敷の外へ出る。
 少し離れた場所で、匠巳は、約束通り待機していた。
「無事でよかった」「匠巳…ただいま」 りさは、不安そうな顔を向ける匠巳の胸にぎゅうっと手を回した。
目を閉じて、静かに匠巳の鼓動を聞いている。
匠巳は、自分よりも小さなりさに抱き締められることの、不思議な安心感と気恥ずかしさに、包まれていた。
それは、なんとも言えない心地よさだった。
「その子が…?」「うん。この子が人質だった子。朝、言った所にこの子の両親がいるの」「わかった。この子のことは、任せて」「あたしは、後始末をしてくるね」 …りさのその言葉に、匠巳は震えるような昂揚感が沸き上がってくるのを感じていた。
心臓がドキドキと早鐘を打つ。
 匠巳は、りさの刀の刃が素早く返される様を、戦慄と憧れの入り交じった目で見つめていた。
 これから起こる光景を、自分は目の当たりにすることができない。
匠巳はそれがとても残念だった。
その光景、そしてその時のりさの姿は、きっととても恐ろしいだろう。
しかし、それ以上に、美しいはずなのだ。
 匠巳の混乱したままの視線を浴びたりさは、嬉しそうに笑った。
「行ってくるね……匠巳、待っててくれる?」「えっ、…うん」 匠巳は慌てて頷いた。
りさがまた嬉しそうに笑う。
「あはっ、じゃあ待っててね。でも、ちゃんとこの子を帰してから」 りさは、身長が自分の腰ほどの少女の、茶色のおかっぱ頭を優しくなでた。
少女はくすぐったそうに笑った。
「あ…も、もちろん。わかってる」「うんゥ」 りさは、前と同じように匠巳の背中に手を回して、首を傾け、つま先で立つと、唇を匠巳の唇と重ねた。
数秒の間、その感触を味わったりさは、最後に自分の舌を匠巳の唇につうっとすべらせて離れた。
 匠巳の顔は真っ赤になっていた。
りさが、おかしそうにくすくす笑う。
「行ってくるね。…ばいばい」「おちゃん、ありがとう」 少女がおかっぱ頭を揺らして手を振った。
りさも軽く手を振って二人に笑みを返すと、素早く身を翻して、右手で刀を握った。
 そもそも、今回の仕事は「最悪の盗賊」ジュチ一派の討伐をあと一歩というところで失敗したギルドの拭いのようなものだった。
 何度かの討伐隊の攻撃に追いつめられたジュチらは、アジトを捨て、この、前ギルドマスターの屋敷に押し入り、孫娘を人質に立て籠もった。
 ジュチはその後、ギルドの追っ手の戦士を全て血祭りに上げ、そして、事態は泥沼となったのだった。
 しかし、首尾よく少女を救出したりさは、再びこの屋敷の中にいた。
 人質さえ助け出せば、あとはギルドに任せることもできたが、りさにその気は全くない。
むしろ、ここからが本番なのだ。
 さっそくジュチのいる広間の天井裏までたどり着く。
誰にも見られていない。
りさにとっては、容易いことだった。
「うわあ…汚なーい」 りさは、思わず小さく声に出した。
眼下は、もはやこれ以上ないというくらいに汚されていた。
食べかけの肉、山のような空の酒瓶、引きずり下ろされ、ずたずたになった絵画や美術品―それらの間に埋もれるように、ジュチと五人の手下たちが居座っていた。
 ある者は、ぐっすりと眠りこけ、ある者は酒をあおっている。
仲間とカードに興じる者たち、そして親玉のジュチは汚い部屋をぶつぶつと呟きながら歩いていた。
「人質はいるんだ、しかもマスターの孫とありゃあ、こんな酒やメシだけじゃねえ、もっと色んな物を持って来させられるぜ。逆境で、運が向いて来るとはオレもまだ捨てたもんじゃねえな」「へえ、久々に面白くなってきましたね。せいぜい、絞れるだけ絞りとっちまいましょう」 酒の飲み過ぎで、もうずいぶんまわっている手下がジュチに同調する。
「…生きてればね」 りさは刀を持って部屋へ飛び下りた。
そのついでに、男の両腕を酒瓶ごと斬り落とした。
「ぎゃあああ!お、俺の腕がっ…!」 血を噴き出しつつその男はうずくまって絶叫した。
 ジュチたちの視線がいっせいにりさに集まる。
鎧どころか、黒のヴィスチェと紺色のスカートだけの格好で、血を吸った刀をぶら下げた侵入者に、ジュチたちは怯んだ。
 りさは、自分に驚愕の眼差しを向けているジュチと三人の顔をゆっくりと見回した。
体が熱くなっていくのを感じていた。
 残りの盗賊たちは、一人は血まみれでうめき、もう一人はのんきなことにまだ鼾をかいている。
「な、何だてめえっ!?」 ジュチがやっとのことで声を絞り出した。
油断しきっていたため、盗賊たちの手元に武器らしい物はわずかしかない。
「あたしはりさ。あなたたちを殺しに来たの」 慌てる盗賊たちとは対照的に、りさは余裕たっぷりで言った。
「ふざけるな!やれ、殺せ!」 ジュチがやけくそ気味に喚いた。
その声に反応して、三人の盗賊がじりじりと近づいて来た。
だが、盗賊たちが構えるのは短いナイフで、りさの刀とはリーチが違い過ぎる。
 りさは、すぐに扇形に半包囲されてしまったが、三人はなかなか仕掛けてこない。
その扇形の中央では、両腕を失った男が辺りに血を撒き散らせて、苦しんでいた。
「痛え、痛えええ!」 りさは転げ回るその男を楽しそうに見下ろすと、刀を向ける。
「痛いの…?ふふ、可哀想…今、楽にしてあげる」 りさはそう言って、無造作にその刀を振るった。
「ひっ、助けて」 ぶつっ、と嫌な音を立てて男の勁動脈が切れた。
 断末魔の絶叫が響きわたり、床一面を真っ赤に染めて、男は死んだ。
辺りは赤一色の地獄絵図となった。
「あははっ、きれい♪」 三人の盗賊は、りさの悦びの表情に、よりいっそう怯んだ。
りさはそんな三人に目を向ける。
三人が揃って、一歩後ずさりした。
「お前ら、何やってんだ、どけ!」 ジュチが叫んで前に出た。
 ギルドの猛者以上の剣技を持つと言われるジュチが、剣を手にしている。
三人の盗賊はやっと安堵のため息を吐き出した。
「てめえ、よくも手下を殺ってくれたな…」 ジュチがりさの白い肌を見て嫌らしく舌なめずりをする。
「どうだ、今のうちなら、土下座して謝りゃ許してやるぜ?…それとも、死にてえのか」 剣を手にした今、ジュチには負けることなどほんの少しも考えになかった。
目の前にいるのは、少しは腕が立つとはいえ、せいぜい二十歳前の小娘だ。
しかも身長は自分の胸ほどしかない。
リーチも力も、明らかに自分の方が勝っている。
 りさが楽しそうに笑う。
「うふふ…覚えててね?…あたしは、あなたたちが泣いて謝ったって、やめてあげないからねゥ…一人残らず、丁寧に殺してあげる…ゥ」「ハッ、何を莫迦な…」 次の瞬間、りさは信じられない速さで踏み込んで、刀を切り上げた。
ジュチが避ける間もなく、りさの刀はジュチの剣ごと右腕をそっくり切断する。
「なっ、見えな…!?」 驚いてジュチが叫んだ時には、りさの刀が右脇腹を貫いていた。
「ぎゃあああああっ!!」「お、親分」 今や、手下の盗賊も完全に浮足立っている。
りさは刀をジュチに刺したまま、妖艶な笑みを浮かべた。
ジュチの額に脂汗が浮く。
ジュチは震えていた。
「や、やめろ…人質がいるんだぞ」 ジュチは呻いた。
しかし、りさの放つ凶悪な殺気から、それが無駄なことだとも、はっきりと分かっていた。
口を動かすたびに、傷口から血が噴き出す。
「うふふゥ」 りさはゆっくりと刀をジュチの左胸に向けて切り上げていく。
溢れる血が、りさのむきだしの真っ白な肌に飛び散った。
まるで心地良いシャワーであるかのように、りさは陶然とした表情でそれを浴びる。
「あったかい…」 左手で血をすくい、口に運ぶその様に、殺されようとしているジュチですら目を奪われた。
信じられない美しさだった。
「ああ、やめ…」 しかし、ジュチはそれ以上喋ることができなかった。
刀がジュチの肩から抜けた。
ジュチの上半身がゆっくりと、斜めにすべって、落ちた。
血がしぶく。
 今や、盗賊たちの親玉は、下半身だけで立っていた。
もう死んでいる。
りさはもう一度刀を振りかざして、その下半身も縦に両断する。
「あははっ、快感ー♪」「ひ、ひいいっ、た、助けて」 すっかり戦意を無くした盗賊たちが、慌てて逃げ出そうとする。
しかし、恐怖に腰が抜けて誰一人動けない。
 りさがゆっくりと近づいてくる。
全身、返り血にまみれていた。
「…次はあなたたち」「な、何でもする。生命だけは…!」 盗賊たちは、涙を流して懇願した。
りさはにっこりと笑った。
「だめ。あなたたちはここで死ぬの♪」「ひゃああああ」 盗賊たちは、泣き叫び、這ってでも逃げようとした。
全く動けない男は、なんとか助かろうと必死に命乞いをした。
「…こ、殺さないで」「うふふ…いい顔で死んでね♪」 りさは、土下座して許しを乞う男の頭を、楽しそうに踏み付けた。
 全くためらうことなく、心臓を突き刺して殺す。
 涙を流しながら逃げ惑う男にも軽やかに追いすがり、一刀のもとに首をはね飛ばした。
そして、踵を鳴らして優雅に振り返り、もう一人の男に向き合う。
 顔面蒼白のままうずくまっていたその男は、情けないことに失禁していた。
「ああっ、死にたくない…死にたくない…っ」 りさは可愛らしく微笑んだまま、両手で持った長い刀を高く構え直した。
「好きよ…あなたみたいな、死ぬのが怖くて脅えてる人…♪」 瞳が、苛虐の悦びに潤む。
「…でもね、あたしはそういう人を斬るのが好き♪分かるかなぁ?…背筋がぞくぞくして、何も考えられなくなる感じ…」「助けて…誰か…」「うふふ♪…ねえ、もっと怖がっていいよ?…そうしたら、もっと好きになってあげる…ゥ♪」「ああああ、やめて、助けて」「あ、いい感じ…♪」 りさの刀が、男の腹を切り裂いた。
血とともに、大量の臓物が床に吹き出した。
 男が、狂わんばかりの絶叫を上げる。
りさは、刀の先で嬉しそうに臓物を刺し、腸を引っ張り出して、男の首に器用に巻き付けた。
男が血の泡を吹いて失神する。
 最後に、頭を刀で二つに割って止めをさした。
 三人の盗賊はもはや、三体のもの言わぬ骸となっていた。
「ああ…すっきりした♪」 生き残りはあと一人。
部屋の隅でずっと眠っていた男に、りさは刀を向けた。
男はまだ寝転がっていたが、汗だくだった。
りさはうふふ、と含み笑いをした。
「ねえ、起きて」 りさは刀の先で、男の頬をつついた。
そのままスッと引く。
頬に赤い傷ができて、その男は「ううっ」と、呻いた。
「起きてってば」 もう一つ、顔に長い切り傷を作られて、男はやっと目を開けた。
血とともに汗がとめどなく流れる。
口元はがたがたと震えて噛み合わない。
「た、助けて」 かろうじて出せた言葉がこれだった。
 ぐしゃぐしゃの顔の男と目が合って、りさは少し驚いた表情をした。
「…あなた、匠巳に少し似てる」「え?」男は、それどころではないのに、間抜け面で聞き返していた。
「匠巳。あたしの一番好きな人」 そう男に向かって話すりさの瞳は、匠巳を見ている時のように愛しげな光をたたえていた。
「匠巳も、あたしのこと好きだって言ってくれるの」 男は、状況が理解できなかったが、もしかして助かるのではないかと淡い期待を持ち始めていた。
しかし、すぐにそれが大変な誤りだった事に気付かされた。
 りさが、男を見つめる表情を全く変えないまま刀を構えた。
「ひいっ…」もともと部屋の隅にいた男は、背を壁に阻まれて逃げ場がなかった。
「匠巳…」 りさは、切なげに息を吐き出しながら呟いた。
刀の軌跡が白く光った。
 男の両手が手首から切断された。
激痛を感じる暇なく、続いて両腕が肘から切り落とされた。
そして、最後に肩口から刀を入れられて、男の両腕は完全に無くなった。
「ぎゃああああああっ!!なっ、何を…!?」 男は半狂乱になって泣きわめいた。
「すてき…♪」 りさが頬を赤く染めて、男の顔面をショートブーツのヒールで踏み付けた。
運悪く、左目に刺さって、ぶちゅりと嫌な音を立てて潰れた。
男がまた絶叫する。
 りさはその体勢のまま、刀を再び構え直した。
「やめて、助けて…っ」 男が身をよじって逃れようとする。
しかし、完全に追い詰められていて、もはやとどめを待つばかりの状態だった。
りさは動けずにただ命乞いを続けるだけの哀れなその男を見下ろした。
「いい声…本当、匠巳みたい」 血のこびりついた刀を口元に持っていく。
そして、うっとりとそれをなめ上げた。
ピンク色の濡れた舌が、エロティックに動いた。
「ああ、殺さないで…」男が弱々しく言った。
「うふふ…もっとちゃんとお願いしなさい♪…あたしの気が変わるかも知れないでしょ?」 りさは上気した顔でそう言って、男を踏み付ける足に力を込めた。
血が吹き出し、すらりと伸びたりさの足に飛んだ。
白い内股を、赤い線が美しく流れて落ちた。
りさは自分を彩る紅を、嬉しそうに手の平でなでた。
そして、左手に付いた返り血も、ぺろりと舌を出してなめる。
「た、助けて下さ…」「お莫迦さん♪…でも、そういう所、好きよ」 蕩けるような甘い声でそう言うと、りさは少しも容赦せずに、今度は男の両足を切り刻み始めた。
 恐るべき残忍さでりさは、踵から、膝から、そして最後に股から男の足を切断した。
それでも、まだ男は生きていた。
「すごーい…。匠巳も、がんばって生きててくれるかな…?匠巳にはもっと念入りにしてあげなくちゃ…♪ああ、やっぱり匠巳も連れてくればよかったな」 男は、薄れゆく意識の中で、りさの言葉を聞いた。
言葉通りの意味なら、その匠巳って奴も殺されるのか、と思った。
殺される。
男は、両手両足を失ってなお、死を恐れ、目を開いてりさに許しを乞おうとした。
 眼前に、振り下ろされる刀があった。
「愛してるわ、匠巳…」 りさは恍惚とした表情で、男を真っ二つにした。
 りさの刀は何度となく振り下ろされ、男は絶望の中で肉を裂かれ、骨を砕かれ、臓器を引きずり出された。
もはや完全に無抵抗になった男を体の求めるまま切り刻む感触に、りさは全身が震えるほどの快感を感じていた。
匠巳に似ていたその男は、目、鼻、耳、口、そしてあらゆる傷口から血を吹き出して死んだ。
 りさは、すでに死んでいる男の頬に口を近づけると、涙の跡に沿ってゆっくりと舌をはわせた。
たっぷり時間をかけて、りさは続けた。
それはまるで、愛しい人へ行う愛撫のような光景だった。
 そしてその後、りさはそうするのがまるで儀式であるかのように、刀を入れて、男の頭を丁寧に切り落とした。
二つに断ち割られている頭は、転がって、バラバラになった手足たちにぶつかって止まった。
 もうこの部屋に生きて動いている者は誰もいなくなっていた。
りさは、久々のこの「仕事」もそろそろ終わりだな、と考えていた。
思いがけず、匠巳に似た盗賊がいたことで、結構楽しむことができた。
「…早く、匠巳に会いたいな」 りさは、そう呟くと殺戮の限りを尽くしたこの部屋を後にした。
気絶させていた二人や、その他の数人の盗賊も逃がさず始末して、屋敷を出た時には、もう時刻は深夜の零時にさしかかっていた。
いくら夏とは言え、さすがに辺りは寒い。
匠巳との約束の場所はごつごつとした岩場で、街からもずいぶん離れている。
その為、よりいっそう寒々しく感じられた。
 しかし、りさの期待通り、匠巳はそこでちゃんと待っていた。
「匠巳ゥ」「あっ…りさ」 りさは、嬉しさで匠巳に飛びついた。
抱き締めた匠巳の体が、すっかり冷たくなっている。
「ごめんね、遅くなって」「いや…、おかえり」「…ただいま、匠巳」 そう言って、りさは背伸びをして軽くキスをした。
全身に、たくさん返り血を浴びたままだったので、匠巳はむせ返るような血の匂いをかいだ。
匠巳の服にも血が少し付く。
しかし、匠巳は嫌な顔をするどころか、惚けたような顔でりさに見とれていた。
りさは、とても美しかった。
 長く美しい黒髪に、大きな瞳。
幼さを残す表情。
豊かな胸に、くびれた腰、手足はすらりと伸び、完璧とも言えるプロポーション。
他人の目をひいてやまない美しさだ。
しかしそれに、「仕事」用の露出度の高い、大人っぽいヴィスチェと、むき出しの雪のような白い肌に絡みつく獲物たちの赤い血が芸術的に加わって、それらの全てで、りさの美しさをより完璧に彩っていた。
 りさは美しい。
匠巳はただそう思った。
血まみれの、狩りを楽しむ猫科ののようだ。
そして、匠巳はそんな彼女と一緒にいられることに、眩暈のするような至福感を覚えた。
「ねえ、匠巳…?」 りさが悪戯っぽく笑った。
両手で匠巳の頬を挟み込むようにして、こちらを向かせた。
視線をぴったり合わせる。
「あっ、うん。何?」 匠巳は真っ赤になる。
「今日の敵の中にね、匠巳にそっくりな人がいたの」 指先で匠巳の首輪を、ゆっくりとなぞりながら言った。
 匠巳の顔は、一瞬で真っ青になった。
しかし、頬は紅潮している。
瞳が、恐怖のためか、悦びのためか潤んだ。
「…今日…なんだ…ね?」 声は弱々しく震えている。
冷や汗が流れ、心臓ははちきれんばかりの勢いだ。
「…何言ってるの?約束は、まだまだじゃない。…びっくりした、って話よ♪」 にっこり笑ってそう言った。
匠巳はその時、天使のような微笑みだ、と改めて感じていた。
「…匠巳には最高の終わりをあげる約束でしょ?」 自分の体温で暖めてあげているかのように、匠巳を抱き締めて、そう言った。
「…そうだったね」 そう、確かにあの時りさはそう約束した。
匠巳が初めてりさと会った一年前。
 それは、匠巳のそれ以降の人生を、大きく変えた出会いだった。
 もちろん、匠巳はその時のことを鮮明に覚えている。
いや、忘れられるはずなどなかった。
 それが、今の匠巳にとっての全てになったのだから。
 そこでは、逃げ惑う人々が次々と殺されていった。
「あははっ♪…逃がさないって言ったよ?」 美しい少女が、踊るように優雅に、血に塗れた刀を男達に突き立てている。
 混乱の中で、頭を打って倒れていた匠巳は、呆然とその様を眺めていた。
…どこか、遠い世界の出来事のように感じられていた。
 つい先程まで、ここは街道沿いの広場で、行商人達が火を焚いて野営をしていた場所のはずだった。
一人でをしていた匠巳は、たまたま出会ったそのキャンプで、一晩だけお世話になっていた。
 突然。
本当に突然現れた美しい少女は、そこにいた人を、有無を言わさず殺していった。
悲鳴、怒号…。
それに少女の楽しそうな笑い声が重なり、辺りは一瞬で殺戮の宴の場と化した。
 「や、やめてくれぇ…どうして…オレ達に一体何の恨みが…!?」 中年の男が泣きながら少女に問いかける。
「ふふっ♪別にないよ、そんなの。そういう気分なの♪」「そ、そんな…」「運がなかったのよ。オジサン達はみんな、あたしの獲物なの♪」 美しい少女は、そう言って、中年男の両足をいとも容易く切断した。
泣き叫ぶ男に馬乗りになって、脳天をえぐり、殺す。
吹き出す血が、少女の白い肌を赤く彩った。
余りに現実離れした光景だった。
黒いヴィスチェに紺色のミニスカートを着ただけの、肌も露わな美少女が、全身を返り血に染めて妖艶に微笑んでいる。
辺りには、切り刻まれた死体だけ。
丸腰だとか、抵抗しただとかに関わらず、少女はその悉くを惨殺したのだ。
 もはや、生き残っているのは匠巳一人だけとなっていた。
 それでも、匠巳は起き上がれなかった。
逃げようとは思っていても、体が全く反応しない。
全身は、がたがたと震え、歯の根がかみあわない。
 そして何より、恐ろしい死神のようなその少女から、目を逸らすことが、どうしてもできなかったのだ。
美しい殺戮者は、ゆっくりと匠巳の方へ向かって来る。
「うふふ…♪もう、あなただけだよぉ…?」 たっぷりと血を吸った刀が、彼女の右手で揺れていた。
「…どうしたの?逃げないんだ?」 匠巳は、何か言わなくちゃと、かすれた声を振り絞った。
「君は…誰…?」 言って、その間抜けさに我ながら呆れた。
これが、自分の死の寸前に言うべき言葉だろうか?これが、自分の遺言になるのか? 少女も少しびっくりした表情を、その美しい顔に浮かべた。
「怖くておかしくなっちゃった?…それも面白いけど…まあ、いいわ。あたしはりさ。…あなたは?」「匠巳…」 今にも気を失いそうになりながら、答えた。
りさの澄んだ声は、匠巳の耳に、なぜか心地よく響いていた。
「あ、ちゃんと答えられるじゃない。…ねえ、あたし匠巳を殺しちゃうよ?匠巳は、どうやって死にたい?」 そんな質問にも、血の巡りの悪い頭で、ばか正直に考えてしまう。
…もう、どうでもいい。
「君が…目の前にいてくれれば」この美しい、猫のような少女の顔を見ながらだったら…。
本気で、そう思っていた。
どうせ、いつかは死ぬのだ。
「ふうん…?」 りさは不思議そうに首をかしげた。
そして、突然思い出したかのように、「あっ、あたしは『君』じゃなくて、りさだよ?」 と、訂正する。
恐ろしいはずの殺人者が、可愛らしくふくれているので、匠巳は思わず吹き出した。
「…うん。りさがちゃんと見ててくれるなら、いいや…」 りさは美しかった。
「死の女神」、そんなものがもしいるのだったら、それはきっとりさのような姿をしているだろう。
匠巳はぼんやりと、そんなことを考えていた。
「変わってるね…?死ぬの、怖くないの?」  わからない、といった表情でりさが尋ねる。
「…そりゃ怖いって」 穏やかな口調で、匠巳は答えた。
もし、避けられない死が訪れるとき、それをもたらす者が、りさのような美しい「死の女神」であったなら、それは、嫌なことじゃない、そう思っていたのだ。
 りさは、地面に座ったまま動けないでいる匠巳の頬を、そっと触った。
「…うん。凄い震えてるしね、匠巳」「うん…あんまり痛くしないで」「あははっ♪いいよ♪」 りさが、楽しそうに笑った。
 右手にぶら下げている刀にこびりついた血が、ぬめって光るのが見えた。
 匠巳は、ゆっくりと目を閉じた。
りさをずっと見ていたかったが、何だかひどく疲れていた。
それに、もう充分だ、と満足さえしていた。
 しばらくの間、死の広場と化した辺りを、静寂が包んだ。
 …まだ生きている。
「…何?」 匠巳は顔を上げた。
りさは、黙って目の前に立ち、匠巳を見下ろしていた。
「どうしてあげようか考えてるの」 死と血の香りのする美しい少女は、刀を鞘に収めていた。
「殺さないの?」 匠巳はぼんやりと尋ねた。
自分でも驚くほど感情のこもっていない声。
一抹の不安も、安堵すらも。
 りさはにっこりと微笑んで、匠巳の頭を優しく両手で抱えこんだ。
「ううん、殺すよ♪匠巳はあたしの獲物なんだから」 匠巳の耳元で、嬉しそうにそう囁く。
「獲物…」 匠巳は、夢見るように呟いた。
…じゃあ、君は何? りさは、匠巳の頬に触れたまま、膝をついた。
座り込んだままの匠巳に覆いかぶさるような格好になる。
「そう、獲物♪…でも、変ね?匠巳の目」 唇が触れるほどに顔を近づけ、不思議そうに匠巳の瞳を覗き込んだ。
「目?」「…嬉しいの?」「わからない」 匠巳は視線を泳がせながら小さく答えた。
嬉しいなんてことは、多分ない、はずだ。
…わからない。
それに、今の自分が、正常だと言える自信もない。
 りさは、匠巳をじっと見つめ続けている。
「うーん…じゃあ、あたしのことが好き?」「多分、好きだと思う」 今度は即答していた。
初めて見た瞬間から、そう感じていたのかも知れない、と思う。
匠巳にとって、りさは、余りに美しく、自由な存在だった。
 りさが本当に嬉しそうに笑う。
まさか当たっているとは思わなかったようだ。
「うふふ…ありがと。けっこう嬉しいな…♪」 笑いすぎて出た涙を左手でぬぐう。
そして、ちょっとだけ困惑の表情になって、匠巳に話しかけた。
「…でも、初めて。獲物に好きなんて言われたの。…ねえ、あたし匠巳を殺すつもりなんだよ…?」「…好きな人に殺されるんなら…嫌じゃないんじゃないかな…」 匠巳は、ゆっくりとそう答えた。
「…うわあ…」 びっくりしたりさが跳びはねるように立ち上がった。
赤く染まった頬を慌てて左手で隠す。
可愛い、匠巳はぼんやりとそう思った。
「…凄いね…純愛だぁ…」顔を手の平で覆ったまま呟く。
「…ええと、あたしは匠巳にどう答えたらいいのかな?…あたしは、匠巳を殺しちゃうんだよ…それで、匠巳は満足なの?」「満足かは…わからないけど…いいよ、殺すなら早くやって」 匠巳は、再び目を閉じた。
 りさはしばらく、無言で何か考えていた。
「…匠巳は…あたしの獲物。…わかった、殺してあげる」 囁くようにそう言うと、ゆっくりと匠巳へと手を伸ばした。
 匠巳の首筋に、細い指が巻き付いていく。
 …首を絞められる? しかし、そうではなかった。
カチャカチャという金属音が聞こえる。
匠巳の首に何かを着けようとしているようだ。
「え…?」 匠巳は目を開けて、自分の首筋に触れた。
ついさっきまでりさが着けていた、革製のチョーカーだった。
 りさは、ちょっと困ったような表情のまま、匠巳を見つめていた。
「これは?」「首輪。匠巳が、あたしの獲物だっていう目印♪」「?」「しばらくは生かしといてあげる」 りさは悪戯っぽく笑った。
「…どうして?」「匠巳が、何であたしのことを好きなのか知りたくなったから…かな?」「そんなこと…」 そんなことを言われても、匠巳には説明のしようもなかった。
自分のことを、本気で殺そうとする少女に心ひかれる、あまりに不可解な感情。
「だから、匠巳はあたしと一緒にいなくちゃだめよ?」「あ…うん」 自分でも知らないうちに、頷く。
助かったことよりも、彼女に受け入れられたことへの喜びが、さざ波の様に寄せて来る。
 りさはにっこりと笑って、立てた人差し指を匠巳の唇に当てた。
「…でも、覚えておいて。あたしは、獲物と目撃者は絶対逃がさない。だから、ちゃんと殺してあげる。…その首輪は、斬り落とした匠巳の首から返してもらうからゥ…覚悟してね?」 軽やかな調子でそう言って、ウインクをした。
 匠巳は、改めて死刑を宣告されたのだ。
 それが、決して冗談などではないということが、匠巳にははっきりとわかっていた。
しかし、まるで心が麻痺しているかのように、恐怖は感じない。
りさとは、そういう少女なのだ。
無邪気な、死と混沌の女神。
 りさが、微笑んで手をさし伸べていた。
匠巳はゆっくりとその細く柔らかい腕を握った。
りさの助けで、やっと立ち上がる。
「…もう震えてないね、匠巳。怖くないんだ」「うーん、どうかな…?」 匠巳は、穏やかに微笑んだ。
 自分の命のことでさえ、彼女と一緒にいられることに比べれば、大した意味はないように思えた。
死は確かに怖いが、しかし、りさに恐れはもう感じない。
そこにあるものは、幸福と、抗い難いものへの、畏れだ。
「…じゃあ行くよ、匠巳」 りさが、匠巳の手を引く。
「…うん」 匠巳はそう言って、愛しい死神の後に続いて歩きだした。
 またたく間に死の地と化したこの森で、匠巳は「自分」というものが変わるのを感じていた。
未だ、辺りには血の臭いがたちこめ、男たちは一様にして、惨く切り裂かれ、苦悶の表情を浮かべたまま死んでいる。
 しかし、匠巳は生き残った。
期限付きで。
 そしてこれから、この状況をもたらした美しい少女と、予想もしなかった道を歩んでいくのだ。
 それは、覚めない悪夢のような出来事だった。
それも、心地のよい悪夢。
 匠巳にとって、りさという執行人は、まさに全てを捧げるに値する、奇跡のような存在だった。
「ねえ匠巳」 りさは、匠巳の手を引いて歩きながら、振り返らずに声をかけた。
「うん?」 背中に返事する。
りさは、うつむいて足元を見つめていた。
「あたしも多分、匠巳のことが好きだよ」「…嬉しいな」 言った匠巳の鼓動が一気に速まった。
自分がどれだけりさを好きか、思いがけず再確認していた。
「でも、あたしの愛って、きっと、匠巳は嬉しくないと思う」 匠巳の動揺を指先から感じているのか、りさは迷うように言った。
「愛…」 匠巳は、りさの言葉を繰り返して呟いていた。
…嬉しかった。
 りさが振り返った。
ちょっと困ったような表情をしている。
「…泣き喚く匠巳を、バラバラにしちゃいたい、とかそういう感じだと思う」「それは…いいよ。…痛そうだけど」 匠巳は驚かなかった。
むしろ、この状況に慣れ始めていることこそが、不思議ではあった。
…自分は、全く平凡だと思っていたのに、かなり特殊な類いの人間だったようだ。
「うふふ…そのうちね♪」 りさは安心したのか、もとの調子に戻って笑った。
「…約束するわ。匠巳には、最高の終わりをあげるゥ」「最高の…終わり…」 期待と恐怖に、匠巳の声が震える。
「そう。感激して、痺れちゃうくらいの…ゥいっぱい、泣かせてあげる…」 りさは、匠巳に抱きついて、キスをした。
りさの甘い香りと、血の匂い。
死と隣り合わせの幸福。
 匠巳は、喜びを全身で感じていた。
 一年前、あの森で唯一、殺されなかった匠巳は、確実な死の証しとして首輪を着けられた。
そして、「終わり」はりさによってその首輪が外される時を意味していた。
それがいつのことなのか、匠巳にはわからない。
 あれから色々な事が起こり、今や、りさはギルドの仕事を請け負う、「法」の側の人間だ。
しかし、「法」側が歩み寄ったのであって、りさ自身は何も変わってはいない。
 その時が来れば、きっと喜々として匠巳を殺すだろう。
しかし匠巳は、それを承知の上で、りさと一緒にいる。
 明るくて、無邪気で、気まぐれで、優しくて、残酷なりさは、匠巳にとって、まさに永遠の憧れで、そして全霊の愛を捧げられる存在だった。
 匠巳は、最愛の死神のことを、眩しそうに見つめた。
 りさも微笑んで、見つめ返してくれる。
「…りさ?」「好きよ、匠巳…」 りさは体を小さく縮めて、匠巳の胸に寄り掛かった。
匠巳も、彼女の華奢な肩に腕を回して、抱き締める。
「多分、初めて匠巳を見た時から…」 首筋に何度もキスをする。
「嬉しいよ…僕は」「…わかってる♪匠巳みたいな人、きっとどこにもいない…誰よりも、あたしを愛してくれる。…でも、あたしだって匠巳のこと、大好きなんだからね?」「ありがとう…」「…ねえ、してみようか…?」「え!?」「ごめんね、匠巳…唇は触れても、体を重ねたことってなかったよね…」「…うん」「でも…したら、匠巳のこと殺しちゃうような気がする…」「…別にいいよ」「匠巳ならそう言うって、わかってた」「うん」「…でもね。本当は…まだ、終わりにしたくないなあ…もう少し…」